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第53話Domesticities

小笠原が大分静かになったのでその後はスムーズに勉強が進んだ。しばらくすると、スマートフォンのアラームのような音が鳴る。 「あ、2時間経ったよ」 「お前…わざわざ計ってたのか?」 「うん、はやく食べたかったから」 「子どもかよ…じゃあ作ってくるから」 そう言って部屋を出ると、どうやら小笠原も着いてきているようだった。 「俺、そーめんってやつ食べてみたい」 「食ったことねえの?」 「うん、蕎麦はちょっとあるけど。なかなかカップ麺にもそーめんはないし。」 だろうな。しかし素麺か…佳代子さんが管理しているとはいえ、素麺の麺は冷蔵ではないし、運良く素麺があるわけ… あった。食品の詰まった引き出しの中に入っている。他にも蕎麦やうどん、パスタなどがある。市販ではあまり見ない高そうなものがほとんどだ。パスタもスパゲッティ以外の種類がたくさんある。一体佳代子さんはいくらで雇われてるんだ? 小笠原が手伝いたいというので、包丁の持ち方を教え、細ネギを切らせた。飲み込みだけは早いのか、慣れれば何でもできるようだ。生姜をすっておくように頼んだらミキサーを出し始めたのは流石に驚いた。 すぐに出来上がり、少し遅めの昼食をとる。流石佳代子さん、麺つゆもしっかり冷蔵庫に入っていた。 「へぇ〜こういう味なんだ。結構好きかも」 「…お前って麺啜らねえの?」 「すする…?って?」 知らないようなので啜って食べて見せる。 「麺類って基本啜るもんだろ」 「え…なんか、卑猥だね」 「なんでだよ死ね」 「スパゲッティ以外の麺あんまり食べたことなかったし知らなかった」 「まじか……」 本当にどこまでも世間知らずなのか。それなのにどうしてわざわざひとり暮らしを始めたのだろう。それほど実家にいたくなかったのだろうか。あの距離ならわざわざ引っ越してくるまでもないはずなのに。 「ごちそうさまでした。ねぇ、このあと出かけない?」 「勉強するって言っただろうが」 「え〜いいよ俺は」 「じゃあ一人で行ってこい」 「寂しいんだけど…まぁいいや、早いほうがいいし。一人で行ってくるかな〜、勇也連れていったら連れていったでうるさそうだし」 やけに鼻につく言い方をする。何をしに行くのか知らないが、俺はその間勉強に集中できる。 小笠原は「何着ようかな〜」と言いながら服を脱ぎ捨てていったので、思わず呼び止める。 「おい、脱いだものは洗濯カゴに入れろ。ていうか着替えるなら部屋に行ってから着替えろ、ここで脱ぐな。一回出した服は着ないならしまえ」 「は〜い」 間延びした返事をすると脱いだ服を抱えてリビングから出ていった。洗い物もやらせようと思ったが、着替えるのに時間がかかりそうだったので一人で片付けをした。 しばらくすると準備が終わった小笠原が上から降りてくる、私服を身にまとった小笠原は〝イケメン〟と言って差し支えない。なぜか無性に腹がたつ。 「じゃあ行ってくるね。途中から上杉さんとこの誰かしらに車乗せていってもらうから。夕方までには帰るよ、俺がいなくても寂しがらないでね〜」 「さっさと行け」 「え〜行ってらっしゃいのキスは?」 「ねえよ…!」 「……行ってきます」 不貞腐れたようにそう言うと、いきなり俺の肩をつかんで頬に軽く口をつける。そして今度はいたずらっぽく笑い、家を出ていった。 口付けされた頬を意味もなく撫でて、不意をつかれたことを悔やむ。この自分でもわからない気持ちをかき消すように、洗濯をしようと風呂場へ向かった。 「くそ…あいつ洗いづらいもんばっか着やがって」 表示はどうであれ、割といつもは洗濯機で洗ってしまうのだが、小笠原の服はそうもいかない。そのへんの安物ではないだろうから型崩れや色移りが怖い。こっちは手洗いしよう。 結局、洗濯物を洗って干す作業でだいぶ時間を使ってしまった。ただ、使っていないようだが乾燥機があったので、タオル類はすぐに乾かして畳めそうだ。 自分の服と小笠原の服を一緒に洗濯機で洗うのには抵抗があった。反抗期の娘が父親と洗濯物を分けて欲しいという気持ちが少しわかった気がする。 自室に戻って勉強を再開する。数学はひと通り問題集を解いたので、別の教科を勉強しようと思い化学の教科書を開いた。国語と英語も持って帰ってくるべきだったか。 「molってなんだよ…」 計算は得意なのに、化学式やmolの計算になると途端にわけがわからなくなる。 この前早退したときの授業はたしか化学だったな… そのときにmolの計算の応用をやったのかもしれない。それを休んでしまったのは痛かった。 しばらく考えてみたがわからない。解答には解説が書かれておらず計算が合わなくてイライラする。一度ペンを置いて後ろのベッドに頭をもたれる。 小笠原がいないと静かだ。いや、一向に構わないし落ち着くからいいのだが。 外から5時の鐘の音が聞こえてくる。もうそんな時間か。小笠原はまだ帰ってくる気配がないので夕飯の準備でもするか。 今日は和食にしよう。冷蔵庫を見ると、本当に大抵のものは揃っている。日持ちしないものは冷凍庫に入っているようだ。でも早めに使ってしまった方がいいだろう。 ほうれん草を前菜につかって、筑前煮、味噌汁、あとは白米と焼き魚でいいか。あいつは、あまりこういう飯は食わないかもしれない。食べてくれるか不安だが、とりあえず作ってみるか。 キッチンが広いととても料理がしやすい。せっかくいいものを持っているのに全く使わないなんて宝の持ち腐れだ。あとは米が炊けるのを待つだけ。その間に洗濯物を取り込んでしまおう。 家事をするのは決して嫌いではない、他のことを忘れられるからむしろ好きだった。母親は、俺が家事をしようとしなかろうと罵声を浴びせてくるような人だった。作った飯を捨てられるようなことも珍しくなかったから、小笠原が料理を褒めてくれたのは、ほんの少し…ほんの少し嬉しかった。

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