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第188話Miss Flower③
その後、ハルの父と佳代子さんによる病院での仕事についての話が始まったのだが、俺には少し複雑すぎて完全に理解するまでには至らなかった。
「ありがとう、父さんも佳代子さんも。凄くためになった」
「それなら良かったよ」
「綾人ちゃんも良かったわね、家に着く前は遥人さんと喋れるかどうか凄く不安がってたけど」
「…やめてくれ、格好がつかない」
あまり表には出されていないけれど、ハルはしっかりと愛されている。それが嬉しいような、寂しいような、羨ましいような気がした。
「あ、そろそろ時間ね。上杉くんのところ寄るんでしょ?」
「ああ、そうだね。たくさん喋ってしまって悪いね」
「上杉さんのところ行くんだ。今忙しいの?」
「そうみたいよ。うちの夫も最近帰ってこないし…ちょっと心配なの」
無駄に高そうな茶菓子を手土産にもらい、二人を玄関まで見送る。扉が開いた時に、これまた高そうな外車が止まっているのがちらりと見えた。恐らくもなにも、ハルの父の車だろう。
「秋の旬の野菜は美味しいのが多いから、気に入ったものあったら言ってちょうだい。そうしたら来週も持ってくるわ。それじゃあ勉強頑張ってね」
「ありがとうございます…来週もよろしくお願いします」
「遥人、双木くんのことをしっかり見てあげるんだよ。それじゃあね」
「言われなくてもわかってるよ」
小さく手を振って二人に別れを告げる。しばしの間、家の中に静寂が訪れた。
「そういえば勇也、どうしてあの本欲しがったの?花言葉のやつ」
「別に…なんとなく。お前が読んでたなら読んでみたいと思っただけだ」
「なにそれ、可愛い」
「はぁ?意味わかんねえ」
ハルが書斎へ本を置きに行ったのを見計らって、すぐに自分の部屋へ閉じこもる。ベッドに座り、ページをパラパラと捲りながらバラのことが書いてある箇所を探した。
バラのページはすぐに見つかる。本数や色、部位によって様々な意味があるらしく、びっしりと文字が連なっていた。そのためか他の花よりも情報量が多く、見開き2ページに詳細が書かれていた。
「本数…一本はひとめぼれ、あなたしかいない…二本はこの世界には2人だけ…」
ハルがくれたのは三本の真っ赤なバラ。バラ自体情熱的な花言葉が多いけれど、あのプリザーブドフラワーの花束は一体どんな意味を持っているのだろう。
「あなたを…愛しています」
それを確認すると、胸が酷く締め付けられたみたいに苦しくなって体温が上がっていった気がした。あの時は花言葉を濁されたけれど、結局その後言ってくれたあの言葉。
一度だけ、俺もハルに向けて言ったことがある。とはいえ、あれは独り言に過ぎないから聞こえていなかったかもしれないが。
「勇也、入るよー」
ノックの音と同時にハルの声が聞こえて、パタンと勢いよく本を閉じる。明らかに俺の挙動が不自然だったから、ハルは部屋に入ってすぐ俺の手元を覗き込んだ。
「早速それ見てたんだ。なんか気に入った花でもあった?」
「バラ…」
ハルから貰ったバラは棚の上に飾ってある。ハルの視線がそっちの方へ向いた途端、ハルの耳はどんどん赤くなっていった。いつものように口元を押さえているが、やはり耳は隠れていないので意味を成していない。
「うわー…それ調べるためだったのか、止めればよかった。恥ずかしいから見ないで本当に」
「俺は…その、なんていうか、うれし…かった、けど」
床を見つめて途切れ途切れに言葉を発し、自分の顔までもが熱を帯び始めていることが分かる。
「いや、いいんだよ。花言葉は本当だし。でも自分の口で言ってもないくせにバラを三本渡すのとか、凄いキザだし寧ろ格好悪いじゃん」
「お前、いつもそんなの気にしねえだろ」
「そうだけど…大事な告白でしょ?その前に恋人になったとはいえ」
告白なんてしたことないしと言いながらハルは蹲って小さくなる。
「この形でバレるの一番恥ずかしい…なんであの時さらっと言えなかったんだろう」
「その後言ってくれただろ…だから別に」
「…勇也は?勇也は言ってくれないの?」
やはり、あの時呟いた言葉は聞こえていなかったようだ。それが良かったような、良くないような。
「言えって言われて言うのは…なんか」
「まあそうだよね。そう何回も軽く口にされたら困るし…いつか言ってくれるまで、待ってるよ」
「やめろよプレッシャーかけるの」
ハルは俺の頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でると、晩飯の準備をするときに呼びに来てくれと残して書斎の方へ行った。
ハルの父が渡していた本の数々は、どれも綺麗ではあったが新品というわけでは無さそうだった。つまり、ハルの父自身も使っていたということだろう。
そこで何故か俺は、部屋のクローゼットの隅に置きっぱなしになっていた自分の母親の遺品の存在を思い出した。
ハルがこの前壊したクローゼットは扉が半分無いままだった。その中を覗くと、まだ依然としてその箱はおいたままだ。何が入っているかは知らない。恐らく虎次郎のところの誰かが詰めたものだろう。
自然と手は惹かれるようにそのダンボール箱を引っ張り出していた。
中に入っていたのは空いているタバコの箱や派手な服。どれも見慣れたものだった。その懐かしい香りが何だか目に染みるような気がして、そっと箱に戻す。ふと、その時箱のそこに一冊のノートが入っているのが見えた。
「日記…?」
何故だか加速し始める鼓動。服の裾で手にかいた汗を拭いてから、ゆっくりとその最初のページを捲った。
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