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第243話Desperate②
教室の前に着くと、未だ中はざわついていた。他クラスもその騒ぎを聞きつけたのか集まっている。その中には例の女がいて、わざとらしくその写真についての話を大声でしていた。
そんなところに話題の中心であった二人がびしょ濡れのまま現れたものだから、もちろん皆の視線はこちらに向けられる。
「騒がせちゃってごめん。俺から皆にちゃんと話しておこうと思う」
周りのざわめきが止むことはない。中には俺達に軽蔑するような視線を向ける者もいた。俺はそれに耐えられなくて、ただハルの後ろで俯くことしかできない。
「俺と勇也は、付き合ってる」
いきなりの告白に、俺を含めたギャラリーの全員が驚いたに違いなかった。優等生で誰からも好かれる小笠原遥人が、俺たった一人のためだけに壊されたのだ。
『じゃあ遥人もホモなの?』
『まじかよ』
『うそ…ショック』
口々に言いたい放題だ。流石のハルもこれにはこたえたのか、一瞬怯んで口を閉ざす。
待ってましたとばかりにまるで何も知らないみたいにハルの方に例の女が寄ってきた。
『え〜二人ってそういう関係だったの?遥人は双木くんに脅されてるとかじゃなくて?』
「どの口が言ってんだドブス」
ハルの発した声に、ギャラリーはピタリと騒ぐのをやめる。ハルのそんな声をきっとこいつらは初めて聞いたに違いない。
『は、はぁ?意味わかんない!双木くんに言い寄られてて仕方なく嘘ついてるんじゃないの?』
どうやら女も本当に俺達が付き合っているとは思っていないのか、妙に焦っていた。
女には元々ハルまで追い詰めるつもりはなかったのだろうか。
「俺は普通に勇也が好きだよ。ゲイって訳でもないけど」
『な…なによ、じゃあ男同士でヘンなことでもしてんの?正直気持ち悪いよね?』
女が周りに呼び掛けるようにそう言う。俺とハルの目の前で首を縦に振る度胸のあるやつはいなかったけれど、心の中でそう思っている輩は何人もいただろう。
「いろんな男とセックスしてるお前の方がよっぽど気持ち悪いけど」
『ちょっと、やめてよそんなこと言うの!本当最低!』
またしても普段のあいつの口から出るはずのない下品な言葉にギャラリーは完全に言葉を失った。
「うん。お前も同じように最低なこと言ったって自覚した方がいいよ。男同士だからってそういう人に言いたくないような事情まで面白おかしく聞くのは間違ってるだろ」
『な、なにそれ…』
「別に俺達のことを認めろとは言わないよ。おかしいとか気持ち悪いとか思う人も多いだろうし」
自分でその事を口にすることがいかに辛いことなのか、俺はよく知っている。だから周りが異質なものを見る目でハルに注目しているのが耐えられなかった。
「でも、何がダメなの?」
『ダメって、そんなの…』
「そもそも付き合ってたらキスしちゃいけないの?抱き合ってもダメ?」
『そういうこと、言ってるわけじゃ…』
ギャラリーの数は少しずつ増えていたが、それでも騒ぎ立てるものは現れなかった。淡々と話すハルから、誰もが目を離さない。
「恋人同士がキスをしてたらそれだけで写真を撮って貼り付けて騒ぎ立てるのが普通?おかしいのはそっちの方だろ」
『私がやったかどうかなんて分からないじゃん…証拠見せてよ!』
「よく言うよ、自分で墓穴掘ってるの分かってる?」
ハルはポケットからスマホを取り出してハンカチで軽く拭き、音声メモを開くと音量を最大まであげた。教室中に女が俺を脅していたときの声が鳴り響く。女の顔はみるみるうちに真っ青になっていった。
『録音するとか、何でそんなことまでしてんの意味わかんないんだけど』
血迷ったのか早口にそんなことを口走る女のことを、ギャラリーは皆冷ややかな目で見つめた。
