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第64話Table
家の中に入ると、小笠原がリビングから顔を出す。
「おかえり、結局なんだったの?」
「あー…いや」
とりあえずタバコの件について話す。俺でないということは伝えたが、真田が吸っていたことまでは言わなかった。小笠原は知っているのだろうか。
「なにそれ…あのハゲ教師、そんなこと言ったの?」
「まぁ、別に…停学にもならなかったし」
「あのハゲのことだから、違うって言っても認めないんだろうな〜学校辞めさせてやろうかな…」
笑っているが目には光がないし、小笠原が言うと冗談に聞こえない。こいつなら教師の弱みも普通に握っていそうだ。
「…もういい、このことは」
「勇也がいいならいいけど…それにしてもうちの学校にタバコなんて吸うやついるんだね。上級生かな〜」
やはり小笠原でも真田が吸っていることは知らないのか。隠れて吸っているようだったが、上杉の前では隠す様子も無かった。ますます関係性がわからない。相関図を書いたらきっとめちゃくちゃになるだろう。
「…そういえば…虎次郎ってやつ、息子とか…甥とかそういうの、いるのか?」
「え、なんで上杉さん?え〜どうだったかな、いたようないないような…知らない」
「俺のことはあれだけ知っててなんで知らないんだよ、付き合い長いんじゃないのか…」
「まぁそれなりに長いけどね?上杉さんの家の家族構成とか興味無いし…勇也の個人情報調べる時は上杉さんに手伝ってもらったけど」
「犯罪だろ、それ…」
そこまでして調べたのか、どこまでを知られているのかわからないから恐ろしい。
「ちょっとしか法に触れてないから大丈夫だよ、俺はそれだけ勇也のことが好きだったの」
「好きとかそういうベクトルの話じゃないだろ…」
「本当に好きなんだってば、なんで分かってくれないの?」
「分かったからもう言わなくていい…今から飯作る、先に風呂はいっとけ」
「はーい…あーあ、テスト終わるまでお預けって思ったより辛いな〜」
俺が勝ったらその分指一本触れないという約束を覚えているのだろうか。どうせ勝つなら、30点…1ヶ月分は勝ちたい。そうでなくても必ず勝とう。
………………
夕飯を作り終えてから気づいたが、明日からはテストだから昼休みがない。その後のテスト返却から終業式まで恐らくずっとそうだ。ということは弁当の作り置きは必要ないか、代わりに昼飯に何を作るか考えなくては。
小笠原が風呂から上がるのを待って夕飯を食べた。本当に毎回朝も夜も美味しそうに食べてくれる。ただ飯のあいだに話しかけるのはやめて欲しい。なんというか、何を話せばいいかわからない。
「そういえば勇也ってさ」
「…あ?」
「ご飯作り終わっても先に食べないで俺が来るまで待っててくれるよね」
言われて初めて気づいた。そういえばそうだ、無意識だった。先に食べてしまえばよかったものをどうして俺は…急に恥ずかしくなった。
「別に…た、たまたまタイミングが合っただけで…」
「優しいんだね」
「うるせえ」
「俺、夕食を誰かと一緒に食べるとか無かったから、ずっと新鮮な感じ」
「…今までも女は来てたんだろ」
何言ってるんだ俺は。
というか、小笠原は中学までは実家にいたはずだ、何かおかしい。
「まともな料理できる子少なかったし、女の子ってなんか知らないけどご飯食べたがらないよね。そもそもここのテーブルでご飯食べること自体まずなかったかな」
「は…?なんで」
「家族以外で他人と食卓につくの、なんか気持ち悪くて。まあ、そもそも家族で揃ってご飯食べたのなんて数回だけだったけど」
じゃあ、今こうして食べているあいだも気持ち悪いと思っているのだろうか。それはそれで何だか申し訳ない。なぜ俺が引け目を感じなければいけないのかわからないが。
「じゃあ…部屋で食べたらいいだろ」
「勇也はいいの。遊びに来てるわけじゃないし、一緒に暮らしてるんだから」
「けど…家族じゃねえし…」
「…そうだね、でもいいんだよ。俺は勇也と一緒に食べられて嬉しいから」
時折見せる悲しそうな目、でも今日はなんだか違う気がする。初めて弁当を渡したときと似た表情だ。
俺も滅多に家族で揃って飯を食うことは無かった。本能的に、無意識に一緒に食べようとしているのだろうか。誰かと食卓を囲むのが、自分の中の小さな望みだったのかもしれない。
食事を終えたあとに、食器を洗おうとするとそれを小笠原に止められる。
「いいよ、あとは俺がやるから」
「なんだよいきなり…別にいいって」
「勇也も風呂入ってきなよ。ほら、貸して」
「……悪い」
「『悪い』じゃなくて、『ありがとう』でしょ」
「…ありが…と」
「…好きだよ」
「うざい」
洗い物を小笠原に任せて風呂に入る。
服を脱いで鏡を見ると、まだ首元に小笠原の噛み跡がのこっている。これだけくっきり残るということは、小笠原につけてしまった俺の噛み跡もなかなか消えなかったのでは…と思ってしまう。
湯船に浸かると、頭の中にはいつも何かしらの考えが巡らされる。
この生活は決して苦ではない。小笠原が変なことをしてこないときに限るが。家事をして、勉強をして、好きなようにしても誰も怒鳴らない。小笠原は俺のことを否定しない。
本当にこれでいいのだろうか。俺はどうしたい?
俺に今後の決定権などないのではないか。それでも、小笠原は少しずつ変わり始めている気がする。
毎回考えては結局なんの結論も出ないままだ。
もう、何も考えなくてもいいのかもしれない。
今は目の前の…テストのことだけを視野に入れよう。そのあとの事はそれが終わってからでいいじゃないか。
そういえば、上杉と真田はどういう関係なのだろう。昼休みからずっと気になっていたが、いまいちまだ分からないことばかりだ。少し整理してみるか。
俺と真田と上杉は同じクラス、B組のクラスメイトだ。真田はお調子者で俺の隣の席、小笠原に呼び出された事がきっかけで話しかけてきた。小笠原と真田は高校に入ってからの友人らしい。そして驚くことに俺と出身小学校が同じで、俺の旧姓を知っている。
上杉は剣道部、よく道着を着ているし部活の表彰なんかもされていた気がする。背が高く、小笠原と同じかそれ以上あるだろう。初めて話したのは屋上のあの日。今日も話しかけられたが変なやつだった。
そして、今日何故かその二人が口論していた。真田はタバコを吸っていたし、上杉はそれについて怒っているようでもなかった。会話の中で自分の名前が聞こえたような気がするが、気のせいだろうか。
関わりたくはないが、少し気になってしまう。小笠原が何か知っていればよかったのだが、何も知らないようだった。
そろそろのぼせそうだ。未だにわからなくてもやもやする気持ちを追い払うように、風呂から出た。
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