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第232話Convictionー遥人ー
『お前なんか嫌いだ』
あの日からその言葉が常に自分の中を占める。泣きながらそれを口にした勇也の顔が脳裏に焼き付いて離れない。
嫌い 勇也が俺のことを嫌い
嫌いという意味はきっと何度辞書を引いたって変わらない。
あの日俺がベッドから動けるようになったのは、勇也が家を出て行ってしばらく経ってからの事だった。
「勇也…」
気づけばその名前を口にしてしまう。明日はもう学校に行かなければならないのに、一向に眠ることが出来なかった。
一体勇也はどこに行ってしまったのだろう。とは言っても友達が多い訳では無いから聡志や謙太に連絡しているはずだが、それでも不安は拭えなかった。
そもそも勇也は帰ってきてくれるのだろうか。本当に俺のことを嫌いになってしまったのだろうか。勇也に嫌われたら俺には何が残る?
不安だとか焦燥だとかが募る中、ひたすら勇也のことばかりを考えていたら日付が変わっていた。
学校に行ったら勇也に会わなければならない。会いたくない訳では無い。むしろ会いたいに決まってる。
けど勇也は?俺のことが嫌いなのだから会いたくないかもしれない。
だめだ、勇也に拒まれ嫌われることがあまりにも自分の精神を追いやってしまった。
何が悪かったのだろう。きっとそれすら直ぐに理解できない俺がいけないんだ。本来なら分かって当然のはずなのに「これは愛ゆえの行為だ」と自分に言って聞かせて好き勝手していた自分はすぐにその答えを出せなかった。
勇也が好きだ。愛してる。俺だけのもの、俺以外を見るなんて有り得ない。
そう思っているのは自分だけだったのかもしれない。思い上がっていた。自分はお互い好きなら何をしても許されるとどこか心の端で思っていたのかもしれない。
そんなはず無かった。実際俺は勇也を酷く傷つけた。今まで勇也の過去に向き合って、何度も息が出来なくなってしまった勇也を見てきたのに。一緒に呼吸をするどころが、俺はまた勇也の酸素を奪っていた。
嫌われて当たり前。そうなのかもしれない。勇也が自分のことを嫌いになるなんて微塵も思っていなかったから、その根拠の無い自信を胸に俺は勇也に許されないことをした。
何も見えていなかったんだ。あの時朝比奈と勇也がキスをしていたのは、勇也の言う通り何か理由があったのだろう。そんなことは分かっていたんだ。それなのに俺は吃る勇也に憤りを感じてしまった。
怖かった。勇也が自分以外のものになることが。そんな事あるはずないという自信の裏に、自己肯定感の弱い自分が隠れていた。
嫌い 誰も本当のお前を愛してくれない
どこからともなくそんな声まで聞こえてくるような気がして、俺は必死だった。
謎の自信と確信を持った自分は、弱い自分を虚勢で覆って匿っていた。だからこそ、嫌いと言われてその自信が崩れ去った時、何も出来なくなってしまった。
やはりそうだ、自分は愛されるべきでない、最低だ。それを自覚した途端、また言いようのない恐怖が自分に襲いかかってきた。
ほぼ屍のような状態で、いつもなら気を抜かない見た目にも手を入れず学校へ向かった。それで勇也に会えると決まった訳では無いけれど、勇也の顔を見ないと本当に言葉通り死んでしまいそうだった。
案の定勇也は俺から目を逸らしてしまう。それに胸が張り裂けそうなほど傷ついたけれど、きっと俺はそれ以上のことをしたのだろう。
昼休み屋上へ行く旨を聡志に伝えたが、行ってみると勇也の姿はなかった。どうやら昨日は聡志の家に泊まったらしい。
「喧嘩したんだろ、お前ら」
「喧嘩っていうか…まあ、うん」
「一応聞いておくが、原因はどちらにある?」
「十割俺…多分」
聡志も謙太もそれを分かっていたかのように深く頷く。それに対して何か言おうと思ったけれど、今自分が言える立場では無いと分かっていたので慎んだ。
「多分というのが引っかかるが…自覚があるのならまだいいか」
「早く謝って仲直りしろよお前ら」
「謝ってなんとかなる問題なら良かったよ…でももう無理」
ため息をついて蹲る俺を見て、謙太は少し意外そうな顔をした。
「珍しくお前が弱気だな」
