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第195話Winter③
「サイン30°は2分の1…」
「お前さっきからブツブツうるせえ」
期末考査当日。真田は小さな声で覚えたことを呟いていた。出席番号順に座ることになるので、真田の席は本当はここではない。
「呟いてないと忘れるだろ!あとなんか、双木の顔みてたら覚えたこと思い出せるような気がして…」
「俺の顔にはなんも書いてねえよ早く席戻れ」
「でも〜…」
「あんだけ勉強したんだから大丈夫だ。赤点取ったらシバく」
この1週間、俺たち三人は真田につきっきりの状態で粗方の教科を教えてきた。現代文や暗記教科では赤点を取っていないようだったので、英国数の三教科を重点的にやらせたところ、人並みの学力に引き上げることに成功した。その事については自分でも少し感動している。
自分も勉強しようと暗記カードを眺めていると、朝練が終わったらしい上杉がこちらへ近づいてきた。
「双木と小笠原には感謝しなければならないな…聡志がここまで出来るようになるなんて、俺でも驚きだ」
「大したことしてねえし、俺より頑張ったのはハルの方だろ。あいつに言ってやれ」
「…本当に好きなんだな」
「あ?今の話をどう聞いたらそうなるんだよふざけんな」
実際真田の勉強に一番貢献していたのはハルだ。その分自分が分からない範囲をハルに教えて欲しいと頼むこともなかなかできなかったけれど、真田に勉強を教えることで自分の勉強にもなるし結果としては良かったと言えよう。
二人の時間は勿論大事だけれど、四人で過ごすのも悪くない。何よりハルがとても楽しそうにしていたから、俺もそれが嬉しかった。
チャイムが鳴って、朝のホームルームが始まるのに従い真田達は自分の出席番号の席へと戻る。テスト一発目は数学だから、これさえ乗り越えれば真田も何とかなるだろう。
…………………
期末テストはあっという間に終わってしまった。テスト結果は今日返ってくる教科で最後。今のところ真田の点数はまだ誰も聞いていないけれど、返却時にどの教師も真田の点数を見て驚いた顔をしていたから悪くはなかったはずだ。
「それじゃ聡志、今回のテスト全部一気に机の上に出して」
放課後の教室、ハルが真田の点数を確認しにうちのクラスまでやってきた。周りには俺達以外にも数名のギャラリーがいて、全員そのテスト用紙に注目している。
「今回の結果は…これです」
真田の机の上に、全てのテスト用紙が広げられる。並んだ数字は72、68、59…どれも赤点どころが平均点並のものが並んでいる。
見たところその中に30点以下のものは無いようで、その場にいた皆が自然と拍手をし、ハイタッチを交わし始めた。
『やったじゃん聡志!一個も赤点取ってねえ!』
『ほんと、遥人くん達すご〜い!』
「高得点はちょっと無理だったんだけど…数学も平均点ギリギリくらいだったし」
真田は申し訳なさそうに肩を落としている。何か声をかけようと思ったが、それより先にハルが珍しく真田に対して笑いかけた。
「これだけできれば充分だよ。いつもの3倍くらいの点数取れてるんだから、もっと喜びな?」
「小笠原の言う通りだぞ。あの1週間だけでこんなに伸びるとは思っていなかった。お前が頑張ったから成し遂げられたも同然だろう」
「お前ら…本当にありがとな」
また勢い余って俺の方にしがみついてくるので、それをハルが無理矢理剥がした。
赤点を取らなかった記念だと言ってクラスの連中が真田の机の上に缶ジュースを置いていく。教室内はまるで小さなパーティーのような雰囲気に包まれていた。
「聡志思ったより点数取れたね、結構達成感あるなぁ」
「お前、随分熱心に教えてたもんな」
「なに、嫉妬?」
「うるせえ、そんなんじゃねえし」
帰り道、いつもの道を二人並んで歩いた。最近はかなり冷え込んできて学ランを着ざるを得ないが、ハルは暑がりだからかよくセーターだけの格好になっている。
真田に対してもやもやした気持ちはそこまで持っていない。それよりも、真田に教えつつうちのクラスの女子とも連絡を取り合って勉強を教えていたようだから、それが気がかりだっただけだ。
「お前、あんだけ色んな奴に教えてて自分の成績落とさないんだから凄いよな」
「ああ、勇也にあまり教えてあげられなくてごめんね」
「そういう話してる訳じゃ…」
頭の上に置かれた手を取り払うように掴んで、周りに誰もいないのを確認してから、その親指だけを軽く握り直した。
「珍しい、どうしたの」
「…別に」
ただ親指を握っているだけなのに、自発的にその行動をとったことが後から恥ずかしくなってきて下を向いてしまう。自然と歩くスピードが早くなり、まるでハルを引っ張りながら歩いているみたいだった。
「そんなに寂しかった?」
「だからそんなんじゃねえって!」
ムキになってはいるものの、その握った手は離さなかった。1週間あまり相手にしてもらえなかった、だから寂しくて何が悪いんだ。
ハルの手が指に絡みついて包み込まれる。指を絡めて握り返し、そのまま家へ帰った。つい最近この仲になったというわけでもないのに、未だに慣れない。ハルの言動はいつだって胸を高鳴らせた。
「もう明後日から旅行だから、そろそろ準備しないと」
「準備って言っても…俺何も持ってねえし」
「安心して、旅行用のキャリーケースもトランプもちゃんと用意したから」
トランプはいるのかどうかよく分からないが、ハルが楽しそうなので良しとしよう。
昼食の準備をするためにキッチンに立っている間、ハルはリビングに小さめのキャリーケースを二つ並べて旅行の準備を始めた。
「勇也の服勝手に詰めていい?」
「ああ、全部頼む」
「トランプと…あと玩具」
オモチャと聞いて一体何を持っていくのだろうとリビングの方を見遣ると、禍々しいアダルトグッズを手にしているのが見えて咄嗟に近くにあったみかんをハルへと投げつけた。
「あっぶな…食べ物投げちゃダメでしょ」
「避けてんじゃねえよ。何持っていこうとしてんだ置いていけ」
「ジョークだよジョーク。そんな怒らないで」
投げ返されたみかんをキャッチして、キッチンの隅に置く。そこでふと気づいたが、旅行で二泊共に過ごして何も無いことがあるだろうか。この前のリハビリは言ってしまえば最終段階のようなものだ。
「え、なんでパスタにみかん入ってるの?そんなに怒った?」
そう思ったら急に汗が滲み出てきて、まだ決定した訳でもないのに緊張し始めた。
「勇也…?ねえ、そんなに無視されたら俺へこむんだけど…ごめんってば」
放心状態のまま皿にパスタを盛り付けてハルの前に出す。口に運んだパスタは味がしなかった。向かい合って座ったハルも同じようにパスタを口に含み、青い顔をしながらそれを飲み込んでいた。
「ねえ…みかんパスタ食べたから…いい加減無視しないで」
「ああ、悪い…心の準備が」
首を傾げるハルを尻目に何故かみかんが入っているパスタを食べながら、今日の夜は眠れないかもしれないと思った。
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