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第41話Kindness③

そういえば小学生の頃にも、高熱が出たことがあった。まだ、両親とマンションに住んでいた頃だ。 …………………… 『38度ね…これくらいなら大丈夫よ、学校に行きなさい』 「でも…ふらふらするから…」 『お母さんが子供のときはそんなの微熱の内だったわ。インフルエンザではなさそうだし頑張りなさい。』 「でも、俺…」 『わがまま言わないの!!子供が熱を出したらお母さんのせいにされるのよ!男の子なんだからこのくらい我慢できるでしょう?お母さん今日はいそがしいの!』 「…っだって…ねえ、母ちゃんどこ行くの?」 『お母さんはお友達のところにいくの。明日まで帰ってこないから。』 「やだよ…行かないでよ」 『すぐに泣かないの!もっと強くなりなさい、お母さんが恥ずかしい思いするでしょ?私の子なんだから、もっとしっかりしてちょうだい…はぁ、学校は休んでいいから家で寝てなさい。夕方にはお父さんが帰ってくるから…大人しくしてるのよ。』 「待って…母ちゃん…」 母親の服の裾を掴んだ俺の手はふりほどかれ、ひとり家に取り残された。 寝ている間は辛くて、苦しくて、水を飲みたくて自分で取りにいくのも精一杯だった。 そして家に帰ってきた父親は、熱で抵抗できないのをいいことに俺の体を弄んだ。 今思えば母親は、離婚する前まではよく〝 友達〟のところに泊まって帰らないことがあった。父親は、自分の妻が男に会いに行っているということに気づいていたのだろう。だから俺に手を出したのかもしれない。俺と母親の顔はよく似ていた。 当時は、両親から言われていた〝 弱い〟ことや〝すぐに泣く 〟ことがコンプレックスだった。 それ故、中学ではわかりやすくグレたのかもしれない。母親の気を引くなどということにとどまらず、彼女は理想の息子を壊され酒に浸って狂っていった。 俺が殺してしまったも同然なのかもしれない。 結局自分の良心や母親の言葉を忘れられず、不良〝 のような〟俺は、何にもなりきれずにいた。 双木勇也は本当に存在したのだろうか。 双木は母の旧姓で、元は違う名前だった。 勇也という名は、母親以外呼ぶものはいなかった気がした。 ひとりになった俺は、一体なんだ? いや、両親と暮らしていたあの時でさえ、俺はずっと孤独だったのかもしれない。 生きる気力がないのではない。生きる意味がどこにも見いだせなくなったんだ。 辛くて、苦しくて、俺自身を必要としてくれる人がいたなら、誰にでも縋りたかった。 誰かの姿が見える。母親だろうか。振り払われるのを分かっていても、ひとりにして欲しくなくて強くその手を握る。しかしその手は、予想に反して俺の手をぎゅっと力を込めて握り返したのだった。 ゆっくりと、瞼を開けた 端正な顔立ちの男がベッドの側にしゃがんでこちらを見ている。 まつ毛が長い。鼻が高くて筋が通っている。優しそうな目、綺麗な二重まぶた。泣きボクロがある、今まで気づかなかった。 熱でまだ頭がぼーっとしている。何も言わずに見つめていると、そいつは顔を赤らめて逸らした。 「…そんなに見つめられたら、我慢できなくなるんだけど」 「ん……?」 俺は、自分がそいつの手を握っていることに気づいた。だんだんと意識がはっきりしてくる。 自分がしていることに気づいて顔が熱くなり、ぱっと手を離して起き上がった。 「お、お前っ…いるなら言えよ!!!」 「いや…具合見に来て、帰ろうと思ったら手握ってくるから…」 「いや、これは違っ…」 そうか、夢の中で見えた人影は小笠原だったんだ。自分から手を握ってしまったのだと思うと顔から火が出るほど恥ずかしい。 すると、小笠原は立ち上がり、俺の上半身を抱きしめた。 「怖い夢でも見たの…?」 「や…別、に…」 そういえば、風邪をひいて誰かに看病されるのはこれが初めてなのか。押しのけていいのかも分からない。でも、上半身の体重を預けると、大分体が楽だった。