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第239話Premonition
一年というのはやはり早いもので、俺とハルが出会った七月ももうすぐそこまで来ていた。
一年前とは違って俺とハルは恋人同士になったし、真田と上杉という友達もできた。加えて、最近は一年生の朝比奈が俺達のところによく油を売りに来る。未だに何がしたいのかよく分からないのだけれど、ハルと朝比奈の言い合いを宥めるのも最近は流れ作業のようになってきていた。
「これ愛妻弁当だから触らないで。勇也の手料理食べる権利は君にないよ?」
「何が愛妻弁当ですか、僕だって双木先輩の手料理食べたことあります」
「ちょっと唐揚げ作るの手伝っただけだろ調子のんな」
謎の口論を交わしバチバチと火花を散らす。間にいる俺のことなんかお構い無しだ。両側からステレオで喧嘩されるのが鬱陶しくて、二人の胸ぐらを掴んで頭同士をぶつけさせた。
「勇也酷い!俺悪くないのに!」
「何するんですか!小笠原さん石頭すぎなんですけど」
「あ?うるせえ童貞!」
「二人とも黙れ。喧嘩両成敗っていうだろ」
まだいがみ合いをしている二人をよそに、俺は上杉の方へと避難した。
「更に賑やかになったな。朝比奈と言ったか、あの一年は」
「ああ。あいつ昔ハルに憧れてたらしいし、似たもの同士なんだろ」
真田も上杉も朝比奈が屋上にやって来ることに特に口は出さなかったし、寧ろ歓迎している。
更に朝比奈は妙に真田と上杉に懐いていた。ハルや俺に比べて対応が優しいからだろうか。
「上杉先輩、この人が僕の耳引っ張りました!」
「そんなにピアス付けてるから悪いんじゃん。強く引っ張ってないし」
「小笠原、大人気ないぞ」
後ろに朝比奈を匿った上杉がそう言えば、ハルは唇を尖らせて俺の側にピッタリとくっついた。
「何くっついてんですかやめてください暑苦しい」
「本当は羨ましいくせに」
「ちっげーし!このクソバカップル早く別れろ!」
「ん?朝比奈も知っているのか、お前達のこと」
上杉は目を丸くさせる。確かに、俺たちの関係は公にしていないから朝比奈が知っているとは思わないだろう。
「聞いてよ謙太くん、朝比奈くんってば勇也のこと__」
「ちょっと何勝手なこと言おうとしてるんですか!」
「ふむ…では知らないのは聡志だけか」
「そういや、真田は今日休んでんのか?」
今日はその姿をまだ見ていない。いつもは大抵この時間になると課題を終えてやってくるはずだった。
「ああ、恐らく家の事情だろう」
「上杉の方は大丈夫なのか」
「父は俺をあまり関わらせないように配慮してくれているからな。聡志は恐らく自分から首を突っ込もうとしているのだろうが」
相変わらず両家ともまだごたついているらしい。あの一件から虎次郎ともまともに話せていなかった。佳代子さんは毎週家に来てはくれるのものの、あまりプライベートな話を聞くのもはばかられる気がしてできない。
「小笠原さんそろそろ僕と交代してください」
「そんな制度ねえよ、勇也は俺専用」
「うるせえ、お前も暑いからくっつくな」
「朝比奈も…なるほど、そういうことか」
何がそういうことなのかさっぱり分からないが、上杉は納得したようにうんうんと頷いている。
ハルは朝比奈とちょっかいを出し合ってじゃれていた。
「なんだかんだお前ら仲いいよな」
「はあ?!どこが!」
まるでテンプレートのようにその声が二人分重なっている。その様子を見て堪えきれずクスクスと笑うと、二人ともバツの悪そうな顔をした。
「朝比奈くんは俺に憧れてたんでしょ?もう少し敬意を払ってもいいと思わない?」
「そんなの昔の話です。大体あんた僕のこと覚えてもねえくせに」
「今はちゃんと覚えてるよ。ほら、携帯の登録も数字から名前に昇格したし」
