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第244話Desperate③
「こいつのこと傷つけるのだけは許さねえ」
カッターの刃をへし折って床に叩きつける。まさか自分の口からこんな言葉が出てくるとは思っていなかった。女はカッターの柄から手を離して泣きながら後ずさる。
騒ぎを聞きつけた教師が何人か教室に入ってきたが、被害者の方が俺だと分かって皆動揺を隠せないようだ。
俺は教師から保健室に行くよう言われ、ハルに引き摺るように腕を引かれる。ギャラリーがどよめく中、教師達が暴れる女を取り押さえているのが視界の端に映っていた。
手からはまだ血が止まらない。保健室に入ってからはハルが驚く程に適切な処理を施してくれたが、ずっと無言なのが気になって仕方がなかった。
「多分もう大丈夫だけど、あまり動かさないでね」
ようやく発された言葉は手当のことについてだったから、なにか意味のある言葉を返すわけでもなく濁った返事をする。
「ごめんね、俺がちゃんと反応できてれば」
「あの距離じゃ無理だ。本当に刺されてたかもしれないんだぞ、お前」
「少し避けるくらいはきっと出来たよ、勇也の手に傷を作らなくて済んだはずなのに」
少し避けたところで、ハルが傷つけられることは免れなかっただろう。顔は勿論、喉や腹を刺されていたらただじゃ済まない。深く刺さればカッターナイフでも充分殺傷能力があるし、人を殺すことだってできる。
「俺は…お前が切りつけられなくて良かったって思う」
「それで勇也が怪我したら意味無いよ、その分俺だって同じくらい傷つく。俺なんかのこと庇っちゃだめだよ」
また俺〝なんか〟なんて、卑下するような言葉。自分は俺のことを庇って頭から血を流した事だってあるくせに、この言い分はどういう訳か。
「もし逆の立場だったら、きっとお前も同じように俺のこと守ってくれただろ」
「それは当たり前だよ、だって俺本当に勇也がいないとダメで、好きで…本当に俺ばっかり好きなんだ。もしかしたら俺って重いのかなって思うけど、自分より大事にしたいくらい勇也のこと好きだよ」
また好きの嵐だ。こうも好き好き言われると状況はどうであれ言われるこっちが恥ずかしくてたまらない。そんな何度も言わなくても分かっているし、ハルばっかりが好きなんてこと絶対に有り得ない。
「…お前は知らないのかもしれねえけど…俺もお前と同じくらいかそれ以上だし、俺だってお前のこと守りたいと思う」
敢えてもう好きという言葉は使わなかった。言わなくたって分かってほしい。本音を言えば口に出すのが恥ずかしくて躊躇われただけだが。
「そっか…そう、なんだ…」
照れくさそうに少し微笑む顔は少し赤らんでいた。何を今更、と思うけれど、その顔を見ていたら自分まで気が緩んでしまう。
「それと、言いづらい事まで全部言ってくれて…ありが、と…」
精一杯声を絞り出す。自分のセクシャリティについてだとか、あまり良く思われないであろう部分を声に出して言うには唯ならぬ勇気がいっただろう。
それをハルが俺のために、俺達のために言ってくれた。元々ハルは人から好かれていたのが幸いしてあまり嫌なムードにはならなかったけれど、周りから見方が随分と変わってしまったはずだ。
「言えて良かったって思ってるよ。不安なことも増えたかもしれないけど、それでも良かった」
「本当に良いのか、別に強がらなくたって…」
俺の前に跪いたハルの頬に無意識に手を伸ばすと、その手をハルが取って自ら擦り寄った。
「強がりなんかじゃないよ。勇也がいればそれでいい」
「そっ…か…」
まだお互い今起きたとで頭が一杯になっていたから、どこか心ここに在らずといったままただ無言の時間が流れていく。
「もう手痛くない?」
「ああ、大丈夫」
本当はまだ少し痛む。手のひらに深い傷を負ったのだから当たり前だ。そんなのよりもずっと心の痛みの方がひどかったから、痛くないというよりは気にならないと言った方が正しかった。
「まだ教室は騒がしいと思うけど、どうする?戻れそう?」
「お前が行くなら…行く」
ハルは優しく頷いて、また手を引かれながら教室へ戻った。
教室へ戻る道中も他の生徒から視線を感じる。あれだけの騒ぎになっていたのだから、きっとこの騒動は学校中に知れ渡ってしまうだろう。ともすれば、俺達のことだって周知の事実と成り得る。
