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第39話Kindness
熱い、頭が痛い、苦しい。
頭の中がふわふわする。ここはどこなのだろうか。ゆっくりと目を開くと、視界がぼやけてはいるが、なんとなく周りが見えてくる。
車の中ではないようだ。ヤクザの姿も見えない。
上半身を起こすと頭が痛くて、気持ち悪くなる。
体の疼きもまだ残っている。小笠原の部屋ではない。俺は今ベッドの上にいて、この部屋には新品らしい家具が置いてあり、ラックには俺のものと思われる学ランがかかっている。
相変わらず下着を履いている感覚はない。
小笠原のシャツはもうクシャクシャになってしまった。周りを見渡していると、ドアが開いて薄暗かった部屋に明かりが差し込んだ。
「……起きた?」
それは小笠原だった。眉を下げて、心配そうにこちらを見つめている。小笠原が部屋の電気をつけると、一気に部屋が明るくなる。そして小笠原の後ろに先程の大男のヤクザが見える。
「っ…あんた、一体…」
そのヤクザが何者なのかが知りたくて尋ねたが、答えるよりも先に小笠原が飛びついてくる。
いきなり物凄い力で抱きしめられて、苦しくなった。
「ごめんね…ごめん、気づけなくて」
「っおい…くる、し…離せ!」
そんなやりとりを見て、虎次郎と呼ばれていた大男は面白がるように笑った。
「おい遥人、そのガキに説明するんじゃなかったのか?」
「あっ…そうだった」
平然と話しているが、一体こいつらはどういう繋がりがあるんだ?未だに状況が掴めない。
俺だけひとり蚊帳の外にいるようだった。
小笠原は、額に手を当てて間を置くと、口を開き始めた。
「えっとー…何から話せばいい?」
「…そのおっさん、なんなんだよ…」
すると、大男は苦笑しながら再び小笠原に向けて話しかける。
「おっさん…ね…まぁいい、遥人から言ってくれ」
「この人は見ての通り…ヤクザ。上杉組の若頭の上杉虎次郎さん、そんでもって父さんの旧友…。だからうちの病院と上杉組は裏で繋がってるの。うちの兄貴は喧嘩なんてしないし、ヤクザのみなさんも兄貴が気に入らないらしくてね。俺はたまたま反りが合ったからこうして仲良くしてるってとこ…わかった?」
「いや、全然わかんねぇ…」
上杉…?どこかで聞いたことがあったような気がしたが、熱のせいか全く思い出せない。
「遥人はおもしれぇ奴だからな…まぁ、小笠原には頭が上がらねぇから、こいつも俺らのことこき使ってるわけだが…」
「…でもあれはやりすぎ。あそこまでしろとは言ってない。」
「加減がわからねぇもんでな…」
まるでいきなり世界線が変わってしまったかのようで正直何も理解出来ていない。ヤクザだとか組だとか、そんなものが身近に存在することすら知らなかった。二人の会話は勝手に進んでいく。
「5限が終わったあと、心配で保健室見にいったら居なくなってて…職員室行って聞いてみたら熱出して帰ったって…不安で仕方なくて、上杉さん達に連絡したけど俺の家にもいないし…」
どうしてこいつから心配なんて言葉が出てくるのかわからないが、それなりに迷惑をかけたらしい。勝手に帰ってしまったのだから当たり前か…いや、俺が小笠原を待つ理由なんてなかったし、俺は間違ってない。それでも、そんなに小笠原が不安になる必要はないのに、と思った。
「俺達は遥人に言われてお前の引越し手伝ってたんだよ…しかしな、アパート解約したくても鍵がねえっつって管理者がうるせえから、それをさっきの二人に探させてたわけだ。お前のバッグに入ってたこれ、もらっておくからな」
そう言って虎次郎は俺の家の鍵をこちらに見せてくる。
「それっ…!返せよ!」
「もう解約は済んでるんだ。」
「くそっ…」
もう、あの家に戻ることは出来ない。
戻ったところでどうにもできないのはわかっているが、小笠原と一緒に暮らすことは不安要素しかない。
「そういうことで、俺はそろそろ帰らせてもらう。」
「うん…ありがとう上杉さん。また何かあったらよろしく」
「おう…そいつ、随分辛そうだから、ちゃんとお前が看てやれよ。飽き性だったお前がここまで拘るんだ、大事なんだろ?いいか、自分が惚れた奴なら責任もって守ってやれ…じゃあな」
「…わかったよ」
「は?いや、何が…」
わけも分からぬまま、虎次郎は帰っていった。
呆然としていると、再び小笠原に抱きしめられる。「ごめん」と何度も繰り返しているのが聞こえた。こうされてしまうとどうしていいかわからないし、怒る気力も削がれてしまう。こいつも、きっとどうしていいのかわからないのだろう。こいつに同情などしたくないのだが、何故かそんな気がした。
「ねぇ、勇也って呼んでいい…?」
「もう勝手に呼んでるだろ…」
「あぁ、そっか…勇也は、俺のこと嫌い?」
「…嫌い」