「元々強気なわけじゃないよ、実際俺自分に自信なんてないし」
「どうしたんだよ遥人らしくないじゃん。ついに性格悪すぎて双木に嫌われたとか?」
冗談のように聡志が軽くそう言うが、最悪なことにそれが的を得ているから俺は何も言えない。
「まさか、本当に?しかし双木は…」
「嫌いって言われた…割ともう本当にしんどすぎて生きていけない」
「落ち着けよ遥人、冗談のつもりで言ったのに…なんかごめん」
屋上の床に体育座りをして、二人に背を向けぶつぶつと卑屈な自蔑を呟く。
「どうせ俺はクズで最低だよ…分かってるけど何も抑えられなくて本当に理性のないクズ」
「一体何をしたんだお前」
「謙太くんはなんとなく分かるでしょ」
「まさか、電話の時の…!」
謙太の顔が赤く染まっていく。今はそれをからかう元気も無い。
「あれの何万倍か酷いことしたっていう自覚はあるよ…あの時はなかったけど」
「そ、それは…まあ、お前が悪いな」
「え?二人が言ってる電話ってなんの話?」
話の概要が分かっていない聡志は俺と謙太の顔を交互に見て伺ってくる。けれどそれを気にせず謙太と話を続けた。
「勇也昨日なんか言ってた?あ、待ってやっぱり聞きたくない聞いたら本当にここから飛び降りそう」
「…そうだな、つくづく俺は双木の心が分からない。お前、もっと双木のことを大事にしてやれ」
「してるよ!…いや、してなかったからこうなったのか…本当にどうしようもないクズだね俺って」
「なあなあ、何の話?わからないの俺だけ?」
そうか、勇也を大事にしてなかった。勇也が繊細で、もっと大切に大切にしなければならないことは自分が一番よく分かっていたはずなのに。
「嫌いと口走ってしまうほど双木も傷ついたのだろう」
「もう本当に俺…ダメだ。どうすればいい?」
「どうすればと言われても…」
「誠心誠意謝れよ、土下座とか?」
そう言った聡志を睨みつけると、何故か謙太の方は納得したように頷いていた。嫌な予感がする。
「そうだな、それも最終手段かもしれない」
「なんで俺が土下座なんか…!」
「だって遥人、謝っても許されないようなことしたんだろ?かと言って謝らないのも良くないと思うし…」
謝ったことには謝ったのだが、勇也に「今欲しいのはごめんじゃない」と言われてしまった。その言葉は元々俺が勇也に言ってしまったものだ。自分が言われて初めてその言葉がいかに残酷なものか分かった。
「土下座…俺が…」
「勿論それだけでは駄目だからな、ちゃんと自分のした事を認めて心を改めろ。お前が変わるいい機会だと思うぞ」
改心しろと言われても、根っから腐ってしまったこの性格がそう簡単に治るとは思えない。そもそも自分ではそんなに性格が悪いという自覚がないあたり、本当にクズなのだと実感する。
「まあ、でも勇也の話も聞きたいし…ずっと逃げてたけど、ちゃんと話さなきゃ」
「今日にでも話してこいよ、善は急げだぞ」
「聡志、それは少し違う気が…」
二人と話して、勇也に掛け合う決意を固める。かと言ってまだ自分は何を言っていいのやら決まっていないのだけれど、話くらいは応じてくれるだろう。
と、思っていた。
「俺はまだお前と話すことなんて何も無い」
「ご、ごめん…」
見事に拒まれてしまった。もう立ち直れないかもしれない。今日が俺の命日、そう思っていると後ろから揶揄うように声を掛けられた。
『遥人振られたの〜?』
「…うるさいな、クラス違うのに勝手に入ってくんなよ」
『え〜なんか冷たくない?私達の仲じゃん』
「お前と何かあったっけ」
この女は中学が同じだった。だから俺が優等生でないことも良く知っていたし、中学時代に二回寝たことがある。たかが二回寝た程度で彼女面してくるのは心底面倒臭かったが、変に小賢しくてわざわざ高校まで着いてきた。
こいつに興味は無かったし一回で捨てなかったのにも特に深い意味は無い。
『ちょっと待ってよ、私いい話持ってるよ』
「いらねえよ…もう帰るから」
『へぇ、双木くんの話なのにいいんだ?』
その名前が出ると思わず歩を止めて振り返ってしまう。それに対して口角を上げる女の顔が、死ぬほど腹立たしかった。
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