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第227話Hot and Cold
放課後、変わらず生気のないハルを尻目に教室を出ようとするといきなり声をかけられた。
「勇也…話したいことが」
「俺はまだお前と話すことなんて何も無い」
「ご、ごめん…」
少し冷たかったかとも思ったが、あまり今のハルを見ていると可哀想だという感情が湧きそうなので、すぐに教室を出て校門で待っているはずの朝比奈を探した。
中々それらしい生徒が見つからずウロウロしていると、後ろからいきなり軽くどつかれる。
「さっきからここで呼んでるんですけど、なんで気づかないんすか」
「ああ、悪い…その格好だから気づかなかった」
最近は朝比奈の髪をかきあげた姿のほうが目に馴染んでいたので、髪を下ろして目の隠れた朝比奈はすぐに見つけられなかったようだ。
「ちょっとだけ電車乗らなきゃいけないんですけど大丈夫ですか?電車賃くらいだったら貸しますけど」
「……多分大丈夫」
電車の中はそれほど混んでいない。二駅程だと言っていたが、どうも電車の中にいると色々思い出してしまう。
いつもはハルが一緒に乗っていてくれたから大丈夫だった。けれど今ここにハルはいない。離れて立っていた朝比奈の学ランの裾を、少しだけ握ってしまった。
「何してるんですか、伸びるんですけど」
「…悪い、本当に…少しだけ、だから」
息苦しくなるのを必死に抑えていると、腕を引かれて朝比奈の側まで体を寄せられた。
「そこから手伸ばしてたら邪魔になりますから…後、電車苦手ならもっと早く言ってください」
「…ありがとな」
「お礼言われるようなことしてないですけど」
朝比奈の家は良くも悪くも普通の一軒家だった。ハルの家も真田の家も規格外のものだったから、普通の家を見るとなんだか安心する。
「おじゃま…します」
「勝手に上がってください。多分リビングに母親いますけど、父親は単身赴任中でここにはいないっす」
玄関に上がって自分と朝比奈の分の靴を揃えると、リビングの扉が開いて朝比奈の母親らしき女性が出てきた。歳は佳代子さん達と同じかそれより上くらいで、佳代子さんとはまた違うタイプの元気そうな人だ。
『泰生が友達連れてくるなんて珍しいね、その感じだと中学のときの子?』
「いちいち出てくんなよ、つか高校の先輩だし。今日泊まってくから」
『あ、そうなの?じゃあご飯多めに作らなきゃね。どうも〜泰生の母です、早速先輩と仲良くなるなんてね。感じ悪いけど本当はいい子だから』
「余計なこと言うなっつーの」
よく喋るところは佳代子さんと同じだ。朝比奈は口は悪いが母親と仲が悪い訳では無いのだろう。俺はこんな会話、今までしたことがなかったから。
『あんたの部屋汚いから片付けといたからね!良かったね汚い部屋に友達呼ぶことにならなくて!それと、ちゃんと夕飯の準備手伝いなさいよ!』
「分かってる!つか勝手に部屋入んじゃねえよババア!」
『誰がババアだって?!』
大股で階段を上っていく朝比奈の後を小走りでついていき、一度振り返って朝比奈の母親に会釈をした。
二階には部屋がいくつかあって、そのうちの一つに朝比奈が入っていく。後に続くと、そこは母親が片付けたらしいごくごく普通の部屋だった。ベッドが一つ置いてあり、天井が高く壁にかかった梯子の先にはロフトがある。
「あー先輩ベッドで寝ますか?僕はロフトでもいいですけど」
「いや、ロフト使っていいなら…そっちで」
「はーい。なんか、適当にその辺座ってていいですよ」
思っていたよりも朝比奈が俺に対して普通に接してくれているので、むしろ何か騙されているのではと思ってしまう。
「隣の部屋って誰かいるのか?」
「あー…クソ姉の部屋です」
「姉ちゃんいるのか。いくつだ?」