酷く憂鬱な面持ちになりながら、ハルの手から伝わる温もりを離さないように握りしめた。
うちのクラスのホームルームは中止され、俺とハルは担任から事情聴取のような取調べをうけた。
内容は配慮の欠けらも無い、また答えたくないようなものばかりだ。ほとんど全ての質問をハルが答えてくれたけれど、担任教師のあからさまな反応に俺達が傷つかないことは無かった。
一方教室へ戻るとまだ気まずそうな雰囲気はあるものの、わざわざ嫌味を言うような者はいない。寧ろこちらの災難を気にかけるような言葉をかけてくれる者が数名いた。
学校にいる間はずっとハルと一緒にいたし今日は特に離れず常に隣にいたから、やはり視線を集めてしまうもののそれをやめようとは思わない。
「双木先輩!…と、小笠原さん」
「今朝は随分大変だったようだな」
昼休みに最上階の階段を昇っていくと、そこには既に上杉と朝比奈が居座っていた。また真田の姿は見当たらなかったが、今日も休んでいるのだろうか。
「やっぱり学校全体に伝わってたんだね、今日のこと」
「双木先輩が小笠原さん庇ってナイフで刺されたって聞いたんですけど…本当に大丈夫ですか」
朝比奈はすぐに俺の元へ寄ってきた。そのピアスだらけの容貌に似合わない眉根の下がった心配そうな顔をしている。
「どこで話が飛躍したのか知らねえけど、刺されたっつーかカッター握って折っただけだ」
「何でそんなことしたんですか、本当に小笠原さんのこととなると見境ないですね…むかつく」
そう言って膨れる朝比奈を他所に、上杉は思案するような視線で俺とハルに目配せをした。
「お前達の関係を揶揄するような輩も少しずつでてきている…それは大丈夫なのか」
「大丈夫…って言ったら嘘になるけど、俺はもう言ったからには堂々とするよ」
「そうか。しかしその今朝貼られたらしい写真というのも、騒いでいた女が撮ったものなのか?」
俺とハルはそうだと答えようとして、なにか感じた違和感に首を捻って顔を見合わせる。
「そういえば、あの写真って多分今年撮ったもんじゃないよな」
「やっぱり勇也もそう思う?おかしいとは思ってたんだよ。あの女が前からこの写真持ってたんだとしたら、色々辻褄が合わない」
「では、他にも協力者がいると…?」
「あ、なんで小笠原さん僕の方見るんですか!僕だって去年ここにはいませんでしたからね!」
となると、一体あの写真は誰が撮ったのだろうか。さっきまではあまり気にしていなかったけれど、一度気になってしまうと急に不安が襲ってくる。
「ちょっと気になるね…」
「調べておきましょうか、僕が」
「できんのか、朝比奈」
「任せてください。不本意ですけど」
不本意とは言いながら少し得意げであった。元々ハルの下で動いていた人間だから情報収集にも優れているのだろうか。
「じゃあ頼んじゃおうかな」
「俺にも協力できることがあれば言ってほしい。今回のこともあまり話が広がらないように気を張っておく」
改めて今まで自分たちの周りにいてくれた人間は寛大で良い奴ばかりなのだと思い知った。
もちろん誰でもそうであれというのは難しいことだが、何故こうも皆誰かを貶めることで優位に立とうとするのだろう。
「しばらくは様子見て、ハルもあまり俺とベタベタするなよ」
「え、せっかく公表したのに?」
「変に周りを刺激したくない。その…過剰じゃなきゃ、別にいいけど」
確かに、周りがもう俺達の関係を認知しているということは〝そういう〟態度を取っていても差支えはない。けれど、逆に今までのように普通に接していただけでも周りに〝そういう〟ことなのだと受け取らせて意識を強くさせてしまうだろう。
これからの事に関しては不安が増えたかもしれない。正直今もまだ周りからの目が耐えられない部分もある。
けれどどこか、何かが吹っ切れたような心持ちがする。肩の荷が降りたとまではいかないけれど、自分とハルの関係を自分自身で認められるような気がしたのだ。
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多忙につき、更新を少しだけお休みします。
ご了承ください。
(恐らく2〜3日程度だと思います)
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