「自分のした事よく考えろ。そもそもこんな事までしてかき乱して、勇也の事まで傷つけたお前のこと、俺が好きになるはずないじゃん」
『そんな…私はただ…』
力の抜けた女はその場にへたりこんでしまった。 また少しずつざわつき始めたギャラリーをハルはぐるりと見渡す。
「それを見て騒ぎ立ててた皆も同じだからね。どう思うかは勝手だけど、それを口に出す必要ないから。さっきの写真をスマホで撮ってる人もいたよね、消してほしい」
ハルがそう言えば、ギャラリーの何人かはお互いの顔を見合わせながらスマートフォンを操作し始めた。ハルの言葉に力があるのを目の前で確認した瞬間だった。
「あと…俺は今まで優等生ぶってたけど、本当はそんなんじゃない。中学の時は不良だったし、性格も口も悪いから」
皆化けの皮が剥がれたハルを見て驚いていたようではあったが、その事についてなにか咎める者はきっと現れないだろう。
裏の顔を知っている者が増えてしまうのは少し寂しいような気もしたが、ハルの心の負担は少なくなったのではないだろうか。
「誰が誰を好きでも、そんなのは勝手だと思う。皆にも好きな人がいるかもしれないけど、その気持ちを否定されるのって凄く辛いことでしょ。俺に幻滅したならそれでいいよ。けど俺はそれくらいじゃ気持ちを変えようと思わない。本当に好きなんだ、勇也のこと」
それを後ろで俯いたまま聞いていて顔が熱くなってしまう。周りからどんな風に思われているが気が気でなかった。けれどそれよりも、ハルからどう思われているのかがひしひしと伝わってくる。
ハル自体も本当はこんな事を言うのが怖いのではないだろうか。ハルだって周りからの評価を気にしていない訳では無い。寧ろ俺よりも気にしてしまうタイプなのではないだろうか。
そのハルが猫をかぶるのをやめて、俺のことが好きだと皆の前で言うのが全て俺のためでもあるのだと思うと、こんな状況なのに嬉しく思ってしまう。
沈黙が流れる中誰かが掌を叩く音がしたかと思うと、小さな拍手がパラパラと聞こえてきた。それがやがて大きなものになり、何故かハルに向かって拍手が送られている。
「なんで拍手…?俺そんな凄いこと言ったわけじゃないんだけど」
近くの集団にいた一人の男子生徒が、何か言いづらそうな顔をしながらもハルの側まで寄ってくる。
『あのさ…なんか、二人ともごめんな。面白がっていい事じゃなかったよな』
もしその男子生徒がそう言わなければこうはならなかったかもしれないが、集団心理なのか他の生徒も口々に謝罪の言葉を述べ始めた。
「でも俺、今まで猫被ってたし…」
『けどさっきの遥人もかっこよかったよな』
『確かに』
『遥人の言ってること正論だしね』
ハル本人までぽかんとしているが、これが元の人望の厚さの賜物なのだろうか。
そもそもかっこいいのは恐らく九割方顔の効果だと思う。
『なによ、なんでよ…』
先程の女はまだ床に座り込んだまま動かない。それを見兼ねたのか、ハルは女の方へ手を差し伸べた。
「ちょっと言いすぎた、ごめん。けどお前がやったことは反省してほしい。勇也にもちゃんと__」
『いや…なんで私じゃないの!』
女が立ち上がると、周りの女生徒から悲鳴があがる。何故なら、その女は近くにあった誰かのペンケースからカッターナイフを取り出したからだった。
咄嗟の出来事に、周りは誰も止めることが出来ない。女を止めようとしたハルにそのカッターナイフが振りかざされた。
また周りから悲鳴とどよめきが起きる。ぽたぽたと滴っているのは真っ赤な血だった。
けれどハルは刺されていない。間一髪、何とか間に合った。
カッターナイフの刃をを握りしめた拳の痛みは、さっきまでの心の痛みに比べたら大したことは無い。
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