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第241話Premonition③
無言でそのまま何事も無かったかのようにハルと朝比奈は教室を出て階段を目指していくので、慌ててそれを追いながら声をかけた。
「おい!なんでお前ら、あんなとこに…」
「僕はたまたまそこにいた小笠原さんが双木先輩こと探してたんで仕方なく手伝ってあげただけです。仕方なくですから!」
語尾を強めて朝比奈がそう言い振り返るが、ハルは背中から殺気を出したまま階段を昇り続ける。
「ハル、なんとか言えよ」
一番上まで昇りきったハルと俺との間には数段の差があって、元の身長差もあるから随分ハルが上にいるように感じる。そんな上から振り返ったハルは、俺がハルを引き止めるために伸ばした手を引き上げて唇に噛みつこうとした。
「ちょっと、何してるんですか!」
後ろから朝比奈が俺の体をハルから引き剥がす。ハルは不機嫌そうに屋上の入口にある段差へ座り込んだ。まるでハルの機嫌を表すかのように外から雷の音がゴロゴロと聞こえる。
「どうしたんだよお前」
「…勇也が先行ってるとか言ったのにここ来てもいないんだもん」
「それは悪かったって…さっきの女に呼び止められたから」
「だから俺と一緒に行こうっていつも言ってたのに」
それこそまたさっきの女のようによく思わない輩が出てきてしまうのではないだろうか。そもそもあの女は恐らくハルがいないタイミングを狙ってきていただろうから仕方ない。
「だからってなんであそこまで来たんだよ」
「その辺にいた人に勇也がどこに行ったか聞いた。一人なら良かったけど女も一緒だって言ってたし」
「別に…あれくらいの脅しどうってことない」
「そういう問題じゃないですよね?まぁ、元はと言えば小笠原さんが女癖悪いのがいけないと思いますけど」
ハルはもう一度朝比奈から奪うように俺を引っ張って隣に座らせ、手を握ってまるで子供相手みたいに話しかけた。
「あの女に絡まれたのは完全に俺のせいだからそれはごめん。けど、知らない人に着いて行っちゃダメでしょ?」
「…俺は悪くない」
「何なんですかあんたら、どっちもどっちで面倒くせぇな」
大きな溜息をついた朝比奈を、俺とハルは同時に睨む。こいつと同じ扱いをされるのは気に食わない。ハルの方がよっぽど面倒くさいしタチが悪い。
「全部の話がちゃんと聞こえてたわけじゃないけど、また良くない噂流すっていう脅しでしょ?朝比奈くんみたいに」
わざとらしく朝比奈の名前を強調して俺に言いかける。苛立ったように足を踏み鳴らす朝比奈が中指を立てているのがよく見えた。
「僕に罪を擦り付けないでくれます〜?恨むなら節操無しの自分を恨んでください」
「ただ寝ただけで彼女面する方が意味わからない」
「普通に引きますよ、それ。流石小笠原クズ人さんですね」
「誰がクズ人だ」
また俺をよそにいがみ合いを始めたから、しびれを切らして二人の頭を軽く叩く。
「お前ら二人とも女子相手に殺気出すな。あれくらいどうってことねえし」
「勇也は優しすぎるんだよ。大体悪いのは100%あっちの方なんだから、もっと反抗しないと」
「恨み買われて嫌がらせ受けるのは俺だけで充分だ。お前にまで嫌な思いさせたくない」
「…なにそれ、かっこいい惚れそう」
実際自分は元々周りからよく思われてはいないだろうし、そこに同性愛者への偏見や憎悪のようなものが重なるだけだ。自分が背負うだけならどうってことない。俺にはこれ以上失うものなんてない。俺にあるのは唯一ハルだけだ。それさえあればいい。
「あの〜バカップルが茶番劇やってるところ申し訳ないんですけど、このままにしておいていいんですか?」
「なに、このままって」
「あの女の人の感じからして、絶対僕ら三人まとめて恨まれてるでしょ。根も葉もない噂ばら撒かれますよ」
「お前らのガラが悪すぎるんだよ、特にハル。あそこまで言う必要ねえだろ」
最後、女に向かって普段の猫をかぶっているハルからは想像出来ないような汚い言葉を笑顔で言っていた気がする。あれには流石の朝比奈も若干引いただろう。
「だってムカついたんだもん」
「だもんじゃねえよ。お前まで変な噂流されたらどうするんだ」
「…変じゃない」
ハルがそうポツリと言った。本当に口からこぼれてしまったみたいな、そんな言葉だった。
「俺たちは、何も変じゃない。だから何言われたって平気」
「だから、双木先輩がそれを嫌がってるんでしょうが。あんたが平気とか関係ねえよ」
「朝比奈くんはよくそんなこと言えるね、自分だってやったくせに」
「…だから、ちゃんと謝りました。軽率にそんなことされたら、きっと死ぬほど辛いだろうなって気づいたから」
朝比奈の表情は、その言葉通りに辛そうなものだった。あの日、朝比奈の心には何かしらの変化があったのだろう。そのきっかけが何なのかは分からないけれど、素直に謝ることが出来るのは大したものだ。
「勇也は、やっぱり嫌なんだ」
「…後ろ指さされることになるのは目に見えてる。自分だけならまだしも、お前までそんな風に見られるのは絶対に嫌だ」
「…優しいね。けど、自分だけならいいなんて言っちゃダメだよ」
まっすぐ俺の目を見据えるハルの大きな瞳。真面目な話をする時はいつもこうやって目力が強くなる。それを俺はいつも、少し逃げ腰で目を合わせるか否か迷ってしまうのだった。
「…とりあえず僕の方でもあの人の行動には気をつけておきますけど、双木先輩は何かあったらすぐに僕のこと頼ってくださいね」
「ああ、ありがとな」
「まずは俺に頼るのが一番だから」
「小笠原さんは一番刺されそうなので本当に気をつけてくださいね。なんなら僕のこと、頼ってくれても…」
確かに、ハルなら刺されかねない。二度寝た上にあんな酷いことを面と向かって言われたら、恨まないはずがないだろう。
「朝比奈くんが〜?そんなに頼もしく見えないけど」
「自称になっちゃいますけど、どれだけあんたの右腕やってきたと思ってるんですか?嘗めないでください」
そう聞くと大分朝比奈は頼もしく見える。随分と面倒なことになってしまったが、あの女がどう出るか本当に予測不可能だ。
しかしこの後やって来るであろう上杉に今の状況を説明するのは、それよりも面倒なことかもしれない。
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