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第91話Induction

クラスに戻ったが、上杉が教室内で話しかけてくることはなかった。やはりあいつは無口で、さっきあんなに焦って話していたのに違和感がある。 今日の殆どは学級ごとの時間だった。無意味であろう一学期の自己評価や、進路について書かされる。授業ではないので教室はやけに賑やかだ。どうせ二年もしたら全て変わってしまうというのに、なぜこう一年時から進路を決めなければならないのだろう。 『細かいところは空欄でもいいが、第一志望と将来の夢くらいは書いておけ』 それが教師の言葉だった。そんな簡単に書けるものか。自分が高校を出てから生きているビジョンなど、今まで一度も見えたことがない。 公立のそこそこの進学校だからか、ほぼ大学進学を強制されている。 小笠原は…なんと書くのだろうか。医者になりたいとはきっと書かないだろう。有名大学に入って、エリート企業に就職でもするのか。本当にそれを望んでいるわけでなくても… 俺たちはまだ、夢を見ていても許されるのだろうか。夢は所詮、夢でしかないというのに。 隣の真田の方を見ると、真田も同じところで手が止まっている。正確には、何度も書いては消しを繰り返し、結局書けずにいるようだった。 てっきり真田は他の連中と話していると思っていたので、真面目に悩んでいるのに少々驚く。 視線が伝わってしまったのか、真田もこちらを見たので目が合ってしまった。 「双木も、書けないの?」 「あぁ…まぁ、なんも決めてねえし」 「難しいよな、こういうの」 「さっきまで…何か書いてただろ」 「え…珍しいな双木、ちゃんと会話してる」 言われてみればそうだ。いつもは真田に話しかけられても無視していたから。 「うるせえな…質問に答えろよ」 「うん…まぁ、家業を継ぐとか、そんなかんじ」 「家業…?」 「ま、そこは秘密ってことで」 そう笑い、欄内に大きく『未定』という文字を書いて教卓へ提出しに行った。 『…真田ぁ、なんだこれ』 「いや、先生俺は無限の可能性秘めてるんで、だから未定っす」 『ったくお前は…お、上杉も書けたか』 うちの担任は国語科で、剣道部の顧問でもあった。だから無口な上杉にもよく話しかける。しかし上杉の提出した紙を見た担任は、顔をしかめた。 『おい…上杉、お前まで未定か?お前は勉強も出来るし、狙うなら体育大学じゃなくても剣道の強いC大学やH大学も…』 「…そうですね」 教師の言葉を無視するように、上杉はさっさと自分の席に戻る。なるほど、あいつの場合は剣道から進路を選ぶことになるのか。 それもそのはずだ。上杉は剣道の強豪であるうちの学校の中でも、異彩を放っているらしかった。それはもちろんずば抜けて上手いから。 この一学期だけで、団体戦とは別に個人でいくつか表彰されている。集会中はあまり起きていない俺ですら、あのデカい奴が表彰されているのだけは知っていた。 結局何も書けないまま時間が来てしまい、俺は白紙のまま提出することになった。 下校時間になり、いち早く教室を出て昇降口に行くと、後ろから誰かが追ってやってくる。自分には関係ないと思って下駄箱を開けようとすると、回り込んできたその人物は俺を下からのぞき込む。 「よっ。帰り?」 「真田…着いてくんなよ」 「帰りかどうか聞いてるだけじゃんか」 犬のように笑いながら真田も下駄箱から靴を取り出す。真っ直ぐ立つと真田は俺と同じくらいの目線だった。てっきりもっと小さいものかと思っていた。 「帰る以外にねえだろ…」 「遥人は?一緒に帰らねえの?」 「あいつは…今日学校来てない…らしい」 「らしいって、一緒に住んでるんじゃ…」 バタンと大きな音を立てて下駄箱の蓋を閉める。真田は肩をビクリと揺らした。それを気にせず靴を履いて歩き出すと、真田も後ろからついてくる。 「知らねえ…昨日からうちにはいない」 「なんだよ…喧嘩でもしたのか?」 「別に、大したことじゃない…」 「だから今日はそんなに悲しそうだったんだな」 「あ?」 〝悲しそう〟と言われて動きが止まる。自分はそんな顔をしていたのか…全く自覚がなかった。そもそも、悲しいなんて思うはずがないのに。一人にはもう、慣れたんだ。 「なあ、これからうち来いよ」 「はぁ?嫌に決まってんだろ」 「じゃあお前らの家行ってもいいか?」 「…それはだめだ」 あの家には呼びたくない、きっと小笠原は嫌がる。 …どうして俺はこんな時まで小笠原のことばかり考えてしまうのだろう。 「何でだよ、一人じゃ寂しいだろ?」 ああ、そうなのか、一人は寂しいものなのか。俺は今、小笠原がいなくて寂しいのだろうか。 「一人は慣れてる」 「そんなこと言うなって。俺の家来いよ、なんなら泊まっていってもいいぞ」 「行かねえって言ってんだろ話聞けよ…」 校門の辺りで話していると、昇降口にいる上杉がこちらへ向かって来ようとしているのが見える。もうあいつとはこれ以上話したくない。見られてしまったという事実もそうだが、小笠原の話題を出したくなかった。 「おい双木、どこ行くんだよ」 「家に決まってんだろ」 「俺も行っていい?」 「記憶力ねえのかお前は!」 「いいじゃん、テストも終わったんだし遊ぼうぜ?」 まずい、このままここで揉み合っていたら上杉に捕まる。真田はおそらくしつこく着いてくるだろうし… 「わかった、それじゃあお前の家に行くから急げ」 「え、まじ?いいけどなんで急ぐんだ?」 「何でもいいから早くしろ」 真田はふと上杉の方を見る、二人の目が合った時、真田が微かに口角をあげた気がした。 「待ってくれ、俺は双木の方に話が…」 上杉がそう叫んだが、真田は俺の手を引いて走り出す。 「待てと言っているだろう、聡志!」 また大声で上杉は真田の名前を叫ぶ。それに対して何か怒っているのか、真田は顔を赤くして叫び返した。 「気安く呼ぶなって言ってるだろ!!ばーーーか!!」 どう見てもそんな小学生レベルの煽り方をする真田の方が馬鹿だったが、お陰で上杉から逃れることが出来た。上杉は何故かまた道着を着ていたので、校則に従ってその格好のまま校門から出ようとはしなかった。律儀なやつだが、真田とはやはりなにか繋がりがあるのだろうか。 真田の家へ向かう道中、かつての自宅付近を通った。あそこに帰りたいとも、今はあまり思っていない。 それにしても、真田はいったいどこへ向かっているのだろうか。前はここの近所だと言っていたのに、どうも歩みを止めようとしない。 「おい、お前ん家どこにあるんだよ」 「もう少し…先かな」 そこでようやく真田の手を振り払って止まる。 「…この先に家なんてないだろ」 「引っ越したばかりだからさ、たまたま周りが空き地だらけなだけだって」 真田はそのまま先へ進んでいく。この先は本当に人気がない。仕方がないのでついて行くと、そのうち古びた建物の前で足を止める。俺の方を振り返り、いつもとは違う笑みを浮かべた。 「遊ぼうぜ、双木?」

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