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第240話Premonition

『双木くん、ちょっといい?』 今日は昨日ハルが言っていた通りに雨が降った。やはり屋上には出られないかと思いながら階段を昇ろうと足をかけた時、ふと一人の女生徒に声をかけられた。 その女の名前は知らない。ただ、一度だけ見たことはある。あの時ハルの家へ行ったと大きな声で言っていたあの女だ。そんな奴が一体俺に何の用だというのだろう。 「…俺、お前のこと知らねえけど」 『いいからいいから、少しだけ付き合って?』 呼び止められた階段は廊下と隣接しているから、周りにはそれなりの数の生徒が散らばっている。この女が目立つせいだろうがここにいると嫌に人の視線を感じるから、仕方なく先を行く女の後に着いて行った。 人気のない特別棟まで連れてこられて、相手は女なのにこちらの方が恐縮してしまう。まともに女子と話せたことなどないし、ましてや派手なタイプは特に苦手だった。 『なに、なんか怖がってんの?大丈夫大丈夫』 「一体何を…」 ひとつの空き教室に入り、扉を静かに閉められる。緊張感は凄まじいものだが、これは空き教室に男女が二人きりで放たれる雰囲気とは全く違いどこか殺伐としていた。 『私さぁ、遥人のこと好きなんだよね』 いきなりそれか。そんなことだろうとは思っていたから驚きはしない。けれど、ひとつ気がかりなのはこの女が俺と朝比奈を見たらしいということだ。 「だからなんだよ」 『最近あいつ双木くんにずっとくっついてるじゃん?だから話もできないんだよねぇ、連絡しても無視するし』 「相手にされてないんじゃねえの」 女に対してはこんなこと言いたくないのだけれど、どうしてもハルが絡んでくると嫌味がこもってしまう。 『そんなこと…だって私、中学の時から一緒だし。なんなら二回も遥人と〝そういう〟関係になってるわけ』 恐らくその関係は体だけであって、ハルからしてみれば恋人という感覚は無かったのだろうけれど、もちろん俺からはそんなこと言えない。 しかし、実際こうして当事者から体の関係があった旨を聞くというのは中々に辛いものがあった。 「結局何が目的なんだよ」 『だからぁ、遥人から離れてほしいわけ』 「俺が誰とつるもうが関係ないだろ」 『ただの友達なら私だってこんなこと言わないよ。だって双木くんってソッチの人でしょ?』 〝ソッチ〟という言葉にギクリとする。違うといえば違うのだが、ある種そうとも言える気がした。 「…デタラメ言ってんなよ」 『遥人のことそういう目で見てないって言える?』 「当たり前だ、いい加減にしろ」 『じゃあ私に協力してくれてもよくない?』 それはどういう理論なんだと問いたいが、確かに俺とハルがただの友達ならその友達のことを好きな女子に協力するくらい容易いことだ。 しかしそうしたくないのは、俺がハルのことを好きだから。ハルは俺の恋人だから。 「俺があいつから離れたってあいつがお前のこと好きになるかどうかは分からねえだろ」 半分嫌味もこもっていたし、残りの半分は自分に言い聞かせていた。もちろん相手は女だし、その可能性がゼロではない。だからこうして言葉にしておかないと本当は不安だった。 『随分遥人に執着してるみたいだけどさぁ、朝比奈はもういいの?』 「執着なんてしてねえ。そもそもなんでお前が朝比奈を…」 『私遥人と中学から一緒だったから、その金魚のフンみたいだった朝比奈のことも覚えてるよ。ま、遥人は覚えてないみたいだけど』 女子なのにと固定概念や先入観でこう思うのはよくないのかもしれないが、金魚のフンなんて言葉を使うのはどうなのだろう。 『その朝比奈と双木くん、抱き合ってたでしょ?』 やはり見られていたというのは本当だったのか。冷や汗が頬を伝うが、ここで怯んでしまっては余計怪しまれる。 