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第271話Ocean
「勇也、勇也…おはよう」
柔らかい声で目を覚ました。目を開けばそこにいるのは自分の愛しい恋人。どうやら昨日はあのまま眠ってしまったらしい。自分も随分ハルに甘えてしまったことを思い出して少し恥ずかしくなった。
「…はよ。時間は?」
「もうお昼だよ、そろそろ12時になる」
「ん…昼飯つくる」
ゆっくりベッドから体を起こして、当たり前のようにハルに抱かれて下まで降りた。前までは恥ずかしがって抵抗していたけれど、今ではもうそれも諦めている。
「ハル…はーる…そこにいたら準備出来ねえだろ」
「勇也が料理してるの見るの好きなんだもん。それにまだ腰痛いでしょ」
「別にこれくらい大したことねえよ。つーかお前のせいだし」
ベッドでしていたらもう少し体の負担は少なかったかもしれない。どうしてこうもハルはアブノーマルなことばかりしたがるのだろうか。
「今何作ってんの?」
「そぼろ丼。この前テレビでやってたやつメモしといた」
「うわぁ、主婦じゃん」
「邪魔するくらいだったら冷蔵庫から出汁と卵漬けてあるタッパー取っておいてくれ。多分テープかなんかに文字書いてあるから」
気の抜けた返事をしてハルは冷蔵庫を漁る。卵はすぐに見つかったようだが、出汁が分からないらしい。
「ダシってどれ?かつおだしってやつ?」
「違う、俺が自分で作ったやつがどっかの容器に入ってる」
「嘘、無いよ…これ?デジルって書いてある」
「出汁って書いてダシって読むんだよ」
頭が良いからそれくらい知っているものかと思っていたが、出汁の存在自体知らなそうだから無理もないのかもしれない。
「山に車って書いてダシって読むのしか知らない」
「なんでそっちは分かるんだよ」
冷蔵庫からものを取り出すと、また俺を後ろから抱き締めて料理の邪魔をしてきた。思い返せば初めてハルにオムライスを作った日もこんな体勢だったかもしれない。
「勇也にプロポーズするときなんて言おうかな」
「お前はいつも唐突だな…なんで今そんなこと」
「俺のために毎日味噌汁を作ってくださいって言おうと思ってたんだけど、よく考えたら既に毎日作ってくれてるしなぁと思って」
本気でそう言うつもりだったのかは分からないが、そんなくだらないことを悩んでいるハルがやっぱり可愛い。それこそ初めてオムライスを作ったあの日はこいつが可愛いなんて微塵も思わなかったというのに。
「肩書きが変わろうが別に俺たちの間で何か変わるわけじゃないだろ」
「結婚したらさ、俺たち家族になれるんだよ」
「家族…か」
今俺に家族はいない。今家族と言えばまさにハルがそれに近いのだろうか。
男同士で結婚なんてできるのかどうかすらよく分からないが、ハルと家族になれたら俺はそれ以上望むものはない。
「ね、ちょっといいでしょ」
「…悪くは無い」
「これ、もう完成?」
「出汁の水分全部飛んだらな…ちょっと味見するか?」
スプーンで鍋の中のものをひと掬いしてハルの口元に持っていく。
「んー…ちょっとしょっぱい?醤油の味が強い気がする」
「じゃあ砂糖足すか…もともとレシピ自体甘みが弱いからな。お前、甘い方が好きだろ?」
「うん、それでよろしく」
こうしてるのも、なんだか夫婦みたいだななんて思ってしまいむず痒い気持ちになる。本当に最近は思考がハルに寄ってきている。別にそれが良いとか悪いとかいう訳では無いけれど。
出来上がったそぼろを器に盛った白米の上に載せ、その上に昨日から醤油に漬けておいた卵黄を載せる。
「花火大会の前に仕込んでたのこれだったんだね」
「本当は卵漬けるの数時間でいいんだけどな」
「でも美味しいよ、卵もそぼろも」
「良かった。卵白は取り除いておいたから後でメレンゲ菓子でも作るか」
こういうなんでもない日常が幸せだ。誰の人目も気にせず二人きりで、一緒に食卓を囲む。
「あ、今日の夕方から出掛けるから後で準備してね」
「出掛けるって…どこに?」
「それは着いてからのお楽しみ。結構長く電車乗ることになるけど大丈夫?」
「ああ、まあお前がいるなら…」
いつも唐突で突飛なことを思いつくハル。今日はどこに連れていってくれるのだろうか。少しだけ心躍るような、そんな気がした。
時間は午後4時頃、出掛けるにしては少し遅い時間だ。わざわざ遅い時間に行く意味があるということなのだろうか。
最初は混んでいた電車内も、次の駅に進むにつれ乗客は減っていった。
ようやく席について、ハルの肩に頭をもたれる。
「いつになったら着くんだ」
「もう少し、あと五駅。寝ててもいいよ、起こすから」
「ん…」
誰もいない電車内だからこうしてハルの近くにいられる。海外だと少しは違うのだろうか。
いつか、誰の目も気にせずにこうして寄り添うことができたら。
「勇也、もう着くよ」
眠い目を擦りながらハルに手を引かれて電車の外に出ると、ふわりと潮の匂いがする風が吹いた。
「海…」
寂れた駅に降りてすぐ、目の前には海と砂浜が映る。もしかしたら、まともにこうして海を近くで見たのは初めてかもしれない。
「海行きたいって言われたから」
「昨日の今日で行くと思わないだろ、普通…」
「海水浴もいいんだけどそれはまた今度ね。大人数のが楽しいかなと思って」
海岸に降りるけれどこの時間人は全くいない。それにここの海はそこまで海水浴向けというわけでもなさそうだ。
「それにしたって、なんでこんな時間に」
「夕日の沈む海を見てみたいなって、そう思ったから」
「まだ結構明るいな、でももう5時半か」
「夏だからね。日の入りも6時40分くらいかな…それまで随分時間あるけど、ちょっとだけ入ってみる?」
手を繋ぎ、適当な所で靴を脱いで波打ち際まで歩いていく。打ち寄せる白波に触れないように、子供みたいに波から逃げながらはしゃいだ。
「あ、触っちゃった」
「まあ、裸足だしいいだろ」
「ズボンの裾濡れたかも」
「汚さなきゃいい」
「勇也、ご機嫌だね」
そう指摘されて思わずムッとする。確かに少々はしゃぎすぎたかもしれない。初めての海とはいえもう俺も今年で17になる。とは言っても、隣に図体だけはでかい子供がいるから自分は大したことないのではと思ってしまう。
「…少し曇ってきたな」
「夕立雲かなぁ…夏らしいといえば夏らしいけど」
曇り空を見つめていると、ぽたぽたと水が顔に落ちてきた。次の瞬間にはざあざあと音を立てながら雨が降り始め、着ていたTシャツは雨が染み込み体に張り付く。
「夕立だからすぐ止むと思うけど、一回駅まで戻る?」
雨のせいか声があまり通らなくて、ハルは近くにいるのに声を張り上げる。
いつもならすぐに戻ると答えていただろう。けれど俺は、もう少しこの時を楽しんでいたいと思ってしまった。
「どうせ濡れるんだ、もう少し遊ぼうぜ」
自然とこぼれた笑みに、ハルはまた微笑みを返した。
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