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桜の便り
三月に入ると母はよく「春の匂いがしてきたわね。桜が咲き始めるわ」そう言って窓を開け風の匂いを嗅いでいた。
俺の記憶の中の母は三十過ぎにしては可愛らしい人だった。いつも笑って外を眺めていた。体が弱くほとんど外に出れなかったからだろうか。
母の面影はその頃の記憶しかない。入院してからはほとんどと言っていいほど連れて行ってもらえなかった。弱っていく母を見せたくなかったのか、父の思惑はわからない。
新しくできた母は外を見て空気を感じたりする人ではなかった。子供を愛し、家族を大切にする人で父を愛してる人だ。妹になった美陽も母似の美人で俺を本当の兄のように慕ってくれた。
何不自由ない生活に理想の家族。それなのに心の満たされない俺は母を忘れることができず、母と写った数少ない写真の一枚を机の引き出しに仕舞い眺めては思い出していた。今でも手帳に挟み持ち歩いている。
今は命日にしか出さなくなった写真を隼人が飾ろうと言ってくれた。それは偶然手帳から滑り落ちた写真を見た時だった。
「どうして仕舞ってるんです?ちゃんと飾りましょ」
そう言ってフォトフレームを早速買ってきてくれた。綺麗な桜色の花弁が散りばめられた可愛らしいフォトフレーム。
「お写真を見てお母様にはこれが似合うと思って」
笑顔の母の周りには綺麗な花弁が舞ってあの頃をふと、思い出した。
「よく似合ってる。ありがとう」
美紅の写真の隣に母が並ぶ。その光景を隼人が嬉しそうに微笑んで見ている。
愛する子供と母、それを並べて微笑む愛しい恋人。
俺の家族がここで笑っているように思えて込み上げるものが目頭を熱くした。
幸せだと思った。愛されている。愛した人に愛される幸せを隼人に教えてもらっている。
窓を開け、あの頃とよく似た風が部屋に舞い込む。そこに母がいるような錯覚さえ覚えるほどよく似た春の匂いを感じた。少し肌寒く、それでも近い春の兆しを感じる。
「春の匂いがしますね。桜もそろそろですね」
目を閉じて空気を吸い込んだ隼人がこちらを見て笑った。
写真の中の母が優しく笑って俺を見ている。その母に静かに頷いて微笑み返した。
「そうだな、もうすぐ桜が咲くだろうな、春の匂いがする」
その空気を愛しい恋人も感じてくれている。あの頃の母が待ち遠しいと言わんばかりの言葉を隼人が口にする。
俺の好きになった人は俺を愛してくれた母と同じ感性で俺のそばで愛してくれる。
それが堪らなく嬉しくて幸せで、外を眺める隼人をそっと後ろから抱きしめた。
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