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第84話Split
どれくらいの間こうしていたのだろう。小笠原はいつの間にかすやすやと寝始めた。
何とか小笠原を引き離してベッドからずり落ちる。腰が痛くてうまく立てず、壁に手をついて伝いながら歩いた。てきとうな服と下着を引っ張り出して身につける。小笠原は一向に起きる様子がない。
「おい」
「ん…勇也…」
寝言なのか、寝ぼけているのか俺の名前を呟いて枕に顔を埋めていた。
少しイラッとしたので無言で枕を取り上げて小笠原の頭に叩きつける。無心で叩きつけていると、小笠原は慌てて飛び起きた。
「あ、ちょっと、痛っ!なに?ごめんって!」
「…起きろよ、あと服着ろ」
「パンツはちゃんと履いてるよ…勇也と違って」
「うるせえ死ね」
やっとベッドから出た小笠原は、確かに下着だけは履いていた。目が半開きで、髪も寝癖がついたままなのに無駄に顔が整っているから腹立たしい。
「…なに?」
「いや、別に…」
「はぁ?今見てたじゃん」
寝起きだからなのか少し機嫌が悪そうだ。しかし思ったことを素直に言うのも嫌なのでてきとうなことを口走ってしまう。
「寝起きブッサイクだな」
つい言ってしまい、小笠原の方を見やると不機嫌なのを露わにしているのがわかる。
本能的に危険を感じて逃げようとするが、腰の力が抜けてその場に座り込んだ。
小笠原に手を引かれて無理矢理ベッドの上に投げられる。何も言わずに俺に覆いかぶさり、顔をぐっと近づけた。
「俺の顔好きでしょ?何言ってんの、照れ隠し?」
「…そんな、怒ることねえだろ…」
「怒ってないし」
明らかに怒っている。寝起きの小笠原は面倒くさい。むしろお前が怒られるべき人間だろうが。
「お前だって…勝手に、入れたくせに…」
「今それ関係ないから」
「は?なんでだよ…」
「そもそも勇也が誘うような顔するから悪いんでしょ」
「してねえよ、お前が勝手に…!」
「…感じてたくせに何言ってんの、淫乱」
「違う…俺は…!」
なんなんだよ…俺の心を抉ることばかり。
俺のことを好きだと言ったかと思えば、淫乱だと罵る。やっていることはうちの親と同じだ。
やはり本当は俺の事など一時の感情で好きだと思い込んでいるだけなのではないだろうか。
女じゃないから妊娠はしないし手加減する必要も無い。小笠原は、少しそう思っているような節がある。
それじゃあやっぱり都合のいいはけ口じゃないか。口では違うと言われても、素直にそれを受け取ることが出来ない。
「本当はお父さんのときも喜んでたんじゃないの?」
「っ…誰が…そんな!!」
「お母さんも毒親みたいだったけど…その分気にかけてもらってたんでしょ…」
「お前に……何が分かるんだよ」
カッとなって小笠原の体を押し退ける。小笠原は少し目を見開いて、俺の方に向き直った。
「ごめん、俺…本当はちゃんと分かってたし…こんなこと言うつもりは」
「俺がどんな思いしてきたか…今も、どんな思いしてるのか何も知らねえくせに…全部恵まれて育ってきたお前に分かるわけないだろ…!」
違う。俺だってこんなことを言うはずじゃなかったんだ。俺は小笠原の家庭環境を何も知らないのに。
それでも、無神経な小笠原の言葉が許せなくて、つい噛み付いてしまった。
何も言わない小笠原の方を見ると、こちらを冷たく睨みつけて手を伸ばしてくる。
恐怖を感じて後ずさるが、すかさずベッドに打ち付けられてそのまま首に手をかけられる。ぎゅっと力を込められて本当に息が出来なくなり、これ以上絞められたら意識が飛んでしまいそうだった。
「そっちこそ…俺の何が分かるっていうんだよ!!」
「っ……!」
「兄貴ばかり大事に育てられて、俺はいないもの扱い…どんなに頑張ったって誰も俺のことなんか見てくれない。本当の俺のことなんて…誰も興味無いんだよ…」
小笠原の口から、ポロポロと言葉が溢れてくる。この前もそのような事を匂わせたことはあったが、ちゃんとした言葉で聞いたのは初めてかもしれない。
恐怖と、憤り、そして小笠原に対する同情と哀憐の念が押し寄せていた。
首を絞める力は弱まらない。もう声も出ないが、俺の手は自然と上に伸びていく。そのまま、弱々しく小笠原の頬に触れた。
小笠原の表情が変わり、次第に首を絞める力が緩んでいく。
「勇也…ごめん、ごめん…俺…」
小笠原は俺のことを抱きしめようとしたが、すぐにその手を引っ込めてベッドのシーツを握る。顔は青ざめていて、肩が僅かに震えていた。
「俺も、悪かったから…」
「違うよ、勇也は何も悪くない!…俺、やっぱり最低だ…頭、冷やしてくる」
その時、サイドテーブルに置かれていた小笠原のスマートフォンが鳴る。電話の着信のようだった。小笠原はふとそれを見やり、電話を切ろうとするが、タップする直前で手が止まる。
鳴ったままのスマートフォンを手に持って、部屋を出ていった。
なんだろう、この虚無感は。
俺は、小笠原のことを殴っても良かったはずだ。そうしなかったのは何故だろう。
最初はただの他愛もない口喧嘩のはずだったのに、どうしてここまで至ってしまったのか。引き金を引いてしまった俺も、不機嫌だった小笠原もどちらも悪いといえば悪いのだが…俺は自分の非は認めよう。小笠原も途中で謝っていたしそこで俺が反論しなければよかったのかもしれない。
でも、やっぱり許せなかった。
この苦しみを分かってくれと言っている訳では無いんだ。本当に俺のことを好きなら、配慮をしてほしかった。
あの母親とは違うものだと分かっている。それでも、怒鳴ってから急に冷静になった小笠原を見て、母親を思い出さざるをえなかった。
ガチャリと扉が開いて小笠原が戻ってくる。憂鬱そうな顔をして。
「勇也…ごめん。俺、二、三日ここの家空けるから」
「なん…で」
「色々あって、ちょっと実家に用ができたから…その間、よく考えておくから。勇也も、考えておいて」
「考えるって…何を」
「この家を出ていきたかったら好きにしてほしい。俺がしたことも許さなくていい、訴えたっていい…ビデオも録音も全部消した。経済的なことは、父さんや上杉さんに頼めばなんとかなると思うから…」
「は…?」
「…ごめんね」
そう言って、部屋を出ていこうと踵を返す。どうして目も合わせてくれないのだろうか。
「待っ……」
バタンと音を立ててドアが閉まる。虚空に響いたようなその音に、胸のざわめきは止まらくなった。
「お前から…離れていくのかよ」
知らぬ間にこぼれていた言葉は、どこかに吸い込まれて形を消していく。
俺は、また独りだ
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