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第61話Scar
結局十数分ほど離してはくれず、小笠原が居眠りを初めてようやく抜け出すことが出来た。
夕飯の支度を終え、米が炊けるまで勉強をしながら待つ。ふと、弁当箱を洗わなければと思い小笠原に声をかけた。
「おい…弁当箱出せ、洗うから」
「ん〜…バッグの中…」
目を薄く開けて起きたようだが、起き上がる気は無いようなので仕方なく小笠原のバッグを漁る。中は驚く程にものが少なかった。参考書も教科書も何も入っていない。代わりに漫画や音楽再生機、ヘッドフォンなどが入っている。
その中から弁当箱を取り出すと、それは軽く、中は空だった。残さずに全て食べてくれたことが少し嬉しい。バッグの底に、長方形の小さなケースがあった。なんとなく手に取って小笠原に聞いてみる。
「これは…?」
「…ん?見せて…ああ、眼鏡ケースだよ」
「お前、目悪いの?」
「ちょっとね…授業中だけ使ってんの」
意外だった。本人はそんなに勉強していないと言っていたし、どうして目が悪くなったのだろうか。日常生活には支障を来たさないようだし、気にすることもないか。
洗い物をしているうちに米が炊ける。それがわかったのか、小笠原はようやく起き上がってダイニングテーブルにつく。
食事を終えたあとは、朝の仕込みを軽くして風呂に入った。小笠原が「なにもしないから一緒に入ろう」と言ってくるが全く信用ならないので、断るためにテストに勝ったらいくらでも入ってやると言ってしまった。自分で自分の首をどんどん締めていっている気がする。
今日は勉強中に小笠原が部屋にやってきた。特に勉強する訳でもなく、またどこからか持ってきた俺の卒業アルバムをベッドの上で見ている。自分でもそんなものどこにやったかなんて覚えていないのに。
途中で転校したため、そのアルバムには真田はいない。俺の名前も双木に変わった後だった。
「黒髪も可愛いね…今の方が好きだけど。中学の卒アルは金髪なんだ…最後に染めたのいつ?」
「多分…中学の、それ撮ったとき」
「もう大分色落ちてきたね。染め直さないの?」
「金ないし…」
「え〜俺が出すよ。美容院行く?」
「セルフでいい」
こっちは勉強してるというのに一方的に話しかけてくる。確かに髪の毛を最後に染めたのはだいぶ前だ。生え際はもう黒くなっている。
「ブリーチとかも自分で?」
「まぁ、二回目くらいからは…」
「へぇ〜てか、うちの学校まず髪染めるのだめだけどね」
「お前のそれは地毛なのか?」
「これくらいだったら地毛って言い張れるでしょ」
「…お前も染めてるじゃねえか」
小笠原の髪の毛はナチュラルな茶髪だった。風紀委員のくせに堂々と校則違反を公言するな。校則をほぼ破っている自分が言えたことではないが。
「この色地味だから嫌なんだよね〜、ほんとはパーマあてたいんだけど」
「中学のときは…?」
「卒アル見る?ちょっと恥ずかしいから嫌なんだけど…」
見せて欲しいとは言わなかったが、小笠原は自分の部屋に行って卒業アルバムを持ってきた。
開かれたページを見たが、小笠原が見当たらない。
「お前…どれ」
「これだよこれ、そんなに違う?」
小笠原が指さしたところには、確かに『小笠原 遥人』と書かれている。言われてみれば顔は小笠原だが、耳にはピアスが複数空いていて、髪の毛は真っ赤だ。小笠原が人前で見せる優しそうな猫かぶりの顔ではなく、冷たい目をしていて無表情だ。
「違う……こんときは猫かぶってなかったんだな」
「あからさまにヤンキーって感じだったし、これだと高校行ってからモテないからね」
「はぁ……」
「あ、今は別にそんなこと気にしてないよ?勇也がこっちの方がいいって言うなら戻すし…」
「別に…今のままでいい」
中学生の頃の俺だったらちょっと憧れていたかもしれない。でも別に、今は小笠原の見た目がどうであっても中身がこれだから関係ない。どちらかというと、今の方がいいような…気がしないでもない。
「勇也がそう言うんだったら今のままにする」
「そうか、勝手にしろ…そういえば真田も髪明るいよな?」
「……なんで聡志の話?」
「ただ気になっただけだって…」
「…俺よりも明るいけど、地毛って言ってた気がする」
「そうか……」
沈黙が流れる。俺がシャーペンを走らせる音だけがコツコツと響き、手を止めると本当に無音になってしまった。静かなのは静かでいいのだが、なんだか気まずい。何となく振り向くと、すぐそこに小笠原の顔があった。
「っ近い!!なんだよ…!」
「待って、そのまま…じっとして」
「なっ……」
そのままスッとこちらへ手が伸びてくる。キスされるのかと思い、反射的に目を瞑った。
すると、小笠原の手は俺の耳に触れて、離れていった。恐る恐る目を開ける。
「…ピアスの留め具、取れそうだったから」
「え…」
「目瞑ってたけど、キスされるかと思った?」
「や…ちが…!」
「はは、顔真っ赤」
「うるせぇ…!」
机に向かって、無心に勉強を続ける。見えていないが、恐らく小笠原は愉快そうに笑っているのだろう。ベッドから降りてきて、俺の隣に座り込んでじっと見つめてくる。鬱陶しい。こんなことなら勉強机を使えばよかった。
「ねぇ、ゆーや」
「…うざい」
「口じゃなかったら、いい?」
「良くねえよ…」
良くないと言ったのを聞いていないのか、小笠原は俺の空いている左手を取って手の背に唇をつけた。普通にキスされるよりもなんだか恥ずかしくて手を払う。すると、再び手を引かれて今度は手のひらにキスをする。ペンを置いて小笠原の頭を軽く叩く。
「…なに?」
「やめろって…」
「口じゃないからいいじゃん」
「そういう問題じゃねえし…」
手首に口を押し付けて、強く吸い付くようにされる。手首には小笠原の痕ができる。
「敬愛、懇願、欲望…」
「はぁ?意味わかんねえ」
「…知らないか」
クスクスと笑われて、なんだか馬鹿にされたようで腹が立つ。小笠原は立ち上がると、時計を見て伸びをする。
「もう日付変わってる…そろそろ寝ようかな」
「あぁ…俺も…」
「ねぇ、俺がテスト勝ったら一緒に寝てもいい?」
「どれだけ条件増やせば気が済むんだよ」
「あ〜そっか、自信ないんだね?負けちゃったら大変だもんね、しょうがないか〜」
「はぁ?お前が勝ったら添い寝でも何でもしてやるよ!!ぜってぇ負けねえけどな!!」
「そうこなくっちゃね、じゃあおやすみ、勇也」
小笠原は、想定通りとでも言うように笑ってひらひらと手を振りながら出ていく。
我ながら単純すぎて情けない。これで負けたらどんなに恥ずかしいか、今は考えるのをやめよう。項垂れるようにベッドに倒れて、手首の痕を見つめながら眠りについた。
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