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第259話Coming Summer②
「何アホな顔してんだ、帰るんだろ」
「メイド服…勇也着んの?」
「あ?着ねえよ、俺は調理担当って決まっただろ」
何を期待していたのか、ハルはわかりやすく肩を落とす。人目に触れるところで女装なんてもう二度と御免だ。そもそもこの前の騒動やハルの付けた痕が見つかったせいで俺が女役だの本当は女なんじゃないかだの変な噂が出回っている。だからこそ女装なんてしたくなかった。
「じゃあ本当にどうでもいいや…あーあ…執事服も結局無しだろうしなぁ」
そう、元々はメイド喫茶兼執事喫茶という形をとっていたのだ。ウェイターの数はそう多くなかったから殆どはビジュアルだとかネタ枠だとかを重視して人選されていた。もちろんハルは立候補するまでもなく他から推薦されて執事を担当することが決まっている。それが逆転したとなると、ハルの執事姿は拝めないということになる。
他人の目に触れないことを喜ぶべきなのだが、ちょっと見てみたいと思っていた自分もいるのであまり浮かばれない。
「ん…?じゃあお前がメイド服着るのか?」
「え、そうじゃん…うわ〜でも着こなせる自信はある…」
「お前のその自信はどっから来るんだよ」
「俺に似合わない服なんて無いもんだって」
確かにハルほどのルックスであれば女装をしても違和感はないだろう。骨格やタッパがあるのだけ少し気になるかもしれないが、顔に関しては誰も文句が付けられないくらいに綺麗だ。
メイクなんてしなくてもパッチリとした二重まぶたと長くカールされたまつ毛があるのだから、女装したらその辺の女子なんかよりもずっと可愛いに違いない。本人に抵抗がないのがつまらないが、メイド服を着たハルも少し楽しみになった。
「あ、そうだ。この後上杉さんのとこ行くから」
「今あっちの方大変なんじゃなかったのか」
「用があるのは上杉さんの奥さんの方」
上杉さんの奥さんということは、謙太の母であり、虎次郎の妻ということになる。今までその存在を認知してこなかったから、改めて聞くと違和感がある。
「平日はあの人お店の方にいることの方が多いから。結構優しいし、いい人だよ」
「待てよ、店ってのも何か知らねえし、そもそもそこに何しに行くんだ」
「ん〜着いてからのお楽しみ」
道中何度も尋ねたものの、結局なんの店なのかは分からず終いだった。
その店というのは上杉の家とはまた違うところにあるらしく、電車には乗らず長い道のりをゆっくりと歩いてそこに辿り着いた。
「呉服屋…?」
「それなりに名の知れた老舗だよ。今は例の奥さんが継いで商いをしてる」
「初めて見た」
「そうだね、こういう老舗は今じゃ珍しいし」
ハルは特に声をかけることもなく、がたつきの無い引き戸を躊躇なく開けた。その扉には『準備中』と書かれていた札がかかっていたから、中に入っていくハルの服の裾を軽く引っ張って制止する。
「おい、ここに準備中って…」
「大丈夫だよ、多分俺達が来るからそうしたんだと思う」
本当に大丈夫なのかと不安に思っていると、奥の方から着物姿の女性の影が見えてきた。
その人は上等そうな着物を見事に着こなしていて、どこか厳格なオーラを感じる。凛として整った容姿だが、どうも虎次郎と同年代には見えない。うちの母親よりも少しだけ上といったところだろうか。
「来ていらしたのね遥人くん…それと双木くん、だったかしら」
「お久しぶりです、お元気そうで何より」
「あ…始め、まして」
軽く会釈をしてもう一度その人を仰ぎ見ると、目を細めてにこりと静かに微笑んだ。目はパッチリとしていて丸く、謙太の切れ長な目は虎次郎の遺伝なのだなと見て分かる。
そのオーラだとかなんとなくの雰囲気が何かに似ているような気がするのだが、この既視感はなんだろう。
