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第254話Before Summer
「あの、先輩方非常にうざいんですけど」
7月に入ってからは、毎日よく晴れている。梅雨が開けるのもそれなりに早かったけれど、7月でこの暑さは異常だった。
そんな中屋上で、朝比奈は俺とハルを睨みつけながら文句を垂れた。
「うざいって何が?」
ハルはきょとんとしてそう答える。その開いてしまった口へ卵焼きを箸で掴んで持って行ってやると、美味しそうにそれを頬張って食べた。
「それですよそれ!」
「なんだよ、卵焼きか?」
「違うわ!イチャイチャすんなって言ってるんですよ!」
イチャイチャしていたつもりは毛頭ない。確かにこの前久々にハルに抱かれてから、距離感がおかしくなったのも否めないが。
「イチャイチャ?別にしてないよ。ねー勇也?」
「うっぜぇ!ちょっと、上杉先輩と真田先輩からも何か言ってくださいよ!」
朝比奈に名指しされた二人は呆れたように肩を竦めて、真田の方が先に朝比奈を宥めに行った。
「まあまあ、いいじゃんこいつら付き合ってんだし」
「だからってここまで見せつけられるのは流石に目に余るんですけど?」
「カミングアウトしてから学校では気まずくなってしまうかと思っていたが、これだけ仲がいいのなら逆に安心したぞ、俺は」
とは言うものの上杉は顔を赤くして俺達に視線を合わせようとしない。別に俺たちはそこまでイチャイチャしているという自覚もないのだが。
「勇也〜」
「…ん」
名前を呼ばれ、条件反射のようにハルの方を向いて目を閉じる。ハルが俺の名前を呼ぶのはいつもキスの合図のようになっていた。
しかしハルは何もしてこない。数秒の間を置いて自分でも今してしまったこのミスに気づいて冷や汗がダラダラと伝っていくのがわかった。
「悪い、違う、間違えた、本当に違う」
朝比奈が見たこともないような顔をして中指を突き立てると、ハルは見せつけるように俺の顎を掴んで頬へ軽いキスをする。
「ぎゃー!何してるんですか!一連の流れ全部うざいんですけど!」
「朝比奈くんうるさい、いいじゃんこれくらい。挨拶レベルでしょ」
「はぁ?何がですか全く何もよくねぇんですけど」
上杉はというと相変わらず顔を手で覆って隠していて、その傍らで真田も口を抑えて驚いた表情をしていた。
「お前ら、いつもそんな感じなの?」
「そうだよ〜」
「ちげえよ」
くっついてくるハルを剥がそうと手足で押し退けていると、屋上の扉が開く音がして全員そちらに注目した。ついに教師に怒られる日が来たかと思っていたがそうではないらしい。
首からカメラを下げたオレンジ頭が何も言わずにハルの方へ近づいてきた。
「滝川くんじゃん、なに?」
「あんまり屋上でイチャついてると教室からも見えるから気をつけな。あとこれ、写真のデータね。対価はちゃんと払ってもらうから」
滝川はどこか気まずそうに俺達に向き直って軽く頭を下げた。そのまま去っていくのかと思いきや、まだなにか言おうとしている。
「お前ら二人の写真はもう広めたりしないから…俺、多分ちょっと嫉妬して意地悪したかっただけなんだと思う。だからごめん」
「あんた、嫉妬とか意地悪とかどういうことだよ…ですか」
「ん?ああ、お前は朝比奈だっけ?別に同じクラスみたいだし学年は同じだからタメ口で構わんよ」
滝川はこの前よりも少し薄まったクマのできた目を細めて笑う。嫉妬とは言われても、思い当たる節がない。まさか滝川もハルが好きなんだろうかとか、そんなことまで考えてしまった。
「俺さ、ゲイなんだよね」
その言葉に一同息を呑む。それになにかの感情を持ち合わせた訳では無いけれど、ただただ突然の告白に驚いてしまった。
