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第226話Underwater③
涙を流した俺を見た朝比奈はぎょっとして、焦りながらも罵倒の言葉を浴びせてくる。
「な、なんですか、図星ですかぁ?こんなんで泣いちゃうとか、二中の狂犬が聞いて呆れるわー…」
「悪い、こんなつもり…なかっ…」
涙というのは不思議なもので、無理に声を発しようとすると更に溢れだしてくる。声を出したことにより嗚咽交じりの泣き声が漏れてしまった。
朝比奈はまた乱暴に自身の頭を掻いている。
「……あーもう!やりづれぇな本当に!」
頭の上に何かがバサりと被せられる。黒いそれはどうやら朝比奈の学ランのようで、何故そんなことをしたのか分からなくて学ランから顔を出そうとすると、強い力で朝比奈の胸に抱き締められた。
「朝比奈…?」
「勘違いしないで下さい!僕はカマ野郎の泣きっ面なんて見たくねぇだけですから!あと今僕の顔見たらぜってえ殺す!」
「誰がカマ野郎だ…離せよ、クソ」
「うるせえって言ってんですよ、いいから泣き止むまでこうしててください。学ランに汚ねえモン付けないでくださいね」
ぶっきらぼうにそう言う朝比奈がよく分からない。嫌がらせでキスしてきたり、すぐに嫌味ばかり言ってきたり。かと思えば泣き出した俺にこんな風にしてくるなんて、一体どういう風の吹き回しなのだろう。
その言葉自体は棘があって通常運転の朝比奈だったが、行動には本来持っていたのであろう優しさが垣間見える。
泣き顔を見せたくないのは俺の方だ。それにこうして抱き寄せられると不思議と落ち着いた気持ちになってしまう。
「その、ありがと…な」
「はぁ?何がですか、別に感謝されるようなこと何もしてないんですけど」
「…可愛くねえな」
朝比奈に学ランを投げつけて押し返す。それと同時に朝比奈の顔を見ることになったが、心做しか顔が赤いような気がした。
「お前…熱でもあんの?」
「別にないですけど」
「じゃあなんでそんなに顔…」
「はぁ?!ふざけんな見ないでください!」
短気なやつだなと思いながら朝比奈の胸を叩くと、慌てて俺から距離をとって立ち上がった。
「変なやつだなお前」
「ふん、ホモに言われたくないです……そんな辛気臭い顔しないでくださいよ冗談ですから」
「お前俺のこと嫌いなのかなんなのかハッキリしろよ」
「なんとも思ってないです。眼中にもない」
朝比奈が思っていたよりも表情豊かだったから、思わず顔が綻んでしまう。嫌な奴だと思っていたけれど、こいつは性根が腐っているわけではなさそうだ。
タバコを壁に擦り付けて消した朝比奈は、チラチラと俺の方を見ながら何かを言いたそうにしていた。
「なんだよ、なんかあるなら言え」
「いや…その、小笠原さんとは結局どうなったのかなって。別に全然興味なんてないですけど」
「…家出てきた」
ボソリと呟く。朝比奈はまた驚いた顔をした。思ったことが顔に出てしまうのか、とてもわかり易い。
「結構ガチの喧嘩なんすね。一体何が原因で…あ、僕のせい…?」
「あー…まあ間違ってはねえな。お前の嫌がらせのせいで俺が責められて」
「そんな事言われても僕は謝りませんから!…でも、写真のことは悪かったなってほんの少しだけ思ってるんで…すみませんでした」
謝らないと言った直後に謝っていることにはあえて触れないが、朝比奈がそれに罪悪感を持っていたことに驚きを隠せない。
「だってお前、ゆするためのネタだったんじゃ…」
「僕が目の敵にしてるのはどちらかというと小笠原さんの方なんで。双木先輩巻き込むのは、なんていうか、その」
「けど俺のこと嫌いなんだろ?ジュリエットのこともあったし」
「だ、だから別に嫌いじゃないっていうか、好きでもないですけど!」