「頼まれてたもの、用意出来てるわ。試してみてほしいから、少しそこいらで座って待っていてくれないかしら」
そう言うとまた奥へと消えていく。本人が帰ってくる前に、こっそりとハルに耳打ちをした。
「虎次郎の奥さんにしては、随分若くないか」
「うちもそうだけど、政略結婚みたいなものなんだ。あの人が19のときに籍を入れたらしいから」
「そうなのか…あと、あの人って誰かに__」
続きを聞く前にその人が戻ってきてしまった。諦めて口を噤み、その手が抱えている着物のようなものを見つめる。
「なんだ、これ…」
「あら、双木くんには内密にしていたのだったわね。サプライズというのがどうもうまくできなくて申し訳ないわ」
「いえ、あの…サプライズって?」
「貴方の浴衣を作って欲しいって、随分前から遥人くんに頼まれていたのよ」
そうして目の前にその浴衣らしきものが広げられる。見るからに上等そうだから、ついつい先に幾らほどの値段が張っているのかを考えてしまう。
「それで、わざわざ…えっと、あなたが?」
「ああいけない、申し遅れましたわ。私、上杉虎次郎の妻でこちらの店の店主をしております。店にいる時は旧姓の春日を名乗っていますが、現在の本名は上杉信代です。以後お見知り置きを」
すらすらと丁寧な言葉が紡がれていき呆気に取られてしまう。信代さんはまるで絵に書いたかのような大和撫子だ。穏やかに微笑む様子は虎次郎のそれとは対照的な気がする。
「着付けは私がした方がよろしいかしら?」
「いや、俺がやります」
「そう、それじゃあお茶とお茶菓子を用意しますわね」
信代さんがまた奥へ行くのを確認して、先程の話を続けた。ハルは浴衣を手にして俺の服を脱がせようと引っ張ってくる。
「自分で脱ぐからいい…あとさっきの話だけど、信代さんって誰かに似てないか」
「誰かって、謙太くんじゃなくて?」
「いや、丁寧なところは確かに似てっけど、もっと雰囲気っつーか…」
ハルは一度手を止めて、少し声のボリュームを落とした。
「…実は上杉さん、結婚自体凄く渋ってたらしいんだ。けど信代さんと実際に会ってみたらすんなり承諾したって聞いた」
「まあ、あの人美人だしな」
「信代さんの雰囲気…多分、うちの父さんに似てるんだと思う」
言われてみればそうかもしれない。もやもやしていた部分が分かってスッキリしたけれど、どこが似ているのだろう。
顔は確かに両者とも整っているが、顔立ちはあまり似ていない。どことなく漂う雰囲気が似ているとしか言えないが、どうしてもそう思ってしまう。
「そういえば、お前の父親の妹と虎次郎が昔恋人同士だったって言ってたな。だから…なのか」
「それはどうだろうね、俺は叔母がどんな人なのかも知らないし。まあでも、信代さんは元々上杉さんに惚れてたみたいな話もしてたから」
「あら、何の話をしていらっしゃるのかと思えば…恥ずかしいわ」
急に聞こえた信代さんの声に、俺とハルはハッとして振り返る。いつの間にか音もなく後ろに立っていたものだから、驚くのも無理はない。
「丈は大丈夫そうですわね、よく似合っていらっしゃるわ」
旅館で一度着たけれど、こんなちゃんとした浴衣を着るのは初めてだ。薄い緋色一色のシンプルなデザインではあったが、素人目で見てもこれが良い物であるのだと分かる。
「花火大会はこれ着ていこう」
「俺が誘ったの最近なのになんで…」
「俺はずっと勇也と一緒にいくつもりだったよ?勿論誘ってくれて嬉しかったけどね」
「なんだよ、それ…折角誘ってやったのに」
膨れる俺を、ハルだけではなく信代さんまでが笑う。
浴衣を着たところで花火大会に対する期待値がどんどん上がってしまっている幼稚さを自分の中でも呆れて笑った。
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