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第83話Don't get away
あぁ、またこの夢だ。こう何度も短い期間に見てしまうのは珍しい。夢だとわかっているはずなのに、息苦しさがある。早く目覚めなければ。
『父親の言う事もまともに聞けないのか!』
「ごめ…なさ…」
『めそめそ泣きやがって…大人しく言う通りにしろ!』
「ひっ…う…やだ…父ちゃん、怖いよ…」
『また打たれたいのか、物分かりの悪いやつだ!』
「い、言う通りに…するから、もう…ぶたないで」
『分かったらさっさとしろ。うまくやるんだぞ』
嫌だ。気持ち悪い。でもやらなければまた打たれてしまう。父親を怒らせないように、必死になって手淫を覚えるしかなかった。
父親と離れてから、中学に入って、仲間を作って…誰にも負けないくらい強くなったつもりだった。
所詮井の中の蛙だったんだ。小笠原には数え切れないくらいの屈辱を味あわされた。
結局力でも学力でも勝てなかったし、惑わされて翻弄されてばかりだった。
それなのに、それなのに何だろう。憤りや失望ばかりを強く感じているわけではないようだ。
わからない。知ろうとしていないだけなのかもしれない。でも、もしこれを知ってしまったら、きっと今まで通り過ごせない。
やめたい、こんな生活。自分がわからなくて苦しくなる。
息が、できない___
………………
ハッとして目が覚めると、自分のベッドの中にいた。もしかしたら昨日あったこともすべて夢なのではと思ったが、体の痛みが夢でないことを物語っている。自分の中に不快感はないし、体もベタついていないので風呂に入れられたのだろうか。
しかし、服は着ていない。そして目の前にはこれまた服を着ていない小笠原がいた。
目覚めは最悪だ。背中に腕を回されて抱きしめられているため身動きが取れない。〝あの夢〟を見てしまったし、何より昨夜こいつに酷いことをされたあとだから、あまり近づきたくないのだが…
そう考えていると、また息が苦しくなった。抑えようと深呼吸をしようとするが、逆に息を吸いすぎてしまって呼吸のリズムが乱れ、過呼吸になる。
小笠原に気づかれたくない、自分でなんとかしなければ…それなのに、過呼吸はひどくなる一方だ。
急に頭を撫でられてビクっと肩が動く。どうやら小笠原が起きたようだった。
「勇也…?どうしたの…」
「ひっ…あっ…」
「過呼吸…?大丈夫?」
強くぎゅっと抱きしめられ、それを拒むように胸を押し返す。大丈夫だと返したいのに、口を開いても言葉が出てこない。
ただ荒い呼吸を繰り返すだけで、苦しくてうずくまるしかなかった。
「っ……」
「喋れないなら無理しないで…ゆっくりでいいから、息吐いて」
「はぁっ…ぁ…」
「苦しいね…また、思い出した?」
「ん…うう…っ」
小笠原は俺のことを離してはくれず、呼吸が落ち着くまでずっと背中を優しく撫で続けた。しばらくして、俺の目元の雫を指で掬いながらポツリと呟く。
「…ごめんね。俺のせいだよね」
「……っ」
「謝るなら最初からするなって話だよね。ごめんね、また止められなくなっちゃって…」
そう簡単に許す訳にはいかない。けど、最初に約束を無視して逃げたのは俺の方だ。約束の内容も内容だったのでなんとも言えない部分もあるが…
それに、こうして優しくしてくれる時の小笠原が嘘というわけでもないようだし、なにより嘘だと思いたくない。なぜかそう思ってしまう自分がいる。
「…離、せよ…」
「嫌だ」
「っ…離せって」
「離したら…勇也がどこか行っちゃう気がするから、嫌だ」
そう言って真っ直ぐに俺を見つめてくる小笠原の目は、今にも消え入りそうなほど悲しそうなものだった。
その言葉が、ただ単にこの場から離れることだけを意味している訳ではないのだろう。
「…どこにも、行かねえよ」
小笠原の手首を掴んで、俺の体から引き剥がし、その手をぎゅっと握る。
「勇也…」
「つーか…服くらい着させろ」
流石にこのままお互い裸で寝転がっているわけにもいかない。変な気持ちになることなんてないとは思うが、万が一そうなってしまったら困る。
「もう少し、このまま…」
「は?なんで…」
「勇也、まだ苦しいんでしょ。無理しないで」
「………ん」
まだ息苦しいのは出さないように喋っていたはずなのに、バレてしまったので渋々小笠原の腕の中に収まる。
「お父さんの夢…よく見るの?」
「っ…あ…ぁ…」
「ごめん、答えたくなかったらいいんだよ」
「そ…なに…そんなに…頻繁には…みな、い」
「…そっか」
小笠原は、再び俺を抱き寄せてしきりに頭を撫でてくる。なんだか落ち着くような匂いがした。
おかしい、前まで匂いなんて気にしたことなかったのに。昨日から変に意識していたせいなのかもしれない。自分のものとは違う匂いだからか、明瞭にそれがわかってしまう。
「もう、いいだろ」
「まだ心臓バクバクいってるし、苦しくないの?」
不整脈のことを言われて、顔が熱くなる。これがただの息苦しさからきているものではないと、なんとなく気づいていた。
「この時期に男二人でくっついてたら暑苦しいに決まってるだろ」
「そう?そろそろクーラーつけるべきかな。今年は結構涼しかったから粘ってたけど…」
苦し紛れの言い訳がバレなかったため、ほっと胸をなで下ろす。
でも、やはり今の状況はどう考えてもおかしい。憎むべき相手…小笠原に、昨日もまた犯されて、そんなやつと一緒にベッドで寝ているなんて。
俺は決して〝そういう〟関係になることを望んでいないのに、なぜもっと拒まないのか。
俺は、どうしてしまったんだろう。不幸や不遇のせいで、これを幸せかなにかと脳が履き違えているのかもしれない。
あの日から生活を共にして、マイナスな感情ばかりを持った訳では無い。新しく芽生えてしまった感情のほうがずっと重大だった。
それに名前をつけてしまったら、俺はきっともう戻れなくなる。前から何度もこうやって考えているけれど、その答えが段々と確信づいてきてしまったのだ。
小笠原を正すまで…小笠原が抱えている暗いものがなんなのか分かるまで、俺はこの気持ちに気付かないふりを続けよう。
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