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第43話Kindness⑤
目が覚める。まだ部屋の中には陽の光も差し込んでいないので、深夜なのだろうか。苦しい。帰ってきた時よりも熱い気がする。体の疼きなどはなくなったが、熱が辛い。熱いのに体の芯から冷えるような感覚がある。寒い。熱いのに寒さで震えてしまう。何かを飲みたくてサイドテーブルに手を伸ばすと、ペットボトルを落としてしまった。
転がっていったそれを拾いあげようと一度ベッドから出ると、立ちくらみがしてその場に倒れた。こんなに苦しいのは初めてかもしれない。小学生の頃でさえここまでの熱はなかった気がする。髪がまだ生乾きで、それでさらに体が冷える。
そう思うと今まで喧嘩の時に熱を出さなくてよかったなどと考える。立ち上がろうにも頭と腰が痛くて立ち上がれない。腰に関しては小笠原のせいなのだが。学校でのことが筋肉痛になって今体に負担をかけている。どうしよう、もうこのまま床で寝てしまおうか。でもこれでは寒さがどうにもならない。だめだ、自分でなんとかしなくては。
立ち上がろうと手に力を込めると、急に部屋のドアがガチャガチャと音をたて始め、肩が跳ねる。
そして、焦った様子の小笠原の姿が暗がりに見えた。ずんずんとこちらに歩み寄ってきて抱きかかえられ、ベッドに運ばれる。
「…お前、ど…して…」
「部屋の前で座ってたら中から物音したから…!大丈夫?」
部屋の前にいたというのか?あのときからずっと…?ふと時計を見ると、風呂から出て数時間は経っているような気がする。どうしてそこまでするのか。いや、小笠原は俺が怒って当然のことをしたんだ。反省して座っていたのかもしれない。
でもここでこいつに頼るのもあまり気が進まない。本当はそんなことまで考える余裕などないはずなのに、少し強がった。
「大…丈夫だから…もう…寝ろよ」
「大丈夫じゃないでしょ、どう見ても…さっきより熱上がってる気がするから、ちょっと測るよ。」
「あっ…いいって…」
服の下から体温計を入れられる。小笠原の手が少し肌に触れると、薬は切れているはずなのに何故か鼓動が早くなった。
ピーという音がなると、小笠原は体温計を引き抜いて表示を確かめた。
「39.2…やっぱり上がってる。インフルエンザかな…咳はでてないから肺炎ではなさそう。腎盂炎…でもないかな、腰痛いのは多分俺のせいだし。吐いたりもしてないよね?…うーんただの風邪だといいけど結構な高熱だな…」
何か言っているがよく分からない。何でそんなにぽんぽん病名がでてくるんだ…医者の息子だから?
一度部屋を出ると、廊下においてあったのかタオルや冷えピタ、氷枕を持ってきた。タオルでまだ乾ききっていない髪の毛をよくタオルドライさせて、枕を取り替えた。
「ほんとに…いいって…」
「良くない。だめだよ、風邪ひいてるのに髪の毛乾かさないなんて…いや、まぁうん、俺のせいなんだけど…ほんとにごめんね。」
「…病人には、手出さないって…」
「ごめんなさい…」
「でも…看病は、その…ありがとな」
「…抱きしめても、いいですか?」
「敬語気持ち悪…」
「…いい?」
こちらがなにか答える前に既に抱きしめていた。
昨日今日と散々あんなことをされたのだから、別に抱きしめられるくらいどうってことないのだが…小笠原は妙にパーソナルスペースが狭すぎる。さっきまでは勝手にくっついてきていたくせに、どうしていきなり許可を求めるようなことを聞いてくるのか。「構わない」と答えようとしていた自分が恥ずかしくなる。
「もう…風邪うつるから、離せ…」
「いいよ…うつして」
「俺は、良くなっ…」
両手で頬を優しく包まれ、小笠原の端正な顔がぐっと近づいてくる。暗くて明瞭に見える訳では無いが、お互いの吐息が聞こえるのが距離の近さを物語っていた。外もしんとしていて、時計の針の音と二人の吐息だけがこの部屋に存在している。
疼きはもう無いのに、薬がきれていないのか?
鼓動がうるさい。この不整脈はなんなのか、もしかしたら病気なのかもしれない。あまりにもドクドクとうるさくて、小笠原に聞こえてしまうのではないかと思った。
「勇也…だめ?」
「あ…っだ…」
だめと言おうと口を開くと、そのまま唇が重なる。何度言っても懲りないのかという憤りを感じる反面、妙に安心するような、温かい感覚があった。でもこんなことをしたら本当に風邪がうつってしまう。上顎を舌でなぞられると、口の中も思考も溶かされてゆくようだった。すると小笠原は口を離す。心なしか短かった気がする。
「…うつったかもね」
「…っほんとにうつったら、どうすんだよ…」
「まだ学校休みだし…大丈夫でしょ?」
「…誰がお前の面倒見ると思ってんだよ」
「勇也が看病してくれるの?」
「あ、違っ、そういうことじゃ…」
言葉を遮るように、唇に啄むような短いキスをされる。もう怒る気力もあまり残っていなかったが、なだめるように頭を撫でられて何も言えなかった。
「もう寝られそう?」
「…ん」
「明日病院行こうね…おじさんにメールしておくから」
「……病院は」
「無理矢理にでも連れていくから」
「……わかった」
「いいこだね。添い寝しようか?」
「遠慮する」
すると小笠原は名残惜しそうに、横になった俺の髪の毛をかきあげて耳元で「おやすみ」と囁き部屋を出ていった。隣の部屋のドアの音が聞こえたので、今度は自分の寝室に戻ったのだろう。
昨日今日と、一日が濃すぎる。大半はあまりいい思いはしなかったが。
まだ、小笠原のことはよくわかっていないままだ。
きっとあいつは、今まで誰も叱ってくれることが無かったのだろう。周りにたくさん人を侍らせているように見えて、本当はあの冷たい目で他人を見下していたのだろうか。
あいつが切り捨ててきた、傷つけてしまった人への償いは、俺も一緒にしよう。俺の心や体に傷ができることはもう慣れている。痛みも苦しみも我慢すればいつかは消える。心にできた傷は思い出さなければなんてことない。でも、それをするのは俺ひとりで充分だ。小笠原がもう誰かを傷つけないように、誰かが傷ついたことに悲しむ人がまたいるんだ。俺は大丈夫。いくら傷ついてもひとりで受け止められる。
拒むことをやめる訳では無い。〝 人が嫌がることをしてはいけない〟ことを分からせてやらないといけないんだ。
人から叱られることも、愛されることも、知らないが故に歪んでしまった。
ああ、可哀想な小笠原。俺はどうすれば全てを教えてあげられるのだろう
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