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第319話Aquarium

目が覚めた時には床の上だった。身体中が痛む上に掻きむしったところが地味にまだ痒い。ぼうっと天井を見つめた後、スマートフォンの画面で時間を確認するや否や上に乗っかっていたものを蹴飛ばすように起き上がった。 「おい、起きろハゲ!」 「ん〜まだ禿げてないもん…」 「朝食の時間過ぎた。あと三十分もしねぇうちに集合時間だぞ」 「えーもう9時半?早くない?」 大きな欠伸をしてその端正な顔を歪めながら、裸のハルは俺に覆いかぶさるように抱きついた。 「くっつくな、早く荷物まとめて準備しろ」 「昨日は激しかったね」 「うるせえ、変なもん塗りたくりやがって。俺が先にシャワー浴びるからな」 「俺も風呂入る〜勇也ちゃんと頭も濡らしておきな、寝癖直してあげるから」 狭い備え付けの風呂に無理矢理ハルと二人で入って、昨日変なクリームを塗られた部分を中心に体を洗い流した。 昨日ゴムもしないで挿入したせいでハルまで痒みが止まらないと言い出したけれど、自業自得だからざまあみろとしか思えない。 それより隣の部屋に声が聞こえていたであろう事が気になって仕方なかった。 「ねえ、昨日俺がどうしたいの?って聞いた時勇也なんて答えたと思う?」 「…黙れ」 「教えてあげようか」 「いらねえ」 どうせハルを求めて恥ずかしい言葉を口にしたのだろう。自分でもあまり覚えていないけれど大抵それは本心から言ってしまっているものだから恥ずかしいことこの上ない。 「やっぱりお前が好きだって…俺に言ってくれたんだよ」 「なんだそんなこと……は?」 大したことじゃないと思ってすぐにその言葉を頭の中で反芻したが、何かを強請ることよりよっぽど恥ずかしい。みるみるうちに顔に熱が集まって、意味もなくハルの方をどついた。 「なにその照れ隠し」 「照れてねぇ!」 「俺の事好きなんだね、嬉しいよ」 「そんなんじゃねえし」 つい口からそんな言葉が出たが、勿論ただの強がりだ。ハルは呆れたようなムカつく表情を見せて俺の軋む体を抱き寄せた。 「そうなの?俺は大好きなのに」 「いってえ、触んなバカ」 「勇也は好きじゃないんだ、悲しいなぁ」 耳元で紡がれるハルの声が体の内をくすぐるような気がした。声が触れた耳だけ熱を帯びて、いてもたってもいられなくなる。 「…好きじゃないなんて言ってねえ」 「じゃあなに?」 「言わなくても分かるくせに…アホ」 何も言わずにハルの目を真っ直ぐ見つめると、俺の事なんて全て分かってるみたいに目を閉じて唇が重ねられた。 触れて離れて、また貪るように唇を啄む。息が上がって腰が立たなくなってきた所で、部屋のドアを控えめにノックする音が聞こえた。 「せっかくいいところだったのに…勇也は出ないで、そんな顔他のやつに見せられないから」 どんな顔なんだと聞きたかったけれど、きっと人前に出せないくらい緩みきっただらしのない顔をしているのだろう。 ハルがドアを開けるとそこに居たのは隣の部屋の二人で、どうやら朝食に来なかった俺達の様子を見てくるよう教師に頼まれたらしかった。 「うん、分かったありがとう。具合悪かったって言っておくよ…え?ああごめんね、次からはもう少し静かに…そういうことじゃない?…そんなこと言っても勇也はあげないから」 「おい、お前なんの話して…」 痛む腰を押さえながらドアへ近づくと、目が合った隣室のクラスメイトは顔を真っ赤にしてロボットのようにギクシャクと動きながら部屋へ戻ってしまった。 「やっぱりここの壁薄かったか…丸聞こえだったみたい」 「なっ…」 またしても顔が熱くなる。さっきの反応は俺の声を聞いてしまったことによる気まずさからだったのだろう。 それはあっちだってクラスメイトの男の喘ぎ声が聞こえてきたら気まずいに決まってる。 こんなの言いふらされたら恥ずかしすぎて学校で生きていける気がしない。 「他言はしないってさ。あと勇也の声色っぽかったって言ってたよ」 「色っぽいって…気色悪いの間違いだろ」 「えー、俺は勇也の声すごく興奮するのに」 「お前は黙ってろ」 今まで喧嘩の時にタンカを切っていたとは思えない。女みたいな甲高い声でハルを求めて、悲痛な愛を訴えて、そんな声が他人に聞かれたと思うと改めて死ぬほど恥ずかしかった。 「あ、水族館で買いたいものあるんだけどいい?」 「水族館…?ああ、このあと行くところか。何買うんだ」 「ジンベイザメのぬいぐるみ」 「…誰に」 答えは何となくわかっていたから顔を隠すように背を向けてしまう。口角が上がるのを必死にこらえていた。 「え、自分用。抱き枕にはしないから安心してよ」 「お前本当…」 「なに?」 「なんでもねえよ」 我が恋人ながらなんて可愛いのだろう。あれだけ変態趣味で強情で雄々しいのに、ぬいぐるみを欲しがるのだ。 つい我慢できなくて、ハルの頭をクシャクシャに撫で回してしまった。 「なにどうしたの、セット崩れちゃうよ」 「崩れてもカッコイイぞ」 「本当に思ってる?…まあ、俺はどんな髪型でも顔がいいからね」 残念なイケメンという言葉を聞いたことがあるが、こいつのことだろうか。 自覚があるのが悪い訳では無い。寧ろそこすら愛おしく思えてしまってまるで親バカだなだなんて呆れて肩を竦めた。 ハルがずっと大事に持っていた古いクマのぬいぐるみは、母親の移行対象らしい。それを高校生になっても手放せないほどにハルはきっと飢えていたのだろう。 ジンベイザメのぬいぐるみを欲しがったのが何かの前触れだなんて思うはずはなかった。 この時は何も知るはずがなかったし、考えるはずもなかった。ただ俺は、理由をどこかに見つけたかっただけなのかもしれない。 何でもいいから、擦り付けたかったんだ。

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