ハルの見せてきた画面には『朝比奈泰生』とフルネームで登録された連絡帳が表示されていた。
「そもそも小笠原の言う数字とはどういうことなんだ?」
「中学の時はいちいち下っ端の名前なんて覚えてられなかったから番号つけてたの。基本2桁の数字とかが多いけど、朝比奈くんは1。喜んでいいよ」
「嬉しくも何ともねぇんですけど…ま、でも…小笠原さんから名前で呼んでもらえるのは…」
言葉にしていることとは裏腹に、朝比奈の表情からは嬉しそうなのが読み取れる。相変わらず顔に出やすいようだった。
「みんなに自慢でもしたら?」
「何言ってんすか。あんたどんだけ残された奴らから恨まれてると思ってんだよ」
「えーそんなに?」
自分からしてみればそれは相当なことだと思うのだが、ハルは微塵も気にしていないようだ。
人目も気にせず完全に気を抜いて、俺に抱きつきながら頬ずりをする。今は梅雨だが気温がやけに高くて蒸し暑い。ハルを引き剥がそうと身を引いていると、反対側に何も言わず朝比奈がそっと寄り添ってきた。
「ちょっと朝比奈くん?勇也から離れてくれない?邪魔なんだけど」
「別に小笠原さんの邪魔してないですし」
「お前ら二人ともうるせえし暑いからまじで離れろ」
「双木が困ってるぞ。そろそろ昼休みも終わるし、いい加減にしたらどうだ」
上杉の一言で二人は渋々俺から離れて立ち上がった。徐ろにハルが差し出した手に捕まり、俺も腰を上げる。
「そういえば明日雨だってさ」
「じゃあ、明日はここで食えねえな」
「そういう時どうしてるんですか?」
「そこの階段で食べてる…っていうか、朝比奈くんも来んの?」
あからさまに嫌そうな顔をするハルに、俺と上杉は呆れた視線を向ける。本当にこいつは時々中身が五歳児なのではないかと思ってしまう。
「僕が来ちゃダメなんですか?」
「ダメっていうか…他に友達いないわけ?」
「…別に、そういうのいらないし」
「ハル、いい加減にしろ。いいだろ別に」
朝比奈の母と話したからか、妙に情が湧いてしまう。俺がそう言ったことによりハルは黙って不貞腐れていた。
「じゃあ家帰ったら甘やかしてくれないと嫌だ…」
「本当にガキみたいだな」
「いいでしょ、ダメ?」
「分かったから黙れ」
こんな会話を人前でするのに慣れてしまった。上杉は相変わらず顔を赤くするし、朝比奈はさっきのハルみたいにあからさまに嫌な顔をした。別に慣れてくれとは思わないが、自分たちだけ自然とこのやり取りをしてしまうのが恥ずかしい。
「人目も憚らずにいちゃいちゃするのはどうかと思うんですけど」
「別に見てるの二人だけだし誰にも迷惑かけてないじゃん」
「かかってます、僕に。非常に不快です」
「いいからさっさと教室戻れ」
舌のピアスを見せつけてから前髪を下ろして朝比奈が下へ降りていく。上杉はそんな朝比奈を眺めて考えるような仕草をした。
「朝比奈は、何故わざわざあんな隠し方をしているんだ?隠すくらいならピアスも外して前髪を切ればいいものを…」
「中二病が抜け切ってないんじゃない?」
「ハル、言い方」
「ふん…」
ハルは同じクラスになってからというもの、常に俺にべったりだ。今もそれがさも当たり前のように俺の肩を掴んで歩いている。
「お前、学校ではもう少し…」
「ダメ…?」
「あーもう…駄目じゃねえけど」
いつ誰が何を見ているか分からないというのは、この前朝比奈に写真を撮られて痛感した。
それなのにハルは所構わずくっついてくるし、あろう事か過剰なスキンシップまでしてくる。
俺が気にしすぎなのだろうか。これも杞憂であってくれればいいのだが。
そうもいかないものなのかもしれない。
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