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第229話Hot and Cold③

「あ、悪い…風呂借りてた。あとおばさんが服も使っていいって言うからこのあと借り…」 「ま、まだ入っているなら言ってくださいよ!つか風呂長いし女子かよ!」 「だから悪かったって」 何故か朝比奈は自身の顔を覆って隠している。お前こそ女子じゃあるまいしと言いたいところだが、まさかまだ朝比奈は俺のことをジュリエットと重ねて見ているのだろうか。 「い、いいですから!服着てください服!僕の服でもなんでもいいです!」 「あのなあ、俺は男だしジュリエットじゃねえからな」 「わかってますよ!別に男の裸なんて見たくないだけです!」 乱暴に服をなげつけられ、仕方なくそれを着る。サイズが少し大きいうえにシルエットも大きめにつくられているからか、Tシャツがまるでワンピースのようだった。 「これ…お前が着るにしてもでかくねえか」 「先輩が小さいんです…ってなんですかその格好やめてください」 今度はズボンが顔をめがけて飛んできて、それを履いてようやく朝比奈と目が合った。 「機嫌直ったのか、反抗期」 「反抗期って言うな…まあ、その、さっきのは僕が悪かったし。飯、折角作ってくれたのにすみませんでした」 素直にそう謝る朝比奈に驚き、また随分良くできた後輩だと思ってついハルにするみたいに朝比奈の頭を撫でてしまった。 「な、な、何するんですか!子ども扱いしないでください先輩の方がチビなくせに!1年早く生まれたからって調子乗ってんじゃねえ!」 「悪い、つい癖で…お前本当に忙しいやつだな」 「意味わかんねぇし、僕も風呂入りたいからさっさと出てってください!」 脱衣所から押し出され、扉をバンと閉められる。あまりの勢いに呆然としていると、もう一度扉が開いて朝比奈がこちらに顔を見せないままドライヤーを俺に差し出した。 「これ、使うでしょ」 「ああ…ありがとな」 「それと…飯、うまかった…っす」 それだけ言うとまた扉を勢いよく閉めた。相変わらず感情の起伏がよく分からないが、こういう年下らしく可愛いところもあるものなのかと新鮮な気持ちになる。 行っていいのかは分からなかったが、朝比奈の部屋に入って髪を乾かす。個人的には乾かす必要など別に無いのだけれど、いつもハルが乾かさないと髪が傷むだとかなんだとかうるさいから最近は乾かすことが習慣づいていた。 またハルのことを考えてしまったと思い頭を振る。何か考えようとしても思い浮かぶのはあいつの顔ばかり。今頃どうしているだろうか。 「先輩、ドライヤー終わりました?」 部屋のドアが開いて朝比奈が入ってくる。使い終わったまだ熱の残っているドライヤーを無言で差し出し、何故かお互いの顔を見合った。 「なんか…髪の毛違うと印象も違いますね。そっちの方が…」 「お前はまた随分可愛らしい髪型だな」 「はぁ?何言って…あっ!」 朝比奈の長い前髪は可愛らしいピンク色をしたドッド柄のヘアピンで留められていて、俺に言われてようやく気づいたのか焦りながらそれを外す。 「これは、ちが、その…!」 「いいじゃねえか、似合ってんぞ」 「笑わないでください!姉が要らないからってくれたから使ってただけで、僕の趣味じゃねえし!」 必死に弁明しようと焦る様子がおかしくて、堪えきれず笑ってしまう。苛立ちながらドライヤーを終えた朝比奈は、少し離れたところに座り込んで俺の首元をじっと見つめていた。 「それ…噛まれたんすか」 「あ、ああ…まあ、大したことない」 「小笠原さん…ですよね、キスマークも付いてるし」 キスマークと言われ咄嗟に首を隠す。今更意味無いと分かっていたのだけれど、キスマークまで見えているとは思わず焦っていたのだろう。 「キスマークは冗談です。そんな反応したら色々とバレバレですけど」 「お前…冗談も程々にしろよ」 「気をつけまーす。あ、双木先輩いつもどれくらいの時間に寝てますか?合わせて電気消しますけど」 「テスト前以外は大体今くらいの時間に寝てる」 ハルと暮らして風呂上がりは少しだらけたらすぐに寝る習慣がついていたから、高校生にしては就寝時間が少し早いかもしれない。 「分かりました。じゃあ俺ももう寝るんで電気消します。ロフト登ってていいですよ」 「いいのか?まだ起きてたいなら無理せず…」 「あーいいです大丈夫です。起きててもすることねえし」 高い所はあまり得意ではなかったけれど、慎重に梯子を登って既に敷かれてあった布団に入った。きっと最初からあった訳では無いだろうから、怒って部屋に戻った後わざわざ敷いてくれたのだろう。 電気が消えたあとロフトから顔を出して、ぼんやりと見える朝比奈の影に声をかけた。 「布団、ありがとな。あと、本当に今日は色々と…」 「別に。罪滅ぼしみたいなもんです」 「その…答えたくなかったら、答えなくていいんだけど」 「小笠原さんのことについてですか?」 少し低くなった声に躊躇いながらも、小さく肯定の返事をする。 それが聞こえていたのかも分からないけれど、朝比奈は気だるげに話を始めた。 「小笠原さんに憧れてたっていうのは本当です。