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第296話Acknowledge⑤

俯いていた所を、後ろからハルに抱きしめられる。その強さに少し驚いたが、この温もりによって心は次第と落ち着いていく。 「ごめんね、勇也」 「なんでお前が謝んだよ」 「俺が最初から教室に居ればこんなことにはならなかった」 「喧嘩を買ったのは俺だ。だから俺が悪い」 「だからって…勇也に手を出したこと、許せないよ」 ハルは子供が母親に泣きつくみたいに俺の肩へ顔を埋める。俺のせいでハルの心を傷つけてしまったのだと、そこでようやく気づいた。ハルが怒るんじゃないかとビクビクしていたのはお門違いだったのだ。 「ごめんなハル、もう大丈夫だから」 「あはは…どっちが慰められてるんだか分からないね。勇也は大丈夫だなんて言わなくていいんだよ」 「本当に…大丈夫だって」 「大丈夫だったら泣いたりしない。後輩の手前どうしようもなかったのもあるかもしれないけど、我慢なんてしなくていい」 ハルと正面に向かい合わせになって、初めて自分が泣いていることに気づいた。 一体いつから泣いていたのかも分からない。ただ、ハルの顔を見ると余計に涙が止まらなくなっていた。 「ハル…ハル…ごめん、俺…」 「謝らなくていいんだよ。朝比奈くんにも言われたでしょ。勇也は悪くない」 「お前に…迷惑、かけな…ように、と思って…なのに、また…ごめん」 「大丈夫だよ。大丈夫…怖かったね」 「ひっ…ぁ…あぁ…うっ…うう」 嗚咽を漏らしながら、恐怖を思い起こした体が震えて過呼吸になっていく。 息が出来ないまま、海へ溺れていくみたいだ。 「我慢してたんだね。朝比奈くんが傷付けられるのも、きっと耐えられなかったと思う。大丈夫だよ、勇也は悪くないよ」 「は…はる…たすけ…いき、できな…」 背伸びをしてハルにキスをせがむようにしがみつく。後頭部に手が添えられると、ゆっくりハルの唇が重なった。 呼吸を整えるように、ゆっくり空気が入り込んでくる。 空気が肺を満たし、また吐き出す。ハルの舌が口内を蹂躙して、ただただ気持ちよかった。 「…落ち着いた?」 それに応える代わりに、自らハルのTシャツを引っ張って引き寄せる。 ハルはもう一度優しく正面から俺を抱きしめてくれた。 「…ハル、好きだ」 「な、何どうしたの急に?いや…うん、知ってるっていうか、俺も好きだけど」 「触られるのは、ハル…だけがいい」 静かに俺はそう零した。相変わらず校内は文化祭に訪れた人々の声で賑わっている。 「だから…ほんとに、嫌だった…俺のせいで朝比奈が傷つけられて、助けたくても抵抗したくても、体が…言う事聞かなくて」 「うん、分かってる…自分ばかり責めないで。触られただけ?他には何もされてない?」 声がうまく出なくてひたすら頷く。その俺の必死さに、ハルはクスリと笑った。 「良かった…本当に、良かった。怖かったんだ、俺」 「怖いって、なんでお前が」 「教室に戻って勇也がいないって分かった時から怖かった。勇也が傍にいないとダメなんだ」 「でも、助けに来てくれただろ…それだけで俺は」 ハルは更に力いっぱい俺を抱き寄せると、泣く子をあやすように背中を摩った。 不思議とまた涙が零れ落ちる。それは恐怖心からではなく安堵からだった。 「勇也が俺の傍からいなくなるのが、怖くて怖くて仕方がない。今度こそ離れたりしないって約束してほしい。じゃないと俺…本当に」 「ごめん…はる…ごめんな」 「違う、謝らせたいわけじゃなかったんだ…もっと俺がちゃんとしてれば良かったのに。ちゃんと勇也のこと、見てあげられてれば」 「勝手な行動をしたのは俺の方だ。ハルが来てくれただけで、俺は嬉しかった、し…」 照れ隠しにハルを抱き締め返す。自分でもさっきまで何人かと闘っていたというのにひどい切り替えようだとは思ったが、ハルを前にしたら甘えたくなってしまうのは仕方がない。本当に心からの安堵を、ハルはくれた。 「まだ怖い?怖いならもう少しこうしてよう」 「…まだ、こわい」 怖くないと言ったら嘘になるけれど、ハルが傍にいるだけで俺の恐怖心は大分薄らいでいた。 もう少しこうしていられるのなら、怖いということにしておきたい。 「…気の済むまでどうぞ」 「こんなんじゃ気が済まないって言ったら…?」 「家に帰ってから、もっとしてあげるよ」 ハルに頭を撫でられる。心が浮くようだった。朝比奈の時とはまた違うな、なんてまた酷いことを考えてしまう。 「…今俺以外のこと考えてた」 「か、考えてねぇし…」 「嘘。考えてた」 「何拗ねてんだよ」 ハルは唇を尖らせて俺のことを不機嫌そうな目で見つめた。 自分の心の中が見透かされているみたいで肝が冷える。ハルのことしか考えていないつもりでも、さっき朝比奈からあんなことを言われたから気にしないわけにもいかない。 「だって、勇也は俺のだし」 「ああ、お前のだよ」 「勇也は俺のことが一番好きだし」 「お前が一番好きだよ…何回も言わせんな」 お互い無言で見つめあってからもう一度抱きしめ合い、延々とお互いの気持ちを答え合わせするかのように確認していった。 今年の文化祭も、もうすぐ幕を閉じようとしている。 【第五章 Acknowledgement -完-】 第六章へ続く

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