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第329話Beginning②
「あーもう引越しのトラック先に行っちゃってる。上杉さん達が手伝ってくれたみたいだけど」
「あの人、息子の卒業式なのに見にこなくて良かったのか?」
「泣かれたら恥ずかしいから来るなって謙太くんに言われてるんだってさ。あんなヤクザ学校に来たら皆怖がっちゃうしね」
この後俺とハルは新居まで綾人さんに車で送ってもらう予定だった。まだ綾人さんの車は見当たらなかったから、しばらく家の前で待つことにした。
「…お前に勝手に引越しされた時のこと思い出すな」
「したっけ、そんなこと」
「いきなり輩に担がれたときは死ぬかと思った
「あの時の俺はちょっとやり方が乱暴だったね」
ハルは笑いながらそう言っているが、内容は全く笑えるものでは無い。
「どうするんだ、この家」
「しばらく空き家にするけど、俺はまた戻ってくるつもりだよ。うちの病院にはここの方が近いからね」
「そうか…」
「どうしてそんなこと聞いたの?」
「いや、俺もこの街とこの家には…それなりに思い入れあるからな」
このまま家が無くなったり、ほかの人間が住むことになったりするのは少し複雑だった。だから結果的に良かったのだが、またここに戻ってくるのが何年先になるのか見通しはついていない。
「いつかこの街が、もっと俺たちにとって住みやすくなるといいね」
「それってどういう…」
話している間に、やけに目立つ外車が目の前に止まった。特に何を言うでもなく、俺とハルはその車のドアを開く。
「二人とも卒業おめでとう。やけに荷物が少なかったけれど、本当にあれでいいのか?」
「ありがとう父さん。アパートそんな広くないし、なるべく荷物は少ない方がいいからね」
「わざわざ小さいアパートなんて借りなくても、言ってくれれば十分な広さのマンションも用意できたのに」
「いいんだよ、できるだけ父さんに頼らないようにしたいから」
程なくして引越し先のアパートに到着した。見たところやや古いが、中はリフォームして綺麗になっているらしい。
「虎次郎達は用事があるからもう帰ったみたいだ。後で礼を言いなさい」
「うわ、荷解きまでやってくれたんだ。ありがたいけど申し訳ないなぁ」
「ハル、俺からも助かったって伝えておいてくれ。あと綾人さん、送ってくれてありがとうございました」
「いいんだよ、手伝いがあまりできなくて悪いね」
綾人さんは病院の仕事の合間にわざわざ俺たちを送り届けてくれた。ハルがさっきも言っていたが、これから先は大人たちに頼りすぎないように生活しようと決めているのだ。そのため、これからは寂しくなってしまうと言いながら綾人さんは送り役を買って出てくれた。
「ありがとうね父さん、何かあったら連絡する」
「ああ、彼女と叶人にも連絡してやってくれ…それじゃあそろそろ行くよ。元気でね」
「ありがとうございました」
ハルの母親と兄は、この一年で少しずつハルとの関係を改善していったらしい。兄の話はあまり聞かないけれど、なんとなくこちらからは聞けなさそうな雰囲気であった。
「うわー、やっぱ狭いね」
「俺が前住んでたところよりマシだ。キッチンもそれなりに広いし充分だろ」
「頑張って慣れるしかないかな」
残りの荷物を整理しながら、三年間の思い出をなんとなく振り返る。
あれは酷かっただとか、今思うと警察沙汰だとか、思い出せば出すほど物騒なことばかり思い浮かんでくる。
ハルは卒業式の前に配られた卒業アルバムを手にして床に座り込んだ。
「卒アルってついつい見ちゃうよね〜」
「片付け終わってからにしろ。お前の中学の卒アル家の外に貼り出すぞ」
「あれはだめ!あの時の俺髪の毛真っ赤だし、朝比奈くんみたいでダサい」
「元はと言えばお前に憧れてあの髪型なんだけどな」
あらかた部屋が片付き一息をつく頃には、いつのまにか日が傾き始めていた。まだ新しいカーテンが届いていないから、薄っぺらいカーテンから赤みを帯びた空の色が透けて見える。
「ねえ、勇也」
「飯作る気力今ないからちょっと待て」
「そうじゃなくて、渡したいものあるからこっちに来て」
渡したいものと言われると、何か掃除中にくだらないものでも見つけたのかと思ってしまう。もうすぐ大学生になるというのに、元から大人びているハルの見た目に反して中身はまだ小学生のままのように感じざるを得ない。
「ちょっと後ろ向いて」
「なんだよ」
「いいから」
言われた通りハルに背を向けると、後ろからふわっと優しく包み込まれる。
突然抱きしめられたのかと思って耳が熱くなるのを感じると同時に、首元にひやっと冷たいものが触れた。
「お前、これって…」
「ネックレスチェーン。この前あげたやつ失くしたって言ってたから」
17歳の誕生日にハルからもらったネックレスチェーン。海まで一人で行ったあの日、どこかでなくしてしまったのだ。
ハルには何度も謝ったけれど、また今度あげるから、と窘められていたのだった。
「悪い、俺がなくしたのに」
「いいんだよ。俺も渡すの遅くなってごめんね」
「…ん?なんかこれ、付いてるぞ」
ネックレスチェーンをよく見ると、そこにはリングのようなものが通されていた。前はただのチェーンだけだったはずだ。
ハルも自身の首にかかったネックレスチェーンを外し、同じようなリングを通してまた元通り首にかけた。
「えへへ、おそろい」
「なんだその笑い方、きもちわりぃ」
「酷いなぁ、勇也も喜んでよ」
「つーか、なんでこんなものまで…」
リングを指でつまんで自分の目の前まで持ってくる。よく見ると内側にキラキラと光るストーンが埋め込まれていた。
「それ、内側のダイヤだから失くさないでね。ちっちゃいやつだけど。ピアスと同じブラックダイヤとも迷ったんだけどね」
「また金のかかるもんを…」
「これだけはかけなきゃいけなかったんだよ。わざわさ父さんの仕事の手伝いしてお金稼いでたから作るのに大分時間かかっちゃったけど」
言われてみれば確かに、ハルは受験で忙しい時期にも何かと綾人さんのところで手伝いをしに行っていた気がする。
しかし綾人さんに頼めばいいものを何故わざわざそこまでして自分で金を稼いだのだろうか。もちろん、そちらの方がまだ罪悪感は少ないし嬉しくもあるのだが。
「俺も早くバイトして何か返さねえとな…」
「これは返さなくてもいいよ、だって」
ハルが俺の手をぎゅっと両手で握りしめる。大きな瞳がこちらを真剣な眼差しで見つめてくるものだから、目が釘付けになった。
「いつか、この指輪をきみの薬指に通してあげたいから」
そう言うと、少し目を細めて微笑む。その微笑みに自分の体は化石された。その意味を理解しようと頭の中がぐるぐると回るが、導き出される答えに戸惑うばかりだった。
「受け取って貰えますか」
ハルは真剣にそう続ける。
少しの沈黙の後、精一杯に小さく頷いた。
「ありがとう。愛してるよ、勇也」
ハルに抱きしめられ、思わず目頭が熱くなる。目元に力を入れ、静かに腕を回して抱きしめ返した。
「ハル…愛してる」
そう言ってお互い見つめ合い、なぜだかおかしくなって笑ってしまう。笑ってまた目があって、唇が引き寄せられた。
孤独だった自分を愛してくれた、生きる意味を与えてくれた。自分のために、ハルのために生きようと思えた。
そんなハルを心から愛せる。きっと、永遠に。
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