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第258話Coming Summer
一年の教室に入るとそこには朝比奈一人だけが居て、教卓の前に佇んでいた。
「朝比奈…悪い、すっかり忘れてた」
「あ、先輩。いいんですよ、テスト始まってから殆ど会ってなかったですし」
「つーか、本当に写真なんかでいいのか?」
自分の写真なんて、いくら滝川がああ言おうが需要があるとは思えない。だってたかが写真だ。そりゃあ、ハルの生写真があるのだったら欲しい気持ちも分からないでもない。あいつならどの場面を撮っても絵になるが、俺はそうはいかないだろう。
「僕はそれがいいって言ってるんですよ。ほら早く撮りますよ」
「は?今撮るのかよ」
「僕だけが持ってる写真が欲しいんです。はい、笑ってください」
「撮られるって分かってて笑えるかよ」
写真を撮られるのに慣れていないし、どう写ればいいのかもよく分からない。朝比奈に催促されながらも渋っていると、教室の扉がガラガラと開く音がした。
「そうやって身構えるよりも、自然体のほうが良い画が撮れるもんだよ」
その言葉と共にパシャリとシャッター音が響く。この期間しばらく見ていなかったあのオレンジ色の頭が現れた。
「げ、滝川…なんでここに」
「げってなんだよ。同じクラスなんだからここに用があってもおかしくないだろヒナちゃん」
「気持ち悪い呼び方すんな!」
「てかなんで双木勇也の写真なんて撮ってんの?そういうプレイ?」
教卓の前まで寄ってきた滝川はカメラを朝比奈に見せる。そこには俺達の姿が映っていた。
「ちげえよ邪魔すんな。お前が撮った写真じゃなくていいんだよ」
「なんだよ冷たいな〜、俺が撮った方が絶対いいのに」
「いやなんか朝比奈が自分だけが持ってる写真が欲しいって…」
「ちょっと!勝手に言わないでください!」
それを受けて滝川はなにか思案するように顎に手を置き、いやらしい笑みを浮かべる。
「へぇ、そういうことか〜。不良だから憧れの対象なのかと勝手に思ってたけど、ソッチだったわけね」
「うるさい!お前はさっさと帰れ」
「まぁまぁ、ヒナちゃんのスマホで俺が撮ってあげるから。それならいいっしょ?」
朝比奈のスマートフォンを滝川が奪うと、それを取り返そうと朝比奈がぴょんぴょん跳ねる。その様子があまりにも滑稽で、仲睦まじいように見えたので思わず笑ってしまった。
「お前ら、随分仲良くなったんだな」
そう言うとスマートフォンの方で写真を撮った音がする。朝比奈は一瞬固まってから、すぐに滝川の手からスマートフォンをぶん取った。
「別に仲良くないですから…つーか勝手にとってんじゃ、ねえよ…」
「ヒナちゃんのせいでちょっとだけぶれちゃったけど、俺の腕は確かっしょ?」
「まあ、別に、これでいいか…」
本当にぶれている写真なんかでいいのだろうか。かといって取り直しなんて言われたら溜まったものではないのだが。
「双木って笑うと可愛いよな。なぁヒナちゃん?」
「男に可愛いとかアホじゃねえの。あとその呼び方やめろ」
「俺の笑った顔って変なんだろ?あまり外で笑うなってあいつ…ハルが」
だから可愛いなんて言われてもそもそも嬉しくないし、なんだか馬鹿にされているみたいであまり良い意味として捉えられない。
何故か滝川はメガネの下に手を入れて自身の目元を覆い悶えていた。
「あ〜いいねぇ、独占欲の塊だねぇ!本当にお前ら見てて飽きないな。やっぱり部室の外に出てみるのも結構いいもんだなぁ」
「うっぜー…泣いてる時よりちょっとはマシな顔してると思うんで笑ってていいです」
まあ確かに、泣いている顔が良いだなんて言うのは出会った頃のハルくらいだろう。
と言っても元々あまり笑うほうではないのだけれど。
「だってよ双木、ほら笑え〜」
「だから、笑えって言われて素直に笑える訳ねえだろ…」
「表情筋硬いんじゃない?好きな人の顔とか声とか、頭ん中で思い浮かべてみなよ」
好きな人と言われて、俺の頭は考える間もなくハルの姿を映してしまう。それと共にハルに触れられた感覚や耳にかかる吐息までが鮮明に思い起こされるようで、無意識に顔に熱が集まっていった。
逃げ出したい気持ちになったところで、シャッター音によってようやく俺は現実に引き戻される。
「笑顔とはまた違うけど、イイ顔できるじゃん。ナニ考えてたの?」
「うるせぇ、何も考えて、なんか…」
「ほら、よく撮れたぜ。特別に無料でヒナちゃんにあげようか?」
「…いらない」
さっきまでとは打って変わって、朝比奈はやけに沈んだ様子でそう答えた。
「いいじゃん貰っておけよ、照れてる顔なんてレアだろ?」
「いらないって!…小笠原さんのこと考えてる顔とか、マジでどうでもいい」
「あー、そっか…ごめん」
「…双木先輩、一応ありがとうございました。じゃあまた9月に」
朝比奈は振り返りもせずそのまま教室を出ていった。情緒不安定というか、浮き沈みが激しいのは変わらない。俺にはまだ、朝比奈のことを完全に理解してやることはできなかった。
先輩面がしたい訳では無いが、分かってやれないのがなんだか歯痒い。
「今のは俺が悪かったけど、双木も随分な鈍感ボーイだね」
「はぁ?鈍感って何がだよ」
「…そういうとこだよ。じゃ、俺ももう戻るから。何かやるときは俺の事呼んでくれたら写真撮ってあげるからね〜」
別に写真は要らないと思いつつひらひらと手を振り返す。何か用事がなければ9月まで会わないのだと思うと変な感じだ。
去年の夏休みはロミオとジュリエットの準備で大忙しだったけれど、今年は例年通り演劇部が文化祭の演目を担当するようなので俺達は気楽に休める。うちのクラスは今年喫茶店をやるらしく、飲食系は殆ど用意するものがないから二学期が始まってからの準備期間でなんとかなるだろう。
詳細はメッセージアプリのグループで決めるだとかなんだとか言っていたし、夏休み中も特に集まることは無さそうだ。
「悪い、待たせた」
「ん、大丈夫だよ。何しに行ってたの?」
「日誌、出そうと思って…担任が職員室にいなくて色々探し回ってたら遅くなった」
「なんだ、言ってくれれば探すの手伝ったのに」
なぜ、俺は今咄嗟に嘘をついてしまったのだろう。前と同じだ。自分の中に何か後ろめたい気持ちがあるということなのだろうか。
朝比奈はなんとなく放っておけなかった。元々後輩をよく気にかける性分であったのも大きいのだろうけれど、何故俺に対して変に突っかかってくるのかがどうしても気になる。
これをハルに言えないのは、何故なのだろうか。
「あ、なんかメッセージ来てる…文化祭、女子のメイド服禁止なんだ。最近の学校は色々めんどくさいね」
「あんだけ女子達で盛り上がって衣装の購入案まで出してたのに、これからどうするんだろうな」
「今更コンセプト変えるわけにもいかないしね…ん?女装男装喫茶にするの?うへぇ、野郎のメイド服なんて誰も見たくな……」
苦虫を噛み潰したような顔をしてハルがそう言った所で、急に立ち止まって俺の顔を凝視した。
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