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第211話Happy Birthday②
4月10日。本当は日付が変わったその瞬間に祝いたかったけれど、ハルに頭を撫でられながらベッドに入っているうちに気づいたら眠ってしまっていた。
目が覚めたのは午前8時。ハルはまだ眠っている。起こしたら悪いだろうかと思っていると、やけにさっきからハルのスマートフォンの画面が点滅していることに気づいた。
通知欄が止まらず追加されていく。それを少し見てみれば、女の名前が連なって『誕生日おめでとう』の文字。当たり前だ、ハルの周りにはいつも人がいる。
24時ぴったりに送ってきているものが大半で、早朝から今の時間までも何人かからメッセージが来ている。やはり昨日はずっと起きているべきだったのかもしれない。
少しスライドしてバツ印をタップすれば、今まで来ていた通知だけはパッと消えてしまう。こんなことをする自分は卑しい。
「勇也、おはよ」
「…はよ」
その先の言葉が出てこない。通知を消してしまったからハルはきっとまだ気づいていないだろう。
「…ハル」
「ん?どうしたの」
「その…」
どうして俺はたった一言おめでとうと言うことすら出来ないのだろう。起きようとしたハルの服の裾を掴んで、また離した。
「なに、いいよ言って」
「何もねえよ」
言いたいのはこんな事じゃない。困惑するハルの横で固まっていると、またハルのスマートフォンに通知が来た。案の定それは『誕生日おめでとう』の文字。しっかりとそれを捉えたハルは、今思い出したとでも言うように声を漏らした。
「あー…今日か、俺の誕生日」
「…誕生日、おめで…と」
今になってようやくその言葉が出てくる。口にしたのはもしかしたら人生で初めてかもしれない。誰かの誕生日を祝ったり自分が祝われたりしたことなどなかったから。
「ん、ありがとう。嬉しい」
優しく抱きしめてくれるハルに胸が苦しくなった。せっかく言えたはずなのに、満足とは言い難い。
「どうかしたの?」
「一番最初に…自分が言えると思ってた…から」
「勇也が一番最初でしょ?今俺たち二人しかいないんだから」
「そういうことじゃなくて…」
拗ねたように視線を外すと、スマートフォンをもう一度見てなにかに気づいたハルが俺をあやす様に頭を撫でた。
「直接顔を見て伝えてくれたのは勇也が一番だったよ。俺だって自分の誕生日なんか意識してなかったし、それになにより…」
不意に短くキスをされ、ハルとしっかり目が合う。
「勇也から言われるのが一番嬉しい。今まで誕生日祝われてもなんとも思わなかったし、ただ歳を無駄に重ねるだけだと思ってたけど…今は違うから」
「お前はなんでそういう恥ずかしいことばかり言うんだよ」
「事実だからいいじゃん」
ハルの胸に抱かれて、しばらくその鼓動を聞いていると不思議と落ち着いて眠気が襲ってくる。
しかしケーキの仕込みをしなければならないことを思い出し、勢いよくベットから飛び退いた。
「え、なに、嫌だった?」
「いや、ケーキの仕込みを…」
「ケーキ作ってくれるの?」
「まあ、誕生日だし…クリスマスに食えなかったし」
ケーキという単語を聞いてハルはキラキラと目を輝かせる。
「あの、イチゴ乗ってるやつがいい。ショートケーキ」
「そのつもりだけど」
「本当?あ、あとあれ、ロウソク立てたい」
確かキッチンの引き出しの中にロウソクが入っていたような気がする。なぜ入っていたのかは分からないが、佳代子さんがいれたのだろうか。
「ああ、まあいいけど」
「やった〜楽しみにしてるね」
本当に子どもみたくはしゃぐハルが愛おしい。逆にここまで喜ばれると思っていなかったから、期待されている分うまく作らなければならないと思った。
「…俺と兄貴って誕生日近くてさ、兄貴の方が早いから、必然的に俺のもまとめて祝われてたんだ」
寂しそうに、けれど少し嬉しそうにハルはそう話す。自分も誕生日を祝われることがなったから、その寂しさは良くわかる。
「祝われるのは兄貴ばっかりで、俺はプレゼントだけ渡されて放っておかれてた。だからこうやって勇也が俺のために色々してくれるの、本当に嬉しい」
そう言って微笑むハルの顔を見ていたら堪らなくなってしまって、後ろから腰にしがみつくように抱きついた。
「どうしたの急に」
「別に…誕生日だから」
「あはは、毎日誕生日ならいいのに」
ケーキの出来は中々だった。この家はほぼ使われていないが上等な調理器具が多いから、かなり本格的なケーキを作ることが出来る。
我慢出来なかったハルがキッチンにやってきて、クリームの上に一緒に苺を並べた。
ダイニングテーブルにケーキを置きロウソクを刺すと、ハルはいそいそと電気を消しに行く。その際にバースデーソングを熱望されたが、知っているはずの歌なのに思ったように音が当たらず、ハルには散々馬鹿にされた。
「絶妙に音痴だね、でも可愛い」
「うるせえ!自分でも音痴なのは分かってんだよ…もう二度と歌わねえからな」
ハルがホールケーキの半分を食べ終えたあたりで、インターホンが鳴る。恐らく佳代子さんだと踏んで玄関まで行くと、ドアの外には久しぶりのふくよかな笑顔が待っていた。
「久しぶりね、遥人さん今日はお誕生日でしょう?お誕生日おめでとう。あら、これケーキかしら?双木さんが作ったの?素敵〜」
「今日はよく喋るね佳代子さん」
「だって久しぶりなんだもの。あ、そうそう、あなたのお父さんからこれ、預かってきたから」
佳代子さんは忙しなく動いて、紙袋からブーケを取り出してハルに手渡す。見たところそれは、青い色をした薔薇のようだ。
「うわ…これ父さんが?」
「ええ。昔はそんな簡単に青いバラは手に入らなかったんだけどね、今はそうじゃないらしいから…どうしてもそれを遥人さんに渡したかったんですって」
「そっか…ちゃんとお礼しなきゃね」
嬉しそうなハルの顔を見ると、自分までも嬉しくなる。ハルの誕生日が幸せなものであって良かったと、心からそう思えた。
「今日は置くものだけ置いたらすぐに帰るわね。二人で楽しんでちょうだい」
「楽しむってそんな…別にいいです」
「やだ、双木さんも照れなくていいのよ〜あ、ケーキありがとうね、美味しかったわ」
残ったケーキを一切れ佳代子さんに食べてもらうと、その後すぐに帰り支度をし始めた。意味ありげに何度も微笑んで「それじゃあね」とだけ言うとそそくさと家を出ていく。残された俺とハルは半ば呆れたように笑いながら顔を見合わせた。
今日はずっとハルと一緒にいてやることが出来た。それだけで満足だ。ただ最後に残された課題は、今目の前にあるこのパジャマだった。
風呂上がりに用意したのはいいものの、なかなか着る勇気が起きない。
しばらく悩んだ末結局それを着て、心の中で似合わなさに嘆きながらもハルの部屋の前で右往左往していた。
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