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第198話Trip③
「匂いがする…ラベンダーかなんかの」
「そう?俺には分からないけど」
もう少し先へ行くと『ハーブ館』の文字が見えてきた。香りはとても色濃くなっていて、恐らくそのハーブ館から漂ってきているのだろうと分かる。
「入ってみる?」
頷いて中へ入っていく。二階建てで、一階は見る限り土産屋のようだ。
「あっちの出口からだとハーブ園に繋がってるみたいだね。その先に香水売ってるってさ」
「今買い物したら、ちょっと早いよな」
「じゃあ香水だけちょっと見てみよう。俺が見たいだけなんだけど」
自分はあまり香水に興味がなかったが、土産を買うにしてもまだ他を見ていないから買えない。そのままハルの後について一度外へ出た。
「流石にこの季節じゃハーブ園も何も無いな」
「写真見た時は春だったから結構色々咲いてたりしたんだけどなあ」
目寂しいハーブ園の先に小さな建物がひとつ。香水の舎と書かれているから、これがさっきハルが言っていたところだろう。
中へ入ると様々な匂いが一気に混ざって鼻腔を侵していった。けれど嫌な匂いという訳でもない。
「どちらかと言うと女の子向けだね。勇也鼻いいからきつくない?大丈夫?」
「まあ、これくらいなら…」
普通に売っているような香水が棚に置かれている。特にここの限定のものというわけでも無さそうだ。全ての商品の前にガラス製の器が置いてあり、その中に匂いのつけられた綿がサンプルとして入れられていた。
「面白い名前の多いね。俺勇也っぽい匂い探すから、勇也は俺の探してよ」
急にそんなに無茶振りをされ、仕方なくいくつかサンプルを嗅いでみる。女子向けのものが多いから甘ったるい匂いのものばかりで、どれもハルとは違う。
そんな中、レジのカウンター近くで一つだけ気になる匂いのものを見つける。いつもハルからこの匂いがするという訳では無いけれど、イメージが当てはまる気がした。
「見つかった?」
「お前は?」
「これ。赤ちゃんの匂いだって」
サンプルを顔の前に出されて嗅いでみると、しつこくない軟らかな香りがする。たしかにその名前の通り、赤ん坊のような匂いだった。自分のイメージがそれだと言われると少し複雑な気持ちになる。
「俺のイメージどうなってるんだよ」
「優しくて暖かくて…すごく好き」
こんな所で好きだと言われて、また顔に熱が集まる。店員には聞こえていなかったようだけれど、いきなり言うのもいい加減にやめてほしい。
「勇也はどれ選んだの?」
「…これ」
「なんて名前の匂い?」
そういえば名前を見ていなかったとサンプルの入っている器を見ると、そこには『媚薬』と書かれていた。
「あ、いや、その…名前見てなくて匂いだけで」
「へえ、ちょっと甘くて刺激的な感じの匂い…俺こういうイメージなんだ?」
ハルはその香水を手に取ってレジへ持っていく。何事も無かったかのように会計を済ませているが、一体それをどうするつもりなのだろう。
「それ買ってどうするんだよ」
「ん〜?内緒」
ハルはやけに上機嫌なまま建物から出て、また道なりに沿って歩き出した。
「意外と色々あるね」
「全部回る気か?」
「ううん、気になったところだけ」
周りにはホテルや足湯、偉人館のようなものがあけれど、ハルはまだ足を止めない。俺が少し早歩きになっているのを察したのか、途中で歩幅を合わせてゆっくり歩くようになった。
「石ころ館だって。何があるのかな」
「石…?」
石ころと言われるとその辺の石しか思い浮かばないのだが、まさかそんなつまらないものを展示している筈はあるまい。
その建物に入り中を見渡すと、そこには天然石やそのアクセサリーが売っているようだった。
「石ってこういうことなのかよ」
「あ、見てこれ。ガラスで出来たペンだって」
ハルの指差す先には、綺麗なガラス製のペンが試し書き用に置いてあった。全体がガラスで出来ていて、ペン先を少し砕いてインクを染み込ませているらしい。
「試し書きしていいかな」
「割るなよ」
何を書いているのだろうと手元を覗き込むと、俺たちの名前を並べてフルネームで書いている。相変わらず模範のような綺麗な字ではあったが、こんな所に名前を晒すなんてどういう神経をしているのだろうか。
「ふざけんな消せ」
「相合傘のあれ書こうとしたけど怒られそうだったからこうしたのに」
「誰でも見れるような所にフルネーム書くアホがどこにいるんだよ」
「もう、勇也言葉遣い悪いよ。バカとかアホとか殺すとか死ねとか…」
怒っている時のハルの方がよっぽど言葉遣いは悪いのだが、確かに自分の言葉遣いはあまり良くないから認めざるを得ない。不良生徒をやっているから身についてしまった癖のようなもので、中々直すのは難しかった。
「お前のことバカだと思ったりアホだと思ったりすることは本当にあるけど…お前に死んでほしいとは、思ってない」
棚の上のパワーストーンを手でいじりながらそう答えると、ハルは堪らずといったように俺の体を後から包み込んだ。
しかし他にも客は中にいたので、反射的にハルの顎を頭突いてしまった。
「いたっ」
「あ、悪い」
「今のは調子に乗った俺が悪かったけどさぁ…」
かなり痛そうな音がしたので俺にも引け目はある。一応謝ろうと、不貞腐れるハルの袖口を引っ張った。
「ん、なに?」
「痛かっただろ…その、ごめんな」
「可愛い」
「うざい」
頭を撫でる手を叩いて店を出るが、ハルはまだもう少し中を見ると言って二階へ上がっていった。
その間、外にある石製のベンチに座ってハルを待つ。だいぶ伸びてきてしまった襟足を無意識に指先で弄んでいると、目の前に観光客らしき同年代の女数人が現れた。そのうちの一人が俺の方へと歩み寄ってくる。
『あの〜すみません…写真撮ってもらってもいいですか?』
「ああ…いいけど」
どうしてわざわざ俺みたいなやつに頼んだのだろうと疑問に思いながらスマートフォンを受け取ろうと手を伸ばすと、慌てたようにその女は手を振り始めた。
『あ、違うんです!一緒に写真、撮って欲しくて…』
どういう事だと目を丸くするが、先程いいと言ってしまったから後にも引けない。何も言わずにいると、女はいそいそと隣に座り始める。
スマートフォンの内カメラに写るように顔を寄せられ困惑していると、そのスマートフォンを上から誰かがひょいと取り上げた。
「ごめんね、勇也は写真苦手だから。俺とじゃダメ?」
振り返った女はハルの顔を見るなり頬を赤らめて口に手を当てる。ハルが助けてくれたのはいいのだけれど、それを見ていた女の連れ達までもがハルの方に寄ってきた。
流石にハルは困ったような顔を見せ、仕方なさそうにスマートフォンを構えて女達と写真を撮ろうとする。それを見ていてもやっとした気持ちになったからか、咄嗟にそのハルの腕を掴んでしまった。
「勇也?どうしたの」
「だめ…だ」
言ってしまってから、ぶわっと全身に熱がこみ上げてくるような感覚がした。
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