不本意ではあるが小笠原の胸に顔を埋めるようにして身を委ねて目を閉じれば、心地よくてそのまま眠ってしまいそうだった。 「ちょっと…?勇也くん?おーい…」 「ん……眠い」 「ご飯は?後でいい?」 「…食べる」 「もうできるからこっちまで持ってくるね、ちょっと待ってて」 「ん……」 小笠原は、なにか呟きながら部屋を出ていった。 まだ眠気が残っていたので、横になったら寝てしまうと思い、体の向きを変えてベッドに座った。 眠くなると、判断力が鈍ってしまう。流されやすくなってしまっている。このままでは小笠原を正すどころじゃないじゃないか。でも、苦しいときに優しく甘やかされると、甘やかされたことがなかったからどうしていいかわからない。ただすべてを委ねてしまう。だめだ、正気に戻ってもう一回ぶん殴りたい。いやいや、今はあいつは悪いことしてないだろ。 ひとりで悶々と考えていると、ドアが開いて部屋が明るくなった。眩しさに目を細める。 小笠原は手にトレイのような物を持っていた。しかし小笠原は、何故か浮かない顔をしている。 「ごめん…頑張っだんだけど、初めてだったから…なんか焦げちゃって…不味かったら捨てていいから」 「ん…?」 ベッドサイドにあったテーブルにそのトレイを置く。その上には、お粥と思われるものが器に入って載せてあった。確かに、お粥といえども少し不格好で、焦げが混ざっていた。焦げと言っても完全に黒くなったものではないので食べられるだろう。料理全くをしたことがない小笠原がひとりで作ったというなら大したものだと思う。 「お米って炊くの大変なんだね…」 「米は…炊飯器で炊けるだろ?」 「え?そうなの?てっきりお粥作る時はちゃんと鍋で作るものかと思ってた…ほら、小学校の家庭科でやるやつ」 なんとなく思いだすと、確かに小学校の家庭科の教科書には鍋での米の炊き方が記載されていた気がする。わざわざ時間をかけてそんなことをやったのかと思うと、おかしかった。 「…食う」 「いいの?料理できる人に手料理を食べさせるって度胸いるよね…」 「いい、食う」 「じゃあ、はいあ〜ん」 そう言って小笠原は、木製のスプーンに一口分を掬って差し出してきた。 「…自分でやる」 「これやってみたかったの、だめ?」 「っ……」 だめかどうかと聞かれると、だめとは言えない。あざとくて気持ちが悪いが断りづらいのは確かだ。仕方なく差し出されたものをそのまま口に含んで飲み込む。 「どう…?」 「…しょっぱい」 すこし塩分がきつめだった。食べられない訳では無いし、風邪をひいていて味が分かりづらいので丁度いいといえば丁度いい。 「ごめん…やっぱり下げるね?」 「でも…」 「ん?」 「…うまいし、温かい」 作ったばかりのようだから、温かいのは当たり前なのだが、それ以上に、体以外が温まった気がした。 生活力ゼロの小笠原がこれを一生懸命つくったのならそれは喜ばしい成長ではないか。 あれだけ自分勝手なやつが試行錯誤して作っていたのだと思うと、顔が少し綻んだ。 「笑った…?」 「…あ?」 言われてみれば、確かに口元が少し緩んだような気がする。笑ったのは、いつぶりだろうか。自分でも意識していなかった。 小笠原は、目を見い開いてこちらを凝視している。 「ね、キスしてもいい?」 「だめに決まってんだろ」 「なんで?ならもう一回やってよ!あ〜せっかく貴重な瞬間だったのにちょっとしか見てなかった…」 そんな具合にその後はだらだらと一方的に話されながら、時間をかけて完食した。合間に小笠原は、一口自身が作ったものを口にすると顔を顰めて舌を出した。 「このあと、どうする?」 「…風呂」 「わかった。準備しておくね。ピアスはもう外しておいたから」 そう言って部屋を出ていった。耳を撫でると確かにピアスは外れていた。机の上に置いてあるのも見える。その時触れた自分の耳が、熱を帯びているのに気づく。あぁ、まだ熱が下がっていないのか。その時は、ただそう思っていた。 この部屋も、少し暑いのかもしれない。

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