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第228話Hot and Cold②
二人の反応を見て、言わなければよかったと少し後悔する。確かにとてもではないが俺が料理ができるようには見えないかもしれない。
『気持ちは嬉しいけど、お客様だし…』
「あの、実はちょっと何日かお世話になるかもしれなくて…」
『それは構わないけど、無理しなくていいよ?』
「こんな事言うのあれなんですけど…普段、料理してるんで」
驚いていた朝比奈の母親の顔は、次第に笑顔へと変わっていく。
『へえ〜そうなの!私あんまり料理は得意じゃないんだけどさぁ、そう言ってくれるなら双木くんが料理してるところ見てみたいかも。手伝ってくれる?』
「はい…頑張ります」
相変わらず驚いた顔をしたままの朝比奈を部屋に置いて、朝比奈母の後について下に降りていく。少し遅れて、朝比奈も階段をバタバタと駆けて降りてきた。
朝比奈母の料理は下手というわけではないが豪快だ。今日の献立は唐揚げらしいから料理らしい料理をした訳では無いのだが、朝比奈家の作り方に合わせ味噌汁や副菜を作っていった。
朝比奈も母親にあれだけ悪態をついていながら、特に文句も言わず手伝いをしている。
『双木くん手際がいいんだね、バランスも味付けも良く考えられてるし…もううちの子になりなよ、泰生と交換』
「ふざけんなクソババア」
『冗談でしょうが。あとお母さんのことババアって呼ばない!前みたいにママ〜って呼んだら?』
「い、いつの話してんだよ!」
普通の家庭とはここまで賑やかなものなのだろうか。いつもこれなら楽しいだろう。ついハルとの日常を思い出して感傷に浸りそうになった。
『双木くん、いつも料理してるって言ってたけどご両親はお仕事忙しいのかな?』
「俺、親いないんです。今はその…友達、と住んでます」
『そうなの…ごめんね、何も知らずに聞いて』
「いえ、もう慣れたんで」
少し空気を悪くしてしまったなと思いつつ、夕食を三人分テーブルに並べた。
親のことに関しては今更慣れてしまったけれど、俺にとってはハルと住んでいることへを意識してしまって気持ちが曇った。そういえば今頃、ハルはきちんと飯を食えているのだろうか。何も食べなかったり体に悪そうな加工食品ばかり食べたりしているのではと思うと気が気でない。
そんな中、唐揚げを箸で持ちながら朝比奈母がまた声の調子を変えて俺に質問を投げかける。
『その、友達っていうのは何人かでシェアハウスしてるってことなの?』
「あ、いや…同級生の、小笠原と…二人で」
それを聞いていた朝比奈は既に知り得た情報だからつまらなそうに唐揚げをつつき、口に入れてから驚いた顔をしてまた一つ、また一つと食べていく。
『小笠原…って、泰生の中学のときの先輩でしょ!ほら、あのイケメンの!』
「はしゃぐなよ恥ずかしいから…」
『そういえば、あんた小笠原さんみたいになるんだって言って不良になったんだよね?あの時は真似して髪まで赤く染めちゃってさ』
朝比奈が思い切り机を叩いて立ち上がる。その勢いで箸が一本床へ落ち、カランと音を立てて転がっていった。
「やめろ…それ以上その話するな!」
朝比奈はまた顔を真っ赤にしている。その目つきは鋭かったが、恥を忍びながら泣きそうになっているようにも見えた。
『泰生…ちょっと待ちなよ、どこ行くの』
「部屋。もう飯いらねえ」
『何言ってんの!折角双木くんが手伝ってくれたのに』
朝比奈は何も言わずそのまま二階へ上がってしまった。朝比奈母が申し訳なさそうに眉を下げてため息をつきながら呆れたように笑う。
『ごめんね、あいつ今更反抗期でさ。私達のせいで双木くん嫌な気分にさせちゃったね』
「いや…大丈夫です」
