196 / 336
第196話Trip
12月23日。ついに冬休みがやってきた。結局俺は今日までずっと寝不足で、目元には少しクマができている。
早朝の新宿駅。キャリーケースをゴロゴロと引きながらチケットを握りしめてバス乗り場へと急いだ。
「だから言っただろ。チケット買う前にトイレくらい行っとけって」
「だってこんなギリギリの時間だと思わなかったんだもん。バスの中のトイレ揺れるから入りたくないし」
「我儘言うな走れ!」
時間ピッタリに高速バスのバス停に着き、荷物を係員に預けた。ようやくこれでひと段落だと指定された席に座ろうとすると、そこには既に外国人の青年が一人座っている。
「チケット…ここで席あってるよな」
「あの人が間違えちゃったみたいだね」
こういう時、何と声をかけるのが正解なのだろう。その席は間違っています…だと何だか変な文になるような気がする。不思議そうに青年がこちらを見つめてきて、言葉が詰まってしまった。
「…I think this is my seat」
ハルがチケットを見せながらそう言うと、青年は自身の持っていたチケットを見て、納得したような顔をしてから荷物を退かしてハルの方に謝った。そんなに難しい英語を使ったわけではなかったけれど、すぐにその言葉が出てくるあたりハルは流石だ。
「結構外国人観光客多いんだな」
「富士山は海外の人からも人気だしね。ここから2時間くらいかかるから、俺に寄っかかって寝ていいよ」
普段なら断っていたところだけれど、周りに顔見知りがいる訳でもないし、何より寝不足で疲れていたのでその言葉に甘えてハルの肩に頭をもたれた。
バスの中は少し肌寒くて、自分の体を温めるように腕を摩っていると体の上に何かがかけられる。目を開けて見るとそれはコートだったようで、ハル自身はニットだけの姿になっていた。
「自分で着てろよ」
「いいよ、俺ちょっと暑いくらいだし」
暑がりにしたってこの気温ではどう考えても寒いはずだったが、読書をし始めたハルは俺の言葉を聞き入れそうにもなかったのでそのままにしておいた。
かけられたコートの下で、ハルの片手が俺の手を取って握る。それが気になって仕方がなくて、眠りにつくまで30分近くかかってしまった。
「勇也、起きて。着いたよ」
「ん…」
目を覚ますと、バスの乗客がぞろぞろと降車していくのが見えた。窓の外にはいつも見えるのとは違う景色が広がっている。
「悪い…寝すぎた」
「最近よく眠れてなかったみたいだからしょうがないよ。俺も昨日は楽しみで眠れなかったし」
自分の眠れなかった理由は楽しみだったからというのとは少し違うのだが、それを声に出して言う訳にもいかない。
外に出ると、冷たい風が全身を撫でていく。新宿よりもずっと気温が低いような気がした。
「寒くない?」
「ふつー…」
「寒いんでしょ。マフラー貸してあげるから」
無造作にマフラーを首元に巻かれて、顔周りは幾分か暖かくなる。その分ハルは寒そうだが、痩せ我慢をしているのだろうか。
「せめてコート着ろよ。これ…サイズ合わねえし」
「可愛いから勇也が着てて。俺本当に寒くないから」
「可愛いって言うな」
旅館の方へ向かって歩いていくハルの後を小走りで追いかけて、辺りの風景を見渡した。
「富士山あんまり良く見えないね」
「まあ、この天気なら仕方ねえだろ」
空は曇っていて、富士山の姿はうっすらとしか見えない。よくよく考えてみれば、違うことで頭がいっぱいで旅行中の天気のことなど何も気にしていなかった。
「明日は…晴れるのか?」
「明日?明日は雨」
「明後日は」
「大雪だってさ。あはは、ついてないね」
ハルは笑っているがそれでいいのだろうか。自分も別に富士山が死ぬほど見たかったわけでは無いけれど、せっかくここまで来たのに見れないのは惜しいような気もする。
「いいのか、見れなくても」
「そしたら天気のいい日にまた旅行来ればいいよ」
ハルの楽観的な考え方は時にむかつくけれど、羨ましくも思う。“また”という言葉を頭の中で何度か繰り返した。ハルはこの先も一緒にいてくれるのだと、安心することができる。
バス停から十分ほど歩くと、今日泊まるらしい旅館が見えてきた。言っていた通り物凄く豪勢な訳では無いのでほっと胸をなでおろす。
フロントで鍵を受け取り、エレベーターで三階まで上がった。旅館に着くと急に二人で旅行に来たのだという実感が強く湧いてきて、胸の高鳴りを抑えずにはいられなかった。
「ここが部屋だよ。荷物奥の方に置いてね、あと充電器ここに挿しておくから」
ハルは自身の荷物を部屋の隅に置くと、カバンからスマートフォンを二台取り出して充電器に繋げた。ひとつはハルが普段から使っているもので、もうひとつは俺が前まで使っていたものだ。あったはずのヒビは綺麗に無くなっている。
「いつの間に直したんだ、俺のやつ」
「前に買い物行ったでしょ。あの時に直しておいてもらった」
「ああ、あの時…」
中のデータはハルによって削除されてはいるものの、未だにその画面を見るのが怖かった。
「写真とかいっぱい撮ってよ」
「写真?」
「うん。せっかくスマホで撮れるんだから、思い出にちゃんと残しとこう。俺たちの思い出」
俺たちの思い出。そう言われると、なんだかそれがとても儚いもののように聞こえる。消えさせたりなんてしたくない。だからこそ、ちゃんと残しておこう。
「…今日は、この後どうするんだ」
「河口湖の周り散策しようかなと思ってたけど、その前にスワンボート乗りたいな」
「あれ足で漕ぐんだろ…?死ぬほどダサくないか」
「勇也のファッションセンスよりマシ」
肘でどつくと、わざとらしくよろけてこちらにもたれかかってくる。体格差があるから支えきれるはずもなく、そのまま二人床に倒れ込んだ。
「…ふざけんな、何笑ってんだよ」
気味悪くニヤついて、俺の首元に顔を埋めてくる。首に触れる髪の毛がくすぐったくてハルの体を引き剥がすが、未だに表情筋を緩ませていた。
「二人で旅行来たんだなって…なんか嬉しくて」
柔らかく微笑んだままのハルがこちらに手を伸ばしてきて、優しく頭を撫でてそのまま耳へ、首へと手を撫で下ろしていく。少し赤くなったその指先はいつもよりずっと冷たくて、思わず目を瞑ってしまった。
「ピアス。しないの?俺があげたやつ」
「…持ってる」
ハルからプレゼントされたピアスはまだ一度も付けていないけれど、ずっと手元にある。付けよう付けようと思っていても羞恥心の方が勝ってしまってなかなか付けられないのだ。
「今ある?俺がつけてあげよっか」
「いいって…自分でやる」
「遠慮しないでよ、ほら出して」
そう言われ、おずおずとバッグの中から例のピアスを取り出す。自分には眩しいくらい、キラキラと煌めきながら揺れていた。
ともだちにシェアしよう!