「自覚したのは中学生のとき。親友のことを好きになって散々な目にあった。拒絶された上に言いふらされて、そりゃあもう人間不信にもなるわけよ。だからさ、お前らが羨ましかったんだと思う」
淡々と話している割に話の内容はずっしりと重みを持っている。自分が今似たような立場に置かれているからこそ、尚更そう感じた。
「お前らが美しいって言うのは本音だけどね。今は当事者でいるより傍観者で充分。お前達みたいに逃げずに堂々としてるの、すげえと思う。だからそれに嫉妬して意地悪したんだ、軽い気持ちで。でもこれって結局あの時俺がされた事と変わらないんだよね」
「それで…このデータ渡しに来たわけ?」
「うん。謝って済むことじゃないってわかってる。俺は、よく分かってたんだ」
その滝川の言葉に誰も何も返せない。その話が真実であるか否かとか、そんなことはどうでも良くなっていた。
やはり自分は環境に恵まれていたのだ。ハルが堂々としているという部分も大きいとは思うが、周りにいる者達は比較的俺達の関係について肯定的である。それが学校単位やクラス単位になれば勿論そういうわけにもいかないが、滝川の場合カミングアウトに関して俺とは比にならない辛さがあっただろう。
「分かっててやるのは悪い事だよ。それでもその時の感情に任せてやっちゃうのは人間の性みたいなものだから仕方ないと思うけど。今日来たって事は反省してるってことだし、実質悪いのは君じゃないから今回は見逃してあげる」
「…はは、どっちが小笠原遥人の素なんだか分からないね。でもありがとう」
滝川は首から下げたカメラを構えてパシャリとシャッターを切る。それに対してハルは半ば呆れたように優等生の表情を崩した。
「…お前さぁ、やっぱり懲りてないだろ」
「小笠原遥人の写真を撮らないとは言ってないだろ?お前の写真が一番売れるんだからそこまで制限されると困るんだよ」
「まあいいか別に。需要があるのはよく分かるし」
そこにいた一同は皆ハルのその自身に満ち溢れた発言に少し引いただろう。こいつは本当にこういう奴なんだ、ごめんな。
俺としては他人にハルの写真を買われること自体あまり快く思えないのだけれど。
「双木勇也の方はいいの?彼氏さんの写真売られるの」
「俺は…別に…」
ハルのことを彼氏だなんて言われたのは初めてだ。改めてそう言われると違和感というか、変な感じがする。
それに動揺したせいもあってか咄嗟に出た言葉は天邪鬼なものだった。
そんな俺を見かねたのかハルが寄ってきて頭をグシャグシャと撫でる。
「大丈夫だよ、勇也しか知らない表情の方が多いんだから」
「そういう問題じゃねえし撫でんな。普通に嫌だろうが、自分の…その、いや、なんでもない」
「そういうところだぞお前ら」
またシャッターを切る音。皆の見ている前で恥ずかしいことを言ってしまった。たしかに最近俺達は自重がなくなってきているのかもしれない。
「ねえ、やっぱり俺の写真もダメ」
「え〜さっき言ってたことと違うじゃん」
「勇也が大好きな俺の姿は誰にも見せたくないって言ってるんだから」
「そこまで言ってねえよハゲ」
この時点で話についていけない朝比奈達は空気と化していたが、真田上杉はともかく朝比奈は終始ひどい顔をしていた。
「前も言ったけど俺は金に困ってるの。写真は安く売ってないけど多い時と少ない時で収入に差が出るし」
「アルバイトとかしないの?」
「バイトもしてるよ、こっちは副業。こっちの方が稼げてるけどね。だからこれが大事な収入源なわけよ」
この前聞いた受験の話から家庭の事情なんかを察するに、金に困っているのは事実のようなので何とも言えない。俺も片親で経済的には厳しかったから、同情せざるを得なかった。
「じゃあ逆に、俺達の写真だけ撮ってよ」
ハルのその提案に、一同ついつい「は?」と声を揃えてしまった。
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