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覚の章25
「はぁっ……は、……」
大広間から出ると、大勢の妖怪たちが鈴懸を追いかけてきた。玉桂の家来たちだろう。花嫁を奪い返すべく、皆、鬼の形相で追いかけてきたのだ。
流石の鈴懸もすっかり体力を消耗してしまって、まともに妖怪たちを蹴散らすことができない。逃げることで精一杯で、ようやく妖怪たちの目の届かない場所まで来たときにはすっかり息を切らしてしまっていた。
「……だい、じょうぶか、……織」
鈴懸と織が逃げ込んだのは、物置のような小さな部屋。焦るあまり、もと来た道を戻ることができずここに逃げることになったのだが、ここはここで身を隠すには都合のいい場所だった。狭いため、少量の妖力で結界を張ることができるのだ。
部屋の奥の方で、鈴懸は織をぎゅっと強く抱きしめながら息を整える。織はくったりとしていて、ただ鈴懸にされるがままになっていた。
「……う、」
「……織……?」
鈴懸の腕の中で、織が身じろぎする。そして、小さく、嗚咽をあげ始めた。
「……っ」
鈴懸はそんな織を抱きながら、胸を押しつぶされそうになっていた。攫われる前と今では、織の雰囲気がまるで違う。体はどこか丸みを帯びていて、甘い匂いがする。声がとろっとしていて、甘ったるい。瞳は常に潤んでいて、頬も紅潮している。……織が玉桂に何をされていたのか、悟ってしまったのだ。潔癖な織がここまで淫靡なからだになってしまうまでに……織は、玉桂にひたすらに淫らなことをされていた。鈴懸はそれを思うと、悔しくて悔しくて、たまらなかった。
「織……ごめん。もっと俺に力があれば、もっと早く救えたのに……」
「……う、うぅ、……」
ただ、織は泣いている。哀しくて哀しくて、でもどうしたらいいのかわからなくて、鈴懸は織を宥めるように、背中をさすっていた。
「すず、かけ……さま……」
「……織、」
「……私は、もう、戻らなくては、」
「……え?」
しかし。
織は、鈴懸の腕からするりと抜け出した。てっきりこのまま人間界に戻るものだと思っていた鈴懸は驚いてしまって、呆然と口を開けてしまう。
「玉桂さまのもとに……戻らなくては、いけません。……まだ、婚儀が終わっていませんから」
「えっ……? 織?」
よろ、と織が立ち上がる。着物のはだけた白い脚はカモシカのように細くて、それでいて生々しく色っぽくて、鈴懸は思わず目を逸らしてしまう。
……織は、何を言っているのだろうか。まさか、玉桂のことが好きなのか?
鈴懸は強い衝撃を受けて、混乱して、震える声で織の名を呼んだ。
「……私は、玉桂さまに操を捧げてしまいました。貴方に言えないような、淫らな行いをたくさんしました……今更、貴方のもとへは、還れない」
「何、言ってんだよ……! 帰るんだ、おまえは俺と一緒に帰るんだよ!」
織が、扉に手をかける。このまま、玉桂のもとへ戻るつもりか――鈴懸は衝動的に立ち上がって――そして、ドン、と勢い良く織を囲うように壁に手をついた。驚いた織が、振り向いて目をぱちくりとさせている。
「おまえが、玉桂に何をされたのか……それを、聞いたりはしねえよ。でも、おまえが玉桂に何をされようと、玉桂と何をしようと――俺は、おまえと一緒にいたい……!」
「……っ、でも、……貴方は、美しいでしょう。私は、……きたない」
「そんなことない……! おまえは、……綺麗だ。俺の世界の中で、誰よりも……綺麗だ」
織は、自分が玉桂に犯され穢されたから、もう鈴懸と結ばれることは赦されない……そう思っている。それに気付いた鈴懸は、狂おしい想いに囚われた。絶対に織をもう手放さないと、強く誓う。
「……いやです、いや……貴方を、穢したくない、……」
「おまえは、きたなくなんてないから……!」
鈴懸に見つめられ、想いをぶつけられ……とうとう、織の声が震え出す。鈴懸に背を向けて、「だめ、だめ」と仕切りにつぶやくも、後ろから鈴懸に抱きしめられて何度も名前を呼ばれれば、次第にその声に熱が溶けだしてくる。
織のなかの、鈴懸への想いが、滲み出てきたのだ。押し潰しても押し潰しても消えない、鈴懸への想いが。
「だめ、なんです……鈴懸さま……」
「そんなの誰が決めるんだよ……!」
「貴方は神様で……美しくて……だから、私のような下賤な者が恋い焦がれるなんて、赦されなくて……」
