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第206話Higher③
「結局今日もここで食うのな」
「不満?」
「別に。うまいからいい」
パークを出た時には電車の本数はだいぶ減っている時間だった。ほうとうが食べたいとハルが言っていたが、電車が河口湖の駅に着いたのはもう八時ごろで、何故かどこの店も閉まっていた。
仕方がないから昨日食べた中華料理店にもう一度入ってそこで夕食をとっている。昨日ごま団子を食べたそうにしていたから、今日は食べたらどうだと勧めるとハルは目をキラキラと輝かせてそれを注文した。
「結構遅くなっちゃったね」
「誰かがレインコートいらねえって言うからびしょ濡れになってクソ寒い」
「ごめんってば。コートはロッカーに預けておいてよかったね」
「お前のマフラーは濡れたけどな」
ハルのマフラーは流石にもう匂いが薄くなってきている。濡れたのを首に巻いているわけにも行かないから、手に持ったまま旅館まで戻った。
冷えた体を温めるように、今日は二人でゆっくりと温泉に浸かる。周りの客はこの時間帯にはいなかったようで、露天風呂から河口湖の方をぼうっと眺めていた。
「綺麗なもんだね、天気は悪いけど」
「寒いから早く部屋に…」
「そうだね、勇也が風邪ひいたら困るし…でももう少しだけ」
湯の中で手を繋がれ、自然と指を絡める。静かな空間。湖には建ち並んだホテルや旅館の光が鏡のように映り込んで、幻想的な景色を作っていた。
「勇也」
ハルが俺の名前を呼んでこちらに顔を寄せる。それに対して、目を瞑って応えた。短くキスをして、もう一度名前を呼ばれれば再び目を閉じてキスをする。
「そろそろ上がろうか、またのぼせちゃう」
「ん…」
自分自身、もうのぼせてしまったのではないかと思うほど顔が火照って思考が緩んできていた。
部屋に戻って二人きりになると、更に鼓動は高鳴っていく。
「せっかくのクリスマスなのに、それらしい事出来なかったね」
「いいんじゃねえの、また来年すればいいし」
「…いいね。ショートケーキたべたいな」
「作ってやるよ、それくらい」
なんて、本当は菓子類を作ったことがあまりないから自信は持てない。けれどハルの喜ぶ顔が見たくて、ついそんなことを言ってしまった。ケーキを作る練習をしなくてはならない。
「年越しはどうする?初詣でも行く?」
「お前クリスチャンじゃなかったのか」
「そういう訳じゃないよ。まあ今年は家でゆっくりするのもいいかもしれないけど」
「また来年行けばいい」
また来年と先延ばしにしてしまうのには理由があった。こうして口実を作っておかないと、今年でそれが最後になってしまう気がしてならなかったからだ。
「今年はちょっと色々あった…っていうか、ありすぎたからね」
「…今頃もう自分は死んでると思ってた」
「そんなことさせないよ、絶対」
既に敷かれた布団の上でハルが手招きをする。躊躇いつつもハルの前に腰を下ろすと、もっとこっちと言われて頭をハルの胸元へと誘われた。
「勇也」
名前を呼ばれたのを合図みたいに顔を上げて唇を合わせる。離れてからもう一度唇を重ねて、その時間は少しずつ長くなっていく。お互いの吐息がかかって、息が弾む。舌の先で口内を掻き回されるのは愛撫さながら気持ちが良くて、抱きしめてくれているその腕からひしひしと愛情が伝わってくるような気がした。
この瞬間がとてつもなく幸せで、それと同時に怖くなった。俺なんかがこんなに愛されて、こんなに幸せでいいのだろうか。またこうやって浮かれていたら、不幸の底に落とされるのではないかと不安になってしまう。
「勇也…泣いてるの?」
「泣いて…ない」
「…思い出した?」
小さく首を横に振り、頼りなくハルの浴衣をきゅっと掴む。心の内を話すわけにもいかなかったが、ハルは何かを察して俺の背中をひたすら摩り始めた。
「大丈夫だよ、俺はどこにも行かないから」
「ハル…」
涙ぐんだ声でそう言うと、頬にできた涙のあとを指で拭われまたゆっくりとキスをした。
ハルの胸は何よりも落ち着く。このままでは眠ってしまいそうな程だった。
「眠い?」
「ん…」
「いいよ、今日も疲れただろうから寝よう」
てっきり今日もそういうことをするものだと思っていたから、少々驚いてハルの方を見た。
「なに、今日もシたいの?」
「違…そういうわけじゃ、ねえし」
愉快そうに笑いながら頭をくしゃくしゃと撫でられる。それが心地よくて、目を閉じたままハルの元から離れらなくなった。
「ほら、ちゃんと布団で寝よう。サンタさん来ないよ」
「サンタなんていねえし来たことねえよ…」
そうだ、だからクリスマスなんて特別な日でもなんでもなかった。ただ今日は、ハルという自分の恋人と二人で過ごせるのだから特別なのかもしれない。
もしハルが本当にサンタを信じていたらそれはそれで可愛いなと思いつつ、目を閉じてそのまま微睡んでいった。
寝過ごすこともなく、7時頃には目が覚めた。ハルはまだ眠っていて、すぐ近くから寝息が聞こえる。二つ布団を敷いた意味も無かったななんて思いながら、顔を洗おうとハルを退けて立ち上がった。
顔を洗ってからもう一度枕元を見ると、なにか袋が置いてあるのがわかる。メッセージカードのようなものも添えてあって、そこには『Merry Christmas』と筆記体で書かれていた。その筆跡からなんとなくハルのものだと推測できる。
袋を手に取って中を見てみると、中には黒をベースにしたシンプルなマフラーが入っていた。
ハルがそのプレゼントをくれたのだと思うと胸が温かくなって、思わずハルの方を見る。まだ眠っていることを確認して、何度も躊躇した後こっそりハルにキスをした。それで恥ずかしくなってしまい意味もなく枕を壁に投げつける。
「今の、勇也からのクリスマスプレゼント?」
「はぁ?!てめえ、起きてるなら言えよ!」
「だって可愛かったから…サンタさん来た?」
「…来た」
俯いてそう答える。自分の行動を省みて言いようのないほど恥ずかしくなった。
「良かったね」
「ん…ありが…と」
クリスマスは、自分の中で間違いなく特別な日となったのだった。来年は自分もなにかしてやろうと、漠然とそう思った。
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