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第56話Formerly
学校についてからも、俺は勉強に勤しんだ。あまり勉強ばかりしていても変な目で見られるので、こっそり机の下で問題集などに目を通す。
その間、何度か隣の席の真田に先日の例を言おうと思ったのだが、如何せん常に周りに誰かがいるので話しかけるタイミングが無かった。
………………
昼休みになると、教室は他クラスの生徒なども混ざって騒がしくなる。静かに勉強したいが、自習スペースに不良生徒が入っていくのも変なので、バッグごと持っていつも通り屋上へ向かった。
外に出たらきっと暑いだろうと思い、屋上へ続く階段の踊り場に座り込む。ここにも人が来ることはほとんど無い。というか、そもそも生徒は無断で屋上に行くことを禁じられているのだが。
教科書を片手に弁当を食べる。行儀が悪いのはわかっているが、できるだけ時間を無駄にしたくない。不良生徒が勉強に励む姿は、他の生徒からしたら滑稽なのだろうか?
弁当を食べ終えて勉強のみ続けていると、こちらに上がってくる足音が聞こえる。まずい、教師にバレてしまったのかもしれない。いつも来ないくせになんなんだよ。
「あ、双木くんここにいたんだ」
その声の主は、真田だった。
意外だ、真田もこういう所に来るものなのか。ただ興味本位で来てみただけなのだろうか。
「…その、この前は…ありがとな」
やっとこの前の礼を言えたのだが、真田はきょとんとした顔をしている。
「…双木くんって、お礼とか言うんだな」
「あ?悪いかよ」
「いや、別に。ただびっくりしただけだって」
前にも誰かにそんなことを言われたような気がする。滅多にありがとうなんて言わないから、珍しいといえば珍しいのかもしれない。
「…なんでお前ここに来たんだよ、生徒立ち入り禁止だろ」
「双木くんだって来てるじゃん」
「俺は怒られても何とも思わねぇから別にいいんだよ」
「…双木くんって、そんなに不良っぽくないよな。今日もめっちゃ勉強してたし」
「うるせえな……お前は何しに来たんだよ」
礼を言っておいてなんだが、これ以上無闇に関わりたくない。面倒なのはもちろんだったが、真田の件で小笠原の機嫌が悪くなったのでなんとなく関わるのを避けたかった。
「双木くん探しに来たんだよ」
「は?…だからなんで」
「俺、双木くんと仲良くなりたい」
「なる必要ねえだろ。なんだよ、クラスみんなと仲良くしたいとか思ってんのか?俺は誰とも仲良くする気なんかない」
「そんなんじゃないって、ていうか遥人とは仲いいじゃん?」
「仲良くねえ…!あいつの名前出すな」
なんなんだこいつ、小笠原並にしつこいな。どうしてそこまで俺にこだわる?既に友達など腐るほどいるようだし放っておいてくれればいいのに。
面倒なのでこの場を離れようと立ち上がると、真田が思いにもよらない言葉を発した。
「三浦くん…」
「…っ今、なんて…」
それを聞いて、耳を疑った。なぜならその〝ミウラ〟というのは、俺の旧姓だったからだ。
「三浦勇也くん…だよな?」
「なんでお前が…それを」
「やっぱり、そうだよな!よかった〜人違いじゃなくて」
「だから、何で知って…」
「小学校一緒だったんだよ、俺たち。っていっても、毎年クラス違ったから俺のこと知らなくて当然だと思う。」
小学校…そうか、確かにそれならすべて合点がいく。真田の言う通り、俺は真田のことは認識していなかったし覚えていない。しかしなぜあいつは俺のことを知っている?まだ弱かった、あの時の俺を。
「途中で三浦くんが転校しちゃったから、中学は別々だったし。俺は最近こっちの方に家族皆で引っ越してきたんだ。凄い偶然だよな」
「そう…か」
「見た目とか凄い変わってたから、全然気づかなかった。」
「…だからなんだよ。別に俺に構う必要ないだろ」
「気になってたんだ、ずっと。その頃から仲良くなりたいって思ってたからさ」
小学生のころの俺は、特に目立つような生徒ではは無かった。今の俺もそうだが、そんな奴と仲良くしたいと思うはずがない。それなのにどうして俺のことを覚えているのか。
「俺にそんな気は無いって言ってるだろ。さっさと帰れ」
「いや、俺はこれ運命だと思ってる。だから友達になろう!」
「意味わかんねえよ…」
「これからは双木って呼んでいい?よろしくな、双木!俺は真田でも聡志でもいいよ!」
なんなんだ本当に!勝手に一人でペラペラと…あまりにも強引すぎる。別に真田は悪い奴という訳では無いし、むしろ良くしてくれる数少ない人間だ。
信じていた仲間たちに裏切られたことは、俺にとってかなりのショックだった。だからもう誰とも馴れ合わないと決めたんだ。
真田を無視して階段を降りようとすると、また誰かがこっちに登ってくるのがわかる。しかもあろう事か、それは忌々しいあいつだった。
