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第60話Whose?

今日は朝食のときから小笠原の機嫌が良くて逆にうざい。どうやら俺が早起きして弁当を作っていたことが嬉しいらしい。 作り置きがなかったため、小笠原が寝ている間に米の準備と仕込みだけしてから勉強に取り組んでいただけだ。別に大したことではない。冷凍食品は手抜きだと思われそうで、なんとなく早起きして作っていたら、昨日よりも早く起床してきた小笠原に褒めちぎられた。 「やっぱり俺の勇也は素晴らしいね」 「だからお前のじゃねえって」 「きっと夜遅くまで勉強してただろうに…でもなんか申し訳ないな」 「別に…仕方なくやってるだけだ。申し訳ないと思うならもっと他のところで反省しろよ」 「他のところ……?」 だめだ、こいつ本当にわかっていない。お前のその歪んだ人格のことを言ってるんだよ。無理やり襲ってきたり、一方的に好きだ好きだとしつこかったり、変な駆け引きを提案してきたり…挙げていたらキリがない。 「もういい…早く食ってさっさと行け」 「そんな寂しいこと言わないでよ。でもそんなこと言いながらも愛妻弁当作ってくれるあたり本当にもう…」 「だから違うって……あ、お前あの弁当箱どうすんだよ」 「あの弁当箱…?って?」 「女から貰ったんじゃないのか…いいのか、返さなくて」 「え?弁当は貰ったことなかったと思うけど…」 こいつ、まさか忘れてるのか?その相手が気の毒で仕方が無い。どうしてこんな人間に想いを寄せてしまったのだろうか。 「ほら…チェック柄の…」 「いや、だから知らないって」 「じゃあ誰のだよ」 「それは…わかんないけど…佳代子さんとかじゃないの?」 「……もういい」 まだ誰のものか確証があるわけではないが、小笠原だったら貰ったものを忘れる可能性は充分にある。ため息をついて立ち上がり、食器を洗いに行く。 「本当に違うんだって…怒ってる?」 「別に…怒る理由ねえし」 「じゃあなんでそんなに目つき悪いの?」 「いつもの事だろうが!」 「怒ってるじゃん〜勇也機嫌直してよ〜」 その後も鬱陶しく付きまとってくるので無視を決め込む。その後、諦めたのか無言になっていつの間にか家を出ていった。 ……………… 学校に着くと、早速隣の席にいた真田から話しかけられ、心持ちが良くない。昨日はすまなかったとか、具合は大丈夫かというのはまだ普通に聞いていた。しかし後の、昨日のテレビの話だとか最近やっているゲームの話は心底どうでも良すぎてほとんど耳に入っていない。しかし、一つだけ聞き逃せなかったものがあった。 「あとな、さっき遥人に会ったんだけど珍しく落ち込んでてさ。何があったか聞いてもうなだれるだけだし、取り巻きみたいな女子達の話も全然聞いてないみたいで……あいつなんかあったの?」 「別に、何も…」 「ふーんそっか、双木なら知ってると思ったんだけどな〜」 いや、まさか今朝の事じゃないよな。ちょっと無視したくらいで落ち込むはずがない…多分。いつももっと冷たい対応をしていた気がするし、どうってことないはずなのに。罪悪感のような何かが心に浮き上がる。あんな奴に罪悪感なんて、感じなくてもいいはずなのに。 その後も微妙に気になって勉強に集中できない。また、移動教室の途中に小笠原と目が合ったが、思わずすぐに逸らしてしまった。なんとなく気になって、まだ全く使っていなかったスマートフォンを取り出し、佳代子さんにメッセージを送信する。 『すみません、双木です。棚に入っていた弁当箱、チェック柄のものは誰のですか?』 送ると、思っていたよりも早く返信がくる。 『赤いチェック柄のものかしら。それだったら私のだと思うわ。自分で持ってきた弁当箱をそのまま一緒に洗ってしまっちゃったのかも。』 実体を持っていなかった罪悪感が、確かな形になった。ああ、こればかりは俺が悪い。今まで小笠原がしてきたことに比べれば大したことないが、それでも胸がチクチクと痛んで苦しかった。子どものような態度をとってしまったのが悔やまれる。 かといって学校で小笠原と関わるのは抵抗があった。放課後、帰るときにでも言おうと思って、SHRが終わった後になんとなく小笠原を探したのだがどこにも居ない。 交差点まで行ってみるが、やはりいない。先にひとりで帰ってしまったのだろうか。帰ってしまったと言っても、元々俺は一緒に帰る気などなかったはずなのだが。 ……………… なぜか少し緊張してカードキーを差し込む。ドアを開けると、家の中はしんとしていたが、小笠原の靴が玄関に脱ぎ捨ててあった。それを綺麗に揃えてから、自分も靴を脱いで家に上がる。 リビングのドアが開いていたので覗いてみると、小笠原がソファに横になっているのがわかった。 近づくと、足音に気づいたのか仰向けになって俺の方を見る。 機嫌が悪いときとは違い、悲しそうな目をしていた。俺はソファの側で棒立ちしたまま何も言えずにいる。すると、急に腕を強く引かれて小笠原の上に倒れ込んだ。 「う、わっ…」 ソファが大きいから落ちることは無かったが、とても不安定だ。小笠原が無言できつく抱きしめるので、どうしていいかわからない。 「…ねぇ、勇也、俺のこと嫌い?」 前にもされた事のあるこの質問。急な問いかけに息が詰まるが、自分の心はわからない。小笠原のことは嫌いだ。でも、本当にそれだけなのか。 「……嫌い……だけど……わからない」 「…良かった」 耳を疑う。何が良かったのか?決していい返事はしていない。わからないということが正の意味を孕んでいる訳でもないし、どういう解釈なのだろうか。 小笠原は、俺に嫌われたかった? もう俺のことなど、どうでもよくなった? 胸が少し苦しくなったとき、小笠原は再び強く俺を抱きしめた。 「勇也、やっと口きいてくれた」 「え…」 「でも、ごめんね。弁当箱のこといろんな子に聞いてみたけど、やっぱり分からなかった。ていうか寧ろめっちゃ怒られた…」 怒られるのは当たり前だろう。しかし、そんな事までしていたのか。俺も、ちゃんと話さなければいけないと思った。 「…その…ことだけど…あれ、佳代子さんの…だった」 「え?そうなの?」 「…朝は悪かった…ごめん」 「なんだ、そっか…ほんとに良かった〜」 「…怒らないのか?」 「え、怒ってほしいの?」 そんな訳は無いので首を横に振る。すると小笠原はおかしそうに笑った。そろそろ抱きしめられるのも、胸も苦しかったので、小笠原の方を見上げる。 「…もう、飯作るから…」 「んー…もう少しだけこうさせて」 「いや、でも」 「今日のは勇也の早とちりだったからな〜」 「くっ……」 そう言われてしまうとこちらは何も言い出せない。仕方なく小笠原に抱きしめられたままじっとする。特に何をするわけでもなく、時々愛おしそうに頭を撫でられた。 こういう優しい時だけは、少し心を許してしまう。まるで小笠原が別人になったかのようだった。気をつけなければまぶたが重くなってまどろんでしまう。 小笠原の匂いに包まれると、また胸が苦しくなった。早くここから離れたいと思ったが、ずっとこのままでいいのにと思ってしまう自分もいたのだった。

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