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第204話Higher
廊下ですれ違った老夫婦に「仲良しね」なんて微笑まれて、食事の間の前でようやく降ろされる。朝食の時間にしては少し遅かったからかそれ以外の誰かとすれ違うこともなかった。
「部屋出る前に降ろせよアホ!」
「またアホって言った…体痛いなら無理しなくていいのに」
割と本気でもがいていたのだが、ハルにとっては俺の力なんて何でもないらしい。
「お前の馬鹿力おかしいだろ…ゴリラかよ」
「はぁ?それは酷くない?」
「クローゼットのドアも壊れたし…」
「あれは勇也が悪いんじゃん」
小競り合いでもするように口喧嘩しながら自分達の部屋番号の席に着く。朝食にしてはやけにボリュームのある内容だった。
「ん、これ美味しい」
「…俺だって作れる」
「拗ねないで、勇也が作ったやつの方が美味しいよ」
「拗ねてねえし」
旅館の料理が美味いのは当たり前だ。それでもやっぱりなんだか悔しくて、どう作ればこういう味になるのかと探りながら味わった。
ハルの皿の方を見ると、あからさまに人参を避けて食べている。
「人参くらいちゃんと食え」
「…流石にこんなに大きいのはちょっと…ニンジンも別に食べて欲しくなさそうだよ」
「言い訳すんな」
箸を伸ばしてその人参を取り、ハルの口元まで持って行ってやる。ハルは少しばかり驚きながらも、その人参を一口に食べた。
朝食を終え部屋に戻って着替え始めると、そこでようやく自分の首がキスマークだらけになっていることに気づく。
「お前…見えるところに付けんなってあれほど」
「印は見えるところに付けないと意味無いって言ったでしょ」
「…別に、マフラーすれば隠れるからいいけど」
そのマフラーというのもハルのものなのだが、当然のようにハルはそれを俺の首に巻く。鼻あたりまでをマフラーに埋めてみると、例の香水の匂いがした。
「お前、これ香水つけた?」
「やっぱり分かるもんなんだ?昨日つけたんだけど」
臭いとかきついとか言うわけじゃない。これがハルの匂いだと思うと嫌な気はしなかった。けれど、目を閉じると脳裏に昨夜のことが浮かんできてしまう。
「勇也、顔赤いよ」
「うるせえ」
「…思い出しちゃった?昨日のコト」
ハルは含み笑いをしながら腰を撫でる。ビクリと肩を震わせ過剰に反応してしまった。
「やめろ、触んな」
「いいじゃん別に」
外に出ると、昨日よりもさらに肌寒い。おまけに雨まで降っていて、あまり外に出る気分にはれない天気だ。
コンビニで買ったビニール傘を揺らして、ハルは足早に駅まで歩く。
「どれくらいかかるんだ?」
「一駅だけだよ」
ハルの言った通り目的地にはすぐに着いた。悪天候のためか、ゲートに全く客は並んでいない。人気らしい絶叫系のアトラクションも雨で停止しているようだ。
「思ったより中には人いるね」
「午後から止むからじゃねえの」
「室内アトラクションは今凄くならんでるみたい。どうする?」
「…あれ」
目の前に見えた看板を指さす。病院をモチーフにしたお化け屋敷のような室内アトラクション。何度かテレビなんかでも見たことがあるから、おそらく有名なのだろう。面白そうだとはおもうけれど、特別好きという程でもない。
それを目にしたハルは、あからさまに嫌そうな顔をした。
「マジで言ってる…?」
「なんだよお前、やっぱり怖いのか?」
「怖いっていうか…その、でも勇也にかっこ悪いところ見せられないし…」
俺だってたまにはその余裕そうな面が崩れるところを見てみたい。
それにしてもハルは何事にも物怖じないタイプだと思っていたから、お化け屋敷を嫌がるのは意外だった。
「二時間待ちだってよ」