「あれに意味は無い。早とちりだろ」 『そうかなぁ。じゃあ私が遥人と付き合おうが何しようが関係ないよね?少しの間だけでいいの、離れてくれない?』 会話が通じないのかこいつは。俺がハルから離れれば簡単に自分のものにできると思っているのだろうか。ハルはそんな単純な奴じゃない。たかが二回寝ただけでいい気になりやがって。 「あいつ、お前には興味ねえから。俺がどうしようがお前にも関係ねえだろ」 『…なんでそんな断言できんの?やっぱり双木くん〝そういう〟人なんじゃない?遥人のことになると必死じゃんマジキモイんだけど』 「勝手に言ってろ」 『双木勇也は男好きのホモだって言いふらされてもいいわけ?』 一瞬その返答に迷うが、ここで堂々としていなければ駄目だと思いとどまる。変に怖気づいていては相手に隙を与えてしまうだけだ。 「そんな事実どこにもない…言いたいなら言えよ」 『わ、私本当に言うから!』 自分がそう言われるだけならハルは被害を受けない。俺が今まで通り普通に学校で過ごすのは難しくなるかもしれないけれど、最悪のケースは防ぐことが出来る。 女がその勢いのまま教室を出ようとすると、「きゃっ」と短い悲鳴が聞こえて女は後ずさる。 虫でも出たのかと思いきや、女をじりじりと追い詰めるように二つの影が教室内に入ってくる。 それは殺気を纏っているかのようで、俺まで寒気を感じてしまった。 「お前さぁ、どれだけ俺の邪魔したら気が済むわけ?」 「つーかなんで僕まで巻き込まれてるんすか、うっざ」 入ってきたのはハルと朝比奈の二人だ。なぜ二人がこんなところまで来たのかは分からないが、二人とも怒っているのはよく分かる。 『遥人…違うの、これは』 「何が違うって?言いふらすとか聞こえたけど」 『だからそれは…そのっ…!』 「そもそも小笠原さんと二回寝たからなんですかぁ?この人今まで何人と寝てると思ってんだよ」 そう言った朝比奈を女が睨みつけるのと同時に、ハルもやや気まずそうな顔をした。 「おい、余計なこと言うなよ」 「だって事実じゃないすか。そもそも高校同じなのにそれ以降抱かれてない時点でお察しって感じですけど」 『あ、あんたなんて遥人の金魚のフンみたいにくっついてた癖に!ていうか先輩に向かって失礼じゃない?!』 「女の子が金魚のフンなんて言うの感心しないなぁ、お前のそういう下品なとこ大っ嫌い」 下品なんてどの口が言っているんだ、全く。あからさまな悪態をついたハルは引いてしまうほどの笑顔だ。それはいつも猫をかぶっている時のものと大差ないが、喋り方には悪意しか感じない。 『…大体遥人だって私のこと家に入れたくせにすぐ追い返して…なんでよ』 「さっき双木先輩も言ってたじゃないですか、あんたに興味ないんですよこの人」 「そーそー、分かってんじゃん朝比奈」 『なんであんた達仲良くなってんの?意味わかんない…』 仲がいいという言葉にハルも朝比奈も眉をぴくりと動かしたが、お互い顔を見合わせてため息をつくとまた女に向き合った。 「そもそも勇也のこと汚い手使って脅さないといけないほど俺に必死なの?マジキモイんだけどぉ」 ハルは先程女が言っていたのと同じセリフを、声の調子を似せながら馬鹿にしたように言った。女はそれに対し顔を真っ赤にして唇を噛み締める。 ハルはそんな女に顔を近づけて、より一層低い声を出した。 「目障りなんだよ、二度とその汚ねぇツラ見せるなクソビッチ」 流石にそれには俺も朝比奈もぎょっとしてしまったが、当の女は悔しさに顔を歪ませながら涙を流す。その涙はアイラインやマスカラが滲んで僅かに黒かった。 『最っ低…!』 俺たち三人のことを恨めしそうに睨んで逃げるように教室から去っていく。 まさかこうなるとは思っていなかった俺はただ呆然とするのだった。

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