「僕の七つ上だから…23?社会人一年目です」
そんなに年の離れた姉がいるとは思わなかったけれど、朝比奈になんとなく弟っぽさがあるのはこのためだったのかもしれない。
「結構年離れてんのな」
「しばらく彼氏の家泊まるって言ってたんで今頃ヤッてんじゃないですかね。まあ隣の部屋から姉の喘ぎ声聞こえてくるよかマシですけど」
そんな話を聞くと思わず顔を逸らしてしまう。あまりこういう話に耐性がなかったから、自分の顔が熱くなっていくこと自体恥ずかしかった。
「すぐ顔赤くなるんですね、わかりやす」
「うるせえ…」
「男子高校生の話なんてこんなもんでしょ。小笠原さんとこういう話しないんですか?」
ハルの名前が出てくると黙ってしまう。そもそもハルは女の話を俺の前であまりしないし、俺自身は女性経験などないから男女の生々しい話は知らない。
中学の時だって周りの奴らが持ってきたエロ本でさえ恥ずかしくて見ることが出来なかった。
「そういう話は苦手だから…」
「へえ…じゃあしてないんですか、小笠原さんとこういうこと」
いきなりどさりと床に押し倒される。何が起こったのか分からなかったし、なんの目的があってそんなことをしたのか考える暇も無かったけれど、ただ頭の中をいくつもの記憶がよぎって目をぎゅっと瞑ってしまう。
こうされた後どうなるか自分の中では確定されてしまっていた。それはあの男だってそうだし、ハルに関しても当てはまることだった。
「せ、先輩…?そんなガチで怖がらなくても…」
「…悪い…大丈夫、だから」
「大丈夫そうには見えないんですけど…あの、本当に僕はこんなつもりじゃ」
慌てて俺の上から退いた朝比奈は狼狽えて、立ち上がったかと思うと部屋の中を右往左往し始めた。
目を開いたらそれが見えたものだから、見た目とのギャップも相まって笑ってしまう。
「な、何笑ってるんですか!」
「いや、悪い…慌てすぎだろお前」
「先輩がそんな反応するから!」
そんな風に怒りつつも手を差し出してくれる朝比奈の手に捕まり、やっと体を起こす。思ったよりも強く手を引くから、勢い余って朝比奈の胸に収まってしまった。
「あ、悪い」
すぐに体を離そうとしたのだが、何故か朝比奈はその状態のまま動かなくなってしまう。耳元でドクドクと主張する朝比奈の鼓動が鳴り響いていた。
「朝比奈…?」
不思議に思って顔を上げると、顔を真っ赤にした朝比奈の見開かれた目と視線がぶつかった。
その瞬間朝比奈は俺の体を思い切り突き飛ばす。ベッドの足に頭を打って、地味な痛みがじわじわと湧き上がった。
「いってぇ…なんなんだよ」
「い、いきなりくっついてこないでください!俺そういう気ないですから!」
「はぁ?何の話してんだお前」
顔を真っ赤にして怒る朝比奈は酷く汗をかいている。そこまで怒るようなことをしただろうか。情緒不安定にも程がある。
「つか、そんなに怖がるってことはもしかして小笠原さんになにか__」
『泰生〜入るよ』
「うるっせえババア!入ってから言うな!」
朝比奈の母親が扉を開け入ってくると、朝比奈は反抗期の態度に切り替わる。
『夕飯の支度手伝うって言ったでしょ!さっさとおいで。きみはここにいていいから、えっと…』
「あ、双木です…」
『マタギ?珍しい苗字だね。じゃあ双木くんはくつろいでて。ほら泰生は早く来な!』
「いってぇな、行くから引っ張んなって!」
子猫のように首根っこを捕まれ部屋から引き摺り出される朝比奈を目で追って、ここに世話になるのだから何もしないわけにはいかないと思い立ち上がった。
「あの!…良ければ、俺も手伝い…ます」
見るからに立派な不良生徒が急にそんなことを言うものだから、朝比奈もその母も目をぱちくりさせて俺のことを凝視した。
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