「う〜ん…ここはもう腹を括るよ。もしかしたらもう大丈夫になってるかもしれないし」
ほかのアトラクションが止まっているから、室内アトラクションは異様に混んでいる。建物の外に長蛇の列ができていた。一部の列には屋根もないから、皆傘をさしながら並んでいる。
「傘邪魔になっちゃうから勇也の方閉じて俺の傘入りな」
「ん…」
言われた通りに自分の傘を閉じ、ハルの傘の下に入る。しかし男が二人ひとつの傘に入りきるのは難しく、ハルの肩は雨に濡れていた。
「お前濡れるだろ、俺いいからさしとけよ」
「じゃあこうする?」
後ろ向きになるように促されハルに背を向けると、傘を持っていない方の腕で抱き寄せられ体が密着した。
確かにこれなら二人とも傘に入れるけれど、周りにいた客はこちらをちらちらと見て注目し始める。
「お前ただでさえ目立つんだからやめろよ」
「いいじゃん、それにこっちのほうが温かいでしょ」
お互いの体温を分け合って、多少の寒さを防ぐことは出来ているのだが、それでも視線は気になってしまう。そんな俺をお構い無しにハルは冷たい手をマフラーと首の隙間に入り込ませた。
「ひゃっ…何すんだよ!冷てえだろうが」
「だって勇也温かいんだもん、子ども体温?」
「ふざけんな、お前の方がよっぽど子どもだろ」
少し声が大きかったからか、周りの客からクスクスと笑い声が聞こえてくる。まるで辱めを受けたかのような気分になり、ハルのことを睨みつけた。
「外でこういうことすんなって言ってんだろ」
「別に変な事じゃないって言ったじゃん」
「それとこれとは話が別だ」
ハルの匂いのするマフラーに顔を埋めながらそっぽを向く。仕方がないから、背中はハルに預けたままにしてやった。
注目されていないかどうか確認するために周りを見渡すと、女子高生や男子高校生のグループの他に、カップルが多く見受けられる気がした。
「なんか、カップル多いな…」
「クリスマスイブだからね。雨は降っちゃったけど前々から来る予定だったんじゃない?」
「クリスマスイブに絶叫系ってアリなのか…?」
女は服装や髪が乱れるのを気にしそうなものだけれど、それさえ気にならない仲ということだろうか。
「まあ、俺達もカップルだしね」
「お前…!」
ぱっと周りを見ると、案の定何人かはハルの言葉に反応してヒソヒソと話している。とはいっても、小さなその声が突き刺さるように聞こえてきてしまっているのだが。
『男同士で付き合ってるってこと?』『流石に冗談でしょ』『ホモかよ、やば』
そんな言葉を聞いて顔が青ざめていく。いたたまれない、今すぐこの場から逃げ出したかった。
「やめ…てくれ、本当に」
ハルは何も言わずに俺から体を少し離して、乾いた声で笑う。
「冗談なんだから、そんな怒らないでよ」
周りは冗談だと分かると興味を無くし、少し前に詰められた列に続いて動いた。
見上げたハルの顔は、何かを押さえつけたみたいに苦しそうな表情をしている。それを目にしてしまった瞬間、じわじわと罪悪感がこみ上げてきてどうしようもなくなった。
「ごめん…ハル」
「謝らないで。勇也は悪くないよ、俺の方こそごめんね」
俺だってハルに謝ってほしいわけじゃない。自分のせいで空気を悪くしてしまった。
世界はどうしてこうもうまく回らず、世間は冷たいのだろうか。同じ性の人間を好きでいることは罪なのか。ハルは俺達のことを責める世界などこっちから願い下げだと言っていた。そうでない世界は、一体どこにあるのだろう。
「まだ時間あるね。しりとりでもする?」
気まずい雰囲気の中、ハルは気を遣ってそう言ってくれている。それを無下にするわけにもいかないから、気でも紛らわすようにしりとりをした。
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