素通りしようとしたのだが、小笠原は俺の腕を掴んだ。顔は笑っているが、機嫌が悪いのを隠しきれていないように見える。
「…聡志、双木くんと何話してたの?」
「俺たち、今友達になった」
「なってねぇよ!」
すぐに突っ込むが、小笠原が腕を掴む力が強くなってそれ以上言葉が出ない。
「俺と双木、小学校同じだったって分かったんだ。すごくね?」
「へぇ…そんな話今までしなかったじゃん」
「俺も最近気づいたからさ」
真田はいつものように明るく笑っているが、小笠原はそうではない。真田の明るい調子からすると、小笠原の機嫌があまり良くないことに気づいていないのだろう。
「…聡志、ちょっと双木くん借りていいかな。夏服校則違反してるからさ、風紀委員のほうでちょっとね。」
「……うん、そしたら俺は教室戻るわ。じゃあな!」
そのとき真田が浮かべた笑みは、いつものそれと少し違う気がしたが、それを気にしている暇など与えずに小笠原は俺を壁に押しやった。
「っ…痛え…なんなんだよ!」
「…それはこっちのセリフなんだけど」
それだけ言うと、俺を壁におさえつけたまま、俺の首筋に吸い付いた。軽い痛みがはしり、キスマークを付けているのだとすぐに分かる。
「いっ……これ以上、痕…」
小笠原の頭を押し返そうとするが一向にやめる気配はなく、俺の声が聞こえていないのではないかと思うほど無心に唇を押し付ける。
「おい…やめろって…なんでっ…い゛っあっ…やめっ」
思い切り歯を立てて首を噛まれたようだ。鋭い痛みに襲われ、顔を歪ませる。その噛まれたところがじわじわと痛む。もしかしたら血が出たかもしれない。ようやく小笠原が首元から口を離した思うと、ぞっとするほど冷たい瞳で俺のことを見据えていた。
「…っ別に、俺は…お前の友達取ったりしねえし、迷惑もかけてない…から…」
「……なに、それで俺が怒ったと思ってるの?」
「そうじゃなかったら…なんなんだよ」
ふっと笑みを浮かべる。それは、どちらかというといつもの小笠原に近かった。機嫌の悪さは薄れたように思われる。
「俺が取られたくないのは勇也の方だよ」
「は…?なんで…」
「そんなの、好きだからに決まってるじゃん」
耳元でそう囁かれる。やはり好きと言われることに慣れない。顔に全身の熱が集まっていくようだ。
「…だからって、こんなこと…」
「ごめんね。勇也は俺だけのものだって、自分に言い聞かせないとダメなんだ…だからこうやって俺の印を付けておきたくて」
キスマークをつけた辺りを優しく撫でられ、ビクっと肩が跳ねる。
「っこれ…どうすんだよ…せっかく消えたのに」
「ごめんね?絆創膏貼っておけば隠せるかな」
ポケットから大きめの絆創膏を取り出す。本当にこいつのポケットからはなんでも出てくる。絆創膏の封を外し、噛まれた辺りに貼られた。
これで隠れているのか分からないが、何もしないよりはマシだ。そもそも、こいつがこんなことしなければいい話だが。
「…俺は勇也の子供の頃なんて知らないから、なんか悔しくて。聡志のことも別に悪いとは言わないよ、悪気なんてないだろうし…どうせ何も考えてないから」
「…小学生のころは、真田のことそもそも認識してなかったし…」
「…じゃあなんでいつの間にか勇也のこと呼び捨てしてんの、あいつ」
「それは…真田が勝手に…」
受け答えが少し面倒臭い。何でそこまでして聞き出そうとするのか、全て真田に聞けばいいじゃないか。そもそも俺は学校内で極力小笠原には会いたくなかったのに。
「…勇也、キスさせて」
「はぁ?嫌に決まってんだろ…」
「なんで」
「学校だからだよ…鬱陶しい…」
「…それ、家だったらしていいってことでいいよね?」
「なっ、ちげえよ!!どこにいようが同じだ、俺は男とそんなことする趣味は無い!!」
「前はあんなに素直にしてくれたのに…」
小笠原は、面白くないといった表情で不貞腐れた。そのとき丁度、下の階の方で小笠原を探し回るような集団の声がする。周りの人間に断りもいれずここまで来たのだろうか。
「……呼ばれてるぞ」
「…いいや、勇也にテストで勝ったら嫌というほどできるわけだし。それまで頑張って我慢しようかな?」
「嫌というほどもクソもねえよ、元から嫌だっつってんだろ」
「とりあえず今は下に戻るけど、帰るときは俺と一緒だからね。校門だと目立つし、交差点辺りで待ってて」
「いや、なんで俺がお前を…」
俺の言葉を待たずに下に降りていってしまった。
結局なんで話しただけでそこまで不機嫌になるのかはよくわからない。
嫉妬という感情自体よくわからない、どうして存在するのだろう。ただ自分を苦しめるだけのものなのに。自分の中にも、気づかないうちに芽生えてしまっているものだ。
思いつめても仕方がないので、再び教科書を開いた。
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