何があったのかは知らないが、朝比奈の俺に対する見方が変わっているような気がする。前はただ単に怒りをぶつけて忌み嫌っているようだったが、今はなんだか遠慮がちだ。
「じゃあ、誰にも言ってないのか?俺達のこと」
「言ってないですよ。この前のも冗談なんで気にしないでください…ていうか、否定しないんですね」
「あの写真見せられたら言い訳のしようがねえだろ」
「だからすみませんって…それで、双木先輩は家出て今どこに住んでるんですか?友達とかいなさそうですけど」
わざわざ気に障るような物言いだ。朝比奈の言動はなんとなくハルのそれと似ているような気がした。ハルの方は性根が腐っていると言っても過言ではない気もするが。
「ダチくらいいる…でも、今日からは無理らしいから…どこも泊まるとこねえな」
「二中の連中はどうしたんですか?慕われてたらしいですけど」
「中学んときは連絡手段なかったから…今も連絡先知らねえ」
「…じゃあ今日は野宿でもするんですか」
あまり深く考えていなかったが、上杉にも真田にも頼れないとなると本当に寝泊まりする場所がない。
「まあ、そうなっても仕方ねえか…」
「何言ってんすか、ホテルとか漫喫とかカラオケとか…なんかあるでしょ」
「金持ってきてねえし」
「はぁ?それで家出とかアホじゃなんじゃないですか?」
返す言葉もない。本当に勢いだけで出てきてしまったから金など持ってきていなかった。そもそも金自体出しているのはハルもとい小笠原なのだからあまり俺が勝手に使うのもいただけない気がする。
「…ほんとにな」
「べ、つに…その、どうしてもって言うなら…僕の家泊めてもいいですけど」
目を見開いて朝比奈の方を見つめる。まさかそんな事を提案してくれるとは思わなかったから、今のが冗談なのかと疑ってしまう。
「本当にいいのか?また冗談で…」
「こんな冗談言いませんよ。うちは小笠原さんと違って普通の家だし…多分母親も家にいますけど、それでもいいなら」
「俺の方こそ、そっちの家に迷惑がかからないならなんでもいい。まさかお前がそんなこと言うと思ってなかったけど、ありがとな」
「助けたわけじゃないです。ただ放っておいてその辺の物好きなオッサンにでも拾われたら可哀想だなと思って!」
何故こいつはいつも少しキレ気味なのだろうか。それはそうと寝泊まりする場所が確保できてとても助かった。
「拾われるなんてことあるわけねえだろ…女じゃねえんだから」
「そんなの分からないじゃないですか!だって双木先輩そんなにかわっ…」
「は?川?」
「なんでもないです!…放課後家まで案内するんで連絡先教えてください」
そう言われて、辛うじて持ってきていたスマートフォンを取り出す。ハルから100件以上のメールや電話の履歴があったが、見て見ぬふりをした。
「アドレス帳人少な…全然友達いないじゃないですか」
「うるせえ」
「…小笠原さんのこと、ハルって呼んでるんですか」
朝比奈の顔が少し曇る。また気持ち悪いと思われてしまっただろうか。それでも仕方がない。俺が呼びたくてこう呼んでいるのだから。
「俺がなんと呼ぼうが俺の勝手だろ」
「別になんにも言ってないじゃないですか。大体中学の人は小笠原さんとか遥人さんとか呼んでたんで、新鮮だなって思っただけです」
連絡先を交換してから、チャイムが鳴ってそれぞれ教室へ戻っていく。この前あれだけ悪態をつかれて嫌がらせを受けた相手の家に泊まるというのは、危機感のない行為なのかもしれない。
けれど今日話してみればそれほど嫌な奴という訳でも無さそうだったから、俺はすっかり安心しきってしまっていた。
それでも、朝比奈の家に行くことはあまりハルに知られたくない。きっと普段のハルなら絶対に許さないだろう。
俺の方にも多少なりとも罪悪感はある。けれど今あの家に帰るわけには行かなかった。
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