朝比奈の落とした箸を拾い、テーブルの上に置く。数秒間沈黙した後、朝比奈母が再び口を開いた。
『泰生が中学生になったとき、単身赴任で夫が関西の方に行っちゃったの。あいつパパっ子だったから凄い拗ねちゃってさ、月に一度は夫がこっちに帰ってくるんだけど、それでも悪態ばかりついて』
「はあ…」
『そのとき丁度中学の小笠原っていう先輩に憧れて不良なんかやっちゃって、最初は私も不安だったけどなんだかんだ言って根はいい子のままなんだよね』
その慈しむような目が、とても尊いものだと思った。この人はきっと自分の息子が凄く大切なのだろう。それがその表情からひしと伝わってくる。息子がグレても尚こう言ってくれる親もいるものなのかと感嘆した。
『でも一回それにのめり込むと一直線になりすぎちゃうのがいい所でも悪いところでもあるかな』
「それはどういう…?」
『盲目的になっちゃうんだよね。影響も受けやすいし…だからあんまり友達多くないんだ、あいつ。私には隠してるけど、見てるとわかっちゃうんだ』
一体ハルのどの部分に憧れたのかは謎だ。実際今の朝比奈はハルを目の敵にしていると自らの口で言っていた。
あの態度からまさかハルを慕っていたとは思ってもみなかったから、それで尚更ハルを目の敵にするようになった明確な理由も分からなくなった。
『何があったかは知らないけど急に今の高校目指すって言って勉強し始めてね。私もまさかあいつが受かると思ってなかったからすごく嬉しかった』
その受験への原動力がジュリエットだと思うと俺からは何とも言えないのだが、影響されてそこまで努力できるのだから大したものだと思う。
『そっか…また小笠原さんとやらと同じ高校に通ってるんだ。しかも双木くんと仲良くなれたみたいだね、ちょっと安心しちゃうなあ』
「…そうっすね」
今はハルのことを恨んでいるようだったし、俺とも別に仲がいい訳では無いのだがとりあえずここは話を合わせた方がいいだろう。
『無理にとは言わないけど、泰生とこれからも仲良くしてやって。短気だしガキだけど、意外と思いやりもあるから』
「…分かりました」
片付けを手伝った後、風呂に入ることを勧められる。昨日使った服は洗濯してくれるとのことで、代わりに朝比奈の服を手渡された。
勝手に着ていいのかと迷ったが、朝比奈母の押しに負けてそのまま風呂に入ることにした。
湯船に浸かると、首元がやけに滲みて痛かった。見れば、そこにはくっきりとハルの噛み跡が残っている。
少し血の滲んで赤くなったそこは、ほぼ傷跡と言っていいだろう。本気で噛み付いてくるなんて、そっちの方がよっぽど犬みたいじゃないか。
マーキングと言えばいいのだろうか。この噛み跡もキスマークも、全てハルのものだという印。消したいとは思わない。
ハルは俺が朝比奈に取られると思ってこんな跡を付けたのだろうか。取られる心配など無いと言うのに。あれはただの嫌がらせだ。
とは思ったけれど、俺はそのことをちゃんとハルに説明できていない。あのときすぐに事の成り行きを説明していればハルだって怒らなかったかもしれない。ハルはただ俺と朝比奈がキスしているところを目撃してしまっただけなのだから、勘違いしてしまうのは仕方がなかった。
だからと言って今回ハルが俺にしたことを簡単に許すのは話が違う。自分が感じた恐怖を、屈辱を、簡単に許してしまってはいけない。この先の自分達のためだ。俺がこの先もハルと一緒にいられるように、贅沢にもハルに大切にされたいと思っている。
考え事をすると長風呂になってしまうのはどうやら俺の癖のようだ。若干のぼせ気味に火照った体で脱衣所へ出ると、逆に中へ入ってきた朝比奈とバッタリ鉢合わせてしまった。
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