今思うと恥ずかしいですけど、ピアス開けたのも髪染めてたっていうのも、全部小笠原さんの真似でした」 「…あいつに憧れる要素なんてあるか?」 「酷い言い様ですね…」 一般的に見たハルのいいところと言えば外面くらいだ。しかし五中にいたのなら小笠原遥人が如何に非道な人間だったのか知っているはずではなかろうか。 朝比奈は乾いた声で笑って、自らを嘲笑するように話を続ける。 「あの人は…小笠原遥人は、僕が欲しかったもの全部を持ってた。顔や家柄や権力、人望も…何もかも全て」 暗闇に目が慣れてきて、ベッドに横になった朝比奈の姿が見える。その目はぼんやりと天井を見つめていた。 「僕は、小笠原遥人になりたかった。けどダメだった」 「駄目だったって…」 「小笠原さんが卒業して、僕には何も無くなった。残された僕達のことをあの人は振り返りもしませんでした。だからこんどは自分が…って思ったんですけど、そうも上手くいかなくて」 確かにハルは二中の奴らとは連絡を取っていたものの、肝心の母校の生徒にはなんの手も付けていないようだった。自分の島という感覚はハルには無くて、ただ中学の三年間だけ使う遊び場のような感覚だったのかもしれない。 「そもそも、双木先輩の言う通り僕は小笠原さんに興味持たれて無かったんです。常に前線にいたし、副会長だって小笠原さんに近づくためにやってたのに」 「そこまでして…」 ハルの他人への執着の無さは異常だ。逆に家族や俺への固執も異常ではあるけれど、興味が無いと全く頭に入れようとしないらしい。 「そんな誰にも興味を持たない、冷酷で非道な五中の頭が唯一没頭したものがありました」 「没頭したもの?」 「二中の狂犬です。いつもつまらなそうで冷たかった目を輝かせて、口を開けば双木勇也の名前ばかり」 思わず口元を押さえる。一体いつからハルは俺の存在に目をつけていたのだろう。 ジュリエットの件だけでなくても、朝比奈が俺を毛嫌いする理由には充分な気がした。自分の慕っていた人間が他人に興味を向けたら誰だって面白くないだろう。 「それは…」 「悪かった…って言うんですか?双木先輩は何も悪くないですよ。あの人はそういう人間なんです、双木先輩もよく知ってるでしょう?」 「…ああ」 「その後は吹っ切れて、赤髪もやめたしピアスも好きなだけ増やして刺青まで入れました。ただヤケクソになっただけですけど」 朝比奈は今のハルのことをどう思っているのだろうか。多少冷たさは軽減されたけれど、朝比奈のことはやはり覚えていないらしかった。 「今のあいつは、どう思ってる?」 「正直憎いです。今度は正統派で人望集めてるみたいですね…それに」 「それに?」 「…双木先輩は、やっぱり本当に好きなんですか。小笠原さんのこと」 いきなりそんな話を振られて意味もなく口をぱくぱくと開閉させる。何故誰にしてもそんな質問ばかりしてくるのだろうか。冷やかされているわけでは無いのだろうけれど、答える方もそれなりに覚悟がいる。 「…ああ」 散々間を溜めてようやく短い返事だけをした。朝比奈がしばらく何も返さないから、変に緊張感が走る。 「僕、まだ小笠原遥人になりたいって少しだけ思ってます」 「どうして…」 「…僕が欲しかったもの、全部もってるから」 「またそれかよ」 確かにハルは多くのものを持っている。けれど朝比奈は知らないかもしれない。ハルが唯一手に入れられなかったものを自分が授かっているということを。 誰だって無い物ねだりだ。普段から親に愛されていればその尊さに気づくことなど出来やしない。 一概に〝恵まれている〟と言ってはいけない。それを俺はよく知っていた。 「僕には何も無いんです。自分なんてどこにも」 「朝比奈は…朝比奈だと思うけど」 「なんですかそれ、ウケる」 「お前はあいつとは違う人間だし…あいつに無いものだってお前は持ってる。憧れるのは勝手だけど、お前があいつになる必要なんてねえしそのままでいい。そもそもあんなのが二人もいたら気持ち悪いだろ」 なんだか説教臭くなってしまったなと思うと、ガタンとベッドから朝比奈が落ちた音がした。大丈夫かと思い見ていると、打ってしまったのであろう腰を押さえながらこちらに中指を立てているのが暗がりに見えた。 「うっざ、先輩は本当にもう…そういうところですよ」 「あ?何がだよ…大丈夫か?」 「ご心配どーも」 再びベッドに戻った朝比奈は掛け布団を頭から被る。もう話す気は無いのかと思って自分も布団に戻ると、ボソボソと話す声が聞こえた。 「小笠原さんになれないなら、それ以上にならなきゃ駄目ってことですか。ハードル高すぎるでしょ」 「ハードルってなんの…」 「寝言です!もう寝てるんで話しかけないでください!」 また起伏の激しい朝比奈を仕方なく思いつつも、そろそろ眠気が襲ってきたので眠る体勢になる。 ハルはまた眠れずクマを作って学校に来るだろうか。朝食もろくに食べないかもしれない。 考えるのはまたハルのことばかり。早く向き合って話をしなければと思うけれど、俺も少し逃げている部分がある。もし次ハルが話しかけてきたら、逃げずにきちんと応じよう。 そう決心すると次第に瞼は重くなり、意識は夜の中に溶けていった。

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