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第327話For you②
海での騒動後、俺は一度ハルの家へ戻った。荷物はそのままだったし、どうやらハルの母親から俺に話があるらしかった。
集まってくれた面々はやはり誰もが呆れていたが、俺の事を探すのに皆力を貸してくれたらしい。中学の連中に関しては俺とハルの関係性を知らないものも多かったためまた別の混乱が生じたらしいが、それに関しては申し訳ないと思っている。
再びあの部屋のドアノブに手をかけると、今度は上からハルの手が重なる。意外にも、その扉は簡単に開いた。
「…ごめんなさい、双木くん」
俯いていたから本心からそう言っているのかまだ分からなかったけれど、確かに母親はそう零した。
「私にはあなた達のことがまだ認められない。けど、私もあなた達の辛さがわからないわけじゃないの。だから…もう口は出さない。失礼なことを言ってしまったことだけ謝るわ」
「母さん…なんで急に」
「遥人も…今まで辛い思いさせてたみたいでごめんなさい。さっきあなたの叔父さん…ほら、病院やってる、綾人さんの弟の」
「叔父さんがどうしたの」
今どういう会話の流れなのかはあまり掴めないが、母親はハルの区別も、自分のこともしっかり分かっているらしかった。ただ力が抜けたようにも思えるが、全てを諦めているようにも見える。
「その人のところに叶人が戻ってきたらしいの。いくら跡継ぎのためとはいえ、私があの子を愛していたのは本当よ。だからあなたのことも愛せるように、向き合うわ」
「兄貴が…そうか、じゃあ、病院も…」
「いいえ。継ぐのはあなたでいいの。一度言ったこと、取り消さないわ。そもそも叶人にはもう、そんな意思はないみたいだから」
どうやら失踪していたと聞いていたハルの兄が戻ってきたが、病院を継ぐことは無いらしい。その件に関しては謎が多すぎてよくわからないのだが、母親はやけに落ち着いて見えた。
「双木くん、あなたは遥人を幸せにしてね。私にはきっともう、できないから…自分の愛する人と結ばれなかった私や綾人さんのようにならないように、ね…」
きっとこの人も綾人さんも、政略結婚などしたくなかったのだ。他に愛する人がいたのに結ばれなかったのなら、その愛が歪むことも無理はなかったのかもしれない。正しい選択肢などきっとどこにもないのだ。
うちの両親のように、愛し合って結ばれても成功するとは限らない。全てはお互いの心をいかに支え合って、生きていくかだ。
「…母さんのこと、俺もまだ許せないことは沢山あるし、正直ちょっと恨んでる。けど、ありがとう。俺は今からでも母さんに愛してもらえればそれで充分だよ」
「こんなお母さんで、ごめんなさい…」
「そんなこと…言わないでください。ハル…遥人くんは、あなたにずっと愛して欲しかったんです。あなたのことが嫌いなわけじゃない。今向き合えただけでも、立派な母親ですよ」
顔を上げた母親は、酷く驚いたように見えた。そして顔を手で多い、すすり泣きながらまた俯いた。
「ありがとう…ごめんなさい…あなたもきっとなれるから、もっと素敵な、母親に」
この時はおかしかなことを言っているのだと思っていた。けれど、この発言はそんな軽はずみに言ったものではなかったのだと分かるようになる日が、俺にもいつか来る。
部屋を出て綾人さんに挨拶した後、二人の家へ戻った。
緊張感が解けたからか、その日はソファで二人とも眠りこけてしまった。
季節が巡るのは早いもので、いつしか風は痛いほど冷たくなっていた。悴んで赤くなった指先を温め合いながら、今年も二人で初詣に行った。
「何お願いしたの」
「別に、なんでもいいだろ」
「ケチ…俺は勇也とこの先も愛し合えますようにってお願いしたのに」
「お前なぁ、そんな分かりきってることじゃなくてもっと受験のこととか…」
「分かりきってる、ねぇ…愛されてるなあ俺」
鼻につくニヤケ顔にマフラーを投げつけ、また手を繋ぎ直す。時折こちらを指さす者やこそこそと話し出す者もいたけれど、それでも繋いだ手を離そうとはしなかった。
「そういや予備校代、大学生になったら返すからな」
「父さんのお金なんてあり余ってるんだからいいのに」
「人としての礼儀だよ、お前もちょっとは親孝行しろよな」
「なにそれ、俺が何もしてないみたいじゃんかー」
綾人さんの勧めでハルと俺は同じ予備校に通い、受験勉強に励んだ。なかなか満足出来る判定を模試で貰えることは無かったが、それでもめげずにひたすら勉強に打ち込む。
そのため当分いかがわしいことは禁止。日々煩悩とハルからの誘惑との闘いであった。
いつしか学年はまたひとつ上にあがり、遊んでいる暇もなく月日は流れていった。
受験期間中は髪の色を暗くしたり、ピアスの数を減らしたりと見た目を改善していったのだが、朝比奈に馬鹿にされすぎて何度イライラしたかは数えきれない。けれどそれ以上にみんなに囲まれて、笑っていたような気がする。
「勇也、大丈夫だよ。センター試験は余裕だったでしょ」
「難易度がちげーよ、やっぱりまだ詰めが甘いような気がしてならねえ」
「今やったってなんも変わらないよ…大丈夫、勇也はきっと受かるよ」
「ったりめーだろ、お前も受かれよ」
口角を上げて、ハルはひらひらと手を振る。運命を左右するかもしれないこの試験。手汗を服の袖で拭い、試験会場へ足を踏み入れた。
そして三年生は皆しばらく受験のため学校へ行くことがなくなった。気づけばいつの間にか、自分たちが卒業する日はすぐそこへとやってきたいたのだ。
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