「っ…そうだよね、当たり前だ…」
「どうしたんだよ…お前」
「ごめん…わからなくて、ごめんね…」
謝る小笠原は、辛く切なそうな顔をしていた。
自分もなんと返せばいいのか分からない。
また、小笠原に抱きしめられると、疼いた体は快感を求めるように揺れた。
「んっう…」
「勇也の熱が下がるまで、俺が看病するから。」
「え…あ、あぁ。」
「ほんとに…なんでもっと早く気づけなかったんだろ…勇也、なんか欲しいものある?」
「……水」
「分かった、待っててね」
小笠原が看病すると聞いて正直不安しかないが、本人がやると言っているのだから俺が止める術もない。小笠原のことを許せる訳では無いが、今の俺にはここの家にいる以外の選択肢はないし、なにより高熱で動ける気がしない。相手が自分を犯した相手でなければこんなに不安になることもないのだが…
ベッドに横になる。どうやらこのベッドも新品で、この部屋にある家具も新しく用意されたものらしい。置いてあるダンボールはおそらく俺の荷物だろう。
小笠原が戻ってくると、経口補水液や冷えピタなど、よくわからないが色々抱えている。
「水だけでいいって…」
「経口補水液とかスポーツドリンクのほうがいいよ。あと冷えピタも貼るね。…病院行く?」
「病院は…いい。好きじゃない」
「好きじゃないじゃなくて…明日になっても下がらなかったら病院行こうね」
「………ん」
「ここの近くに親戚がやってる病院があるから…」
小笠原の親族は皆医者なのか、すごい家系だ。医師の家系はみんなそういうものなのだろうか。
「…もう寝る」
経口補水液のペットボトルを手に取って飲む。だいぶ喉が乾いていたようだ。叫んだこともあるし、風邪をひいたのも重なって喉がピリピリと痛む。
「…俺は、勇也が性的に好き」
「っ?!」
口に含んでいたものが吹き出る。
小笠原が手に持っていたタオルで俺の口の周りを拭く。いきなり何を言い出すかと思えば、本当に何を言ってるんだこいつは。
「だから勿論性的な目で見てるし、正直今もあわよくばそういうことしたいと思ってる」
「いやふざけんなよ…」
「でも、その…普通に、ひとりの人間として好きだし…今は家とか生活費とか、俺が何とかしようって思ってるから…あぁ〜わかんねぇ…どうしたら好きって伝わる?」
「……いや、そもそも…初めて面と向かって話したやつに…あんなことされて嫌いにならないわけないだろ」
「初めて…?あ、そっか…ずっと好きだったから初めて喋った気がしなかったな」
「お前…それ本気で言ってるのか?」
「いや、でもなんて言うか、性欲を抑えきれなかった」
「最悪じゃねえか」
珍しく小笠原が狼狽えている。言っていること自体は最低そのものだが、本人も何を言っていいのか分からないといった様子だった。
「どうすれば良かったの?今まで抱いてきた女の子達は皆、最初は無理矢理でも受け入れてくれたのに…ああでも、簡単に絆される女は飽きるからいやなんだけどね?」
「…何でそんな最低なことするのかわかんねぇし…俺は女じゃない。お前が好きなのはただの勘違いだろ」
「その女の子達のことが好きなわけじゃないよ、ただ泣いた顔が見たかっただけ。まぁ、みんな大したことなかったけど…性癖が歪んでるんだよね、俺。」
「…俺じゃなくて女を好きになれば良かっただろ」
「勇也のことが好きなのは…自分でもわかんない。最初は、女の子と同じでただ酷いことしてやろうと思って…でも女の子と違ってそっちから寄ってきてくれるわけでもないし」
「そういうの、やめろよ」
思わず、口にしていた。
あまりにも自分勝手なこいつの発言に、いてもたってもいられなかった。
「え…?」
「相手は好意を持って寄ってきたんだろ、無理矢理とか、やめろよ。受け入れたらいいってもんじゃないだろ…相手のことも考えろよ」
「…ご、ごめん」
熱のせいか、薬のせいか、思ってもないことまで言ってしまうかもしれない
自分の意志じゃない、そう思いたくても
口は勝手に言葉を紡いでいく
「俺は、お前のことを何も知らない。お前が何を考えているかも全くわからない。だから、好かれたいと思うなら全部やり直せ。もちろん俺はお前のしたことを許してないし今でも殴ってやりたいと思ってる…でも、お前が考えてること、お前のことを、ちゃんと知りたい。俺も…愛されたことなんてないから、どうしていいかわからない」
何を言っているんだろう。この男が自分にどんな仕打ちをしたか、忘れるはずがないのに。小笠原を、このまま放っておいてはいけない気がしてしまう。このどうしようもない男を、自分がどうにかしてやらないといけない。
似ている気がしてしまったのだ、俺と小笠原が。
愛されなかったから、愛し方も、愛され方もわからないんだ。
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