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第256話Before Summer③
「お前も理系寄りなんだな…あ、そこは推量の助動詞だから、訳はこうなる」
三日間なんてあっという間だ。明日からはもうテストが始まる。朝比奈は思っていたよりも要領はいい。典型的な〝やれば出来る〟タイプだ。だから英語や理系教科は何とかなりそうだし、暗記も充分力がある。
国語を中心に勉強を教えているから、やはりこちらも俺の方が適任であったかもしれない。
「なんか…すみません。一年生の勉強なんて教えてる暇、本当は無いですよね」
「別にいい、もうそれなりに勉強したし。あとは直前に確認するだけだ」
「うわぁ、頭いい人のセリフだ」
「つーか、謝るくらいだったら最初から勉強しとけよ。お前やればできるんだから」
俺と朝比奈が勉強しているのは一年生の教室。残っている生徒はまずいなかった。先程までハルと真田もここにいたのだが、今は真田がカバンごとどこかへ置いてきてしまったがためにそれを探しに行っている。
「僕は勉強とか向いてないんすよ…宿題も追い込まれないとできないし、目標がないと勉強出来ません」
「目標ってなんだよ」
「だから志望校合格とか…ご褒美、とか」
ご褒美と言いながら、その前髪に隠れた目が俺の方をじっと見つめた。
ご褒美と言われてもピンと来ない、食べ物かなにかをあげればいいのだろうか。
「なんか奢ればいいのか?ハルが」
「小笠原さんかよ…そういうのじゃなくて、もっとインセンティブみたいな…」
インセンティブ、目標達成のための刺激となる誘引か。今年の一年生は倫理でなく現代社会を習っているらしいから、そこで習った言葉だろう。
「例えばなんだよ」
「写真、僕も欲しいです…」
「あ?なんのだよ」
「双木先輩の、写真」
何故朝比奈がそんなことを言ったのか分からない。僕〝も〟と言ったのはハルが滝川から写真を買い取ったからだろうか。
「ジュリエットの写真なら、もうねえし今後あの格好するつもりもねえからな」
「違います!普通に…普通の双木先輩がいいんです」
「はぁ?…なんでだよ」
尚更分からない。俺の写真を貰って一体どうするというのか。まさか呪いに使うわけではあるまい。
「なんでもいいじゃないですか!約束しましたからね!」
「してねえし…まあ、それで頑張れるならいいけどよ。何に使うんだそれ」
「ナニってそんな…うるせえ!」
何をそんなに怒っているのか知らないが、まあ写真1枚くらいならどうってことないだろう。
「ほら、もっと頑張れ。まだテスト範囲半分までしか終わってねえぞ」
古典の演習問題を解いている朝比奈を、向かい合わせにした机に頬杖をついて眺める、やっぱり何度見ても鬱陶しい髪だ。徐にその前髪を指先で持ち上げてみる。
「な、なんですか」
「ああ、悪い。髪切らねえの?」
「切ったらピアス隠せないじゃないですか」
確かに眉のあたりにあるピアスは前髪を下ろさないと隠れない。そもそも隠すくらいなら塞いでしまえばいいものを。
「塞がねえの、ピアス」
「これは僕のアイデンティティなんで」
「どういうことだ?」
「双木先輩には一生分からなくていいです…このピアス、変ですか」
目線をテキストに落としたまま、朝比奈はそう聞く。けれど手に握ったシャープペンシルは、芯を強くページの上に押し付けたまま止まっていた。
「別に変じゃねえよ、好きでつけてるならいいんじゃねえの」
「そうですか…あの」
朝比奈が何か言いかけたところで、廊下から真田のものと思われる騒がしい声が聞こえてくる。
「いやーまじでウケるな、普通に自分の机の上にあるとは思わなかった!」
「何もウケないから。わざわざ全部のトイレ回ったのに…タイムロスなんだけど」
教室に入ってきた二人は、俺たちの座っている席を一つ空けて隣に座る。ハルの方はその座った椅子ごと俺の方に寄ってきて俺の肩に顎を載せた。なんだか退かすのも面倒になってきて、無視したまま朝比奈の方に視線を戻した。
「朝比奈、さっきなんか言いかけただろ」
「…もういいです」
「なに、なんの話したの。ちゃんと俺に全部話して」
いちいち突っかかってくるハルの頭を目を合わぬまま軽く叩く。仕返しのように顎をグリグリと肩に押し付けてきて、そのくすぐったさに思わず身を捩る。
「やめろバカ」
「勇也が叩いたんだもん、暴力反対〜」
「…あのぉ、今僕勉強してるんですけど?イチャイチャするなら他所でやってくれませんかねぇ?」
朝比奈が苛ついている時のあの顔だ。今のは確かに勉強の邪魔だったかもしれない。ハルを真田の方に帰させて、伏せてあった古典の教科書を開き直した。
午後7時頃に校内放送がかかり、完全下校となった。明日はもうテストだけれど、朝比奈の方は恐らくなんとかなるだろう。真田も今回は数学が一教科のみだから、三日も勉強できれば充分なはずだ。
自分も本当は物理が少し不安なのだが、俺までハルに負担をかけていられない。自力でなんとかしよう。
下校する際、教室の戸締りをしに来た教師と目が合う。その時俺とハルの姿を捉えたからかすぐに目を逸らされた。
「やっぱり、教師にもほとんどバレてるもんなんだね」
「お二人の話、結構広まってますからね。一年の間でも少し話題になってます」
「俺の周りでも時々話してるやついるけど、元々双木も遥人も好感度高かったからな〜否定的な奴ばかりじゃないよ」
なんでもいいから早く風化して欲しい。気にせずに生活することを周りに強いるのは間違っている。本心をいえば、認めてほしいんだ。
朝比奈も真田も駅の方へ向かって帰るから、俺とハルは必然的に校門を出てすぐ二人きりになる。
「ねえ、やっぱダメかな。手繋ぐの」
すぐにダメとは返せなかった。ハルを拒むことへの罪悪感が少なからず俺にあったのだろう。
蒸し暑いことを言い訳に断ってもよかったのかもしれない。それでも俺はハルに触れていたい気持ちの方が勝ってしまい、無言で手を差し出す。
汗ばむ手が離れぬよう、指を絡めてしっかりと握った。
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