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第68話A cup of
昼食を済ませた後は虎次郎が来るのを待った。コーヒーやお茶の準備をしていると、茶菓子を発見する。先週はこんなもの無かった気がする。佳代子さんは予知能力でも持っているのだろうか。
「…おまえ、何飲む?」
「え、今?」
「虎次郎来たら」
「ダージリンがいいな」
「紅茶な、わかった」
「…奥さんみたいだね」
「殺すぞ」
テーブルにカップなどを準備していると、小笠原が急に後ろから抱きついてくる。
「おい、何してんだよ離せ」
「さっき抱きしめたいって俺が言ったら先に飯食えって言ったじゃん…」
「後でしていいとは一言もいってねぇよ!」
「少しだけだから〜」
「何が少しだよ、もう終わりだ!!」
揉み合っていると、庭に続くガラス戸から外にベンツが止まっているのが見える。虎次郎は呆れたような顔をしてそこからこちらを覗いていた。インターホンくらい鳴らせよと思いながら小笠原に話しかける。
「…来たぞ、早く出ろよ」
「せっかくいいところだったのに…」
渋々小笠原が玄関に向かい、しばらくするとリビングに虎次郎がやってきた。
「よう、久しぶりだなお前ら…そうでもねえか」
「…コーヒーとお茶、どっち」
「ん?…お前ら夫婦かなんかなのか?」
「やっぱりそう見える?」
「ちげえよふざけんな!」
「仲がいいのは良い事だ…コーヒーで頼む」
「…わかった」
仲良くねえし。どう考えても一方的だろうが。
コーヒーとダージリンティーをいれて二人に出す。特に用はないだろうと思いリビングから出ようとした。
「あ、待って勇也…双木くん。一緒に話聞こうよ」
「はぁ?俺に関係ねえだろ」
「この先うっかり巻き込まれるなんてこともあるかもしれねぇから一応聞いておけ、双木」
「…双木くんのこと巻き込んだら許さないから」
「万が一の話だ…」
なんでヤクザのことに俺が巻き込まれるんだよ…そう思いながらも、断れる雰囲気でも無かったので仕方なく小笠原の隣に腰掛けた。話の内容は全くわからないので、小笠原と虎次郎だけで会話が進んでいく。
「最近なぁ…ここらに厄介なのが勢力を広げてきやがった」
「厄介なのって…他の組ってこと?」
「あぁ。〝武田〟っていう爺さんが未だに頭をやってるところだ。昔からあったんだが、どうも俺んとこと仲が悪くてな」
「それがなんで今になって?」
「次期頭首がいないとかで、別の有力な組を吸収しちまったんだ」
「へぇ…それで、上杉さんとこも危ないって?」
「ああ。吸収された組には、若い息子がいるっていうんでね…俺のところも狙われてる」
話の道筋はぶっ飛んでいて理解し難いが、この流れからするとやはり上杉にも息子がいるのか?
「上杉さん、息子いたんだ?」
「あぁ?言わなかったか、お前らと同い年だぞ。何なら、学校も同じだ」
「え?マジで?全然知らなかったんだけど」
それって、もしかして…この話の展開に、思わず口を挟んだ
「上杉…謙太?」
「おう、よく知ってるじゃねえか」
「同じクラス…」
「え、そうなの?全然誰か分からないけど」
「遥人も、ちっとは他人に興味を持て…で、ここからが本題だ」
虎次郎が姿勢を正して座り直したので、俺は再び黙りこんだ。
「息子が危ないからどうにかしろって?俺に頼むことじゃないでしょ」
「そうじゃねえ、あいつは…こっちの道に進むつもりはねぇんだ」
「へぇ、嫌われてんの?」
「まあ、そんなところだな…あいつは喧嘩もしねえし、剣道以外興味無いんだってよ」
「剣道…?あー!なんかよく表彰されてるでっかい奴か」
「そう。しかし、武田の爺さんがそれを知っているとしたら…うちの組が潰されかねない」
「有力な組を吸収したってのが痛手なわけね」
「ああ…そこも家族ぐるみで代々続いてるところだ。最近こっちの方に移ってきたっつう情報もある。そこの頭首と俺は知り合いだしな」
「……もしかして、父さんも?」
「ご名答。つまり、武田の爺さんも恐らく上杉組と小笠原の病院が裏で繋がってることを知ってるってわけだ」
黙って聞いているが、本当の裏社会の話なんて全くついていけない。つまり、虎次郎の息子である上杉謙太はヤクザになるつもりはなく、武田という組にとっては上杉組はただの邪魔者だと…そのうえで上杉組を潰すには、まず小笠原の病院と提携を切らなければならない。そういったところだろうか?
「…それで今日警告しにきたわけね。」
「直接病院の方に危害を加える可能性は低い、お前も、お前の兄ちゃんも気を張っておくようにってことだ」
「兄貴は上杉さんとこと繋がりないし、大丈夫でしょ」
「…もし兄ちゃんの方が誘拐なんざされたら、お前んとこの母親が黙っちゃいねえだろ」
「ああ…確かに、ね…」
小笠原は、とても悲しそうな顔をしている。時々目にするあの顔は、何度見ても胸が締め付けられてしまう。
「もし何かあったらすぐ俺に連絡しろ。お前の父ちゃんには……俺からやんわり説明しておいた。アイツのことだから、責任を感じてるかもしれねえ。うちと提携を切る気はないようだが…息子たちに危害が及ばないように、だとよ」
「へえ、あの人がね…白々しい」
「…あいつは、素直になるのが怖いだけだ。まあいい、俺はこれからいつ何が起きてもいいように、少しばかり準備をしなくちゃなんねえ」
「忙しいのに、わざわざありがとう。気をつけるよ」
「ああ…そいつのことも、頼んだぞ」
そう言って俺の方を見やる。小笠原は、唇を噛み締めて少し俯いていた。こんな表情は初めて見た。
残りのコーヒーを口に流し込み、虎次郎は席を立った。小笠原と一緒に玄関まで見送り、黒塗りのベンツが家から遠ざかっていった。
カップを片付け、リビングを離れようとしたとき、ソファに座った小笠原に呼び止められる。
「ちょっと、来て…」
「なんだよ」
言われるまま小笠原の近くに行くと、座るよう促されソファに腰掛けた。小笠原は、俺の手をぎゅっと握って肩にもたれる。この前もこんなことがあった。少し震えているようにも感じる小笠原の手は冷たく、汗ばんでいた。
「ごめん…いっぱいいっぱいで…」
「…今はいい、これでお前が落ち着くなら」
「勇也に何かあったら…俺が絶対守るから」
「自分の身くらい自分で…」
「俺のこと、信じて…好きって言って…」
弱っている小笠原を目の前にすると、何をすれば良いのか分からない。小笠原の手を強く握り返して、肩にもたれた小笠原の頭の上に、自分の頭を寄せる。
それだけしかできない。言葉は無責任で残酷だと知っているから。
俺は、何も言えなかった。
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