ちらり、肩越しに織が鈴懸を見つめる。頬を染めて、ぽろぽろと涙の雫をこぼしながら自分を卑下する織は、酷く切なそうで。
しかしやがて、織は。そんな哀しい罪の意識も鈴懸への想いには勝てず。迷ったように視線を泳がせて、そして絞り出すような声で、言う。
「……まだ。くちづけ、していないんです」
「……え?」
「玉桂さまと、くちづけ……していないんです。あの婚儀で、私の最初で最後のくちづけを玉桂さまに捧げるつもりだった。今日の今日まで……どうしても、貴方とのくちづけを夢見て、玉桂さまとはできなかった」
織の指先が、鈴懸の袖に遠慮がちに触れる。そして、振り向いて――泣きながら、鈴懸に懇願した。
「鈴懸さま……どうか、……どうか、私の初めてのくちづけを奪ってください……初めては、貴方がいい。あなたとの恋を、私のなかで、思い出にしたい」
「……織、」
「お願いします、鈴懸さま……たったの、一度でいいから……鈴懸さ――……」
今生の別れを告げるような。そんな、あまりにも切ない、織の願い。
鈴懸は耐えきれなくなって、それでいて愛おしくなって。想いが溢れそうになって。
とうとう、唇を奪った。哀しい言葉を、唇で塞いだ。
「……あ、」
「……織」
「んっ……」
唇を離して、もう一度。両手を織の頭に添えて、包み込むようにして口付けをする。ちゅ、ちゅ、と何度も、何度も、何度も。
暗闇を静寂に変えて、切なさを甘さに変えて、二人の口付けは幸せを誓い合う恋人のそれのように優しい。
「あっ……」
そっと鈴懸が織を解放すると、織が顔を真っ赤にして、ずるずると座り込む。口を手で押さえて、とろんと顔を蕩けさせて……腰が抜けてしまったようだ。どうしたのかと鈴懸が心配して織の目線に合わせるようにしてしゃがみ込めば、織は今度は泣き出してしまう。
「し、織……?」
「う、……うう……」
ひく、ひく、としゃくりをあげて、ぼろぼろと大粒の涙を流して。ただ事ではない様子に、鈴懸も困惑してしまった。「どうした」とおろおろとしながら尋ねてみれば……織は涙に濡れた瞳で鈴懸を見つめて、口を隠しながら震える声で話す。
「……しあわせ、で」
「……え?」
「……鈴懸さまと、口付けができたのが……嬉しくて、……嬉しくて、……幸せで……」
「……っ、ばか、おまえ、それ、卑怯じゃねえか、」
――泣いてしまった理由は、「鈴懸と口付けができたことが嬉しかったから」。そんなことを伝えられたら、鈴懸の理性がぷちりと切れてしまったのは仕方ない。ただの口付けで泣くほどに喜ぶなんて。そんなにも、自分のことが好きなんて。愛おしいって、狂おしいって、そう思うのは仕方ないだろう。
あまりの愛しさに、鈴懸の心臓も正常には動いてくれなかった。どきどきとしすぎて、ぎゅうっと胸が締め付けられて、おかげで息が苦しい。手先が震えて、力加減ができそうになくて、織にもう一度触れることが怖かったけれど……でも、触れたくて。そっと織の口を隠す手を払って、また、口付ける。
「ん……」
織が遠慮がちに、鈴懸の着物をきゅっと握ってきた。かわいらしいその仕草に鈴懸が思わず目を開けてしまえば、淑やかに閉じられた織の目が視界いっぱいに映る。ああ、あの織が……今、俺のことだけを考えてこんな風になっているんだ――それを思うとたまらない。
愛しい。ほんとうに愛おしい。こんなに愛おしい人がこの世に存在するんだ。ああ、頭がおかしくなりそう。
唇を話して、鈴懸はぎゅっと強く織を抱きしめた。そうすれば、織はほう、と息を吐きながら鈴懸を抱きしめ返し、すり、と頬ずりをしてきた。
「……もう、死んでもいい。幸せ。鈴懸さま……幸せです……」
「ばか、……死んでどうするんだ。これから帰ったら、もっと幸せにしてやるよ」
「……鈴懸さま……」
そうだ、帰らなくては。帰って、織をたくさんたくさん、愛するんだ。
気付けば外から物音が聞こえなくなっている。妖怪たちは諦めて去っていったのだろうか。今なら逃げ出すことができる……そう思った鈴懸は、織を抱き上げて立ち上がる。
そして――扉に手をかけた、そのときだ。
ミシ、と扉が軋み。一気に、外から扉が破壊されたのだ。
「……あ、」
振り向き、織が目を見開く。そして……とん、と軽く鈴懸を押しのけた。
「織……?」
突然拒絶をされて、鈴懸も混乱してしまう。呆然としたまま破壊された扉を見やれば……そこには、巨大な、鬼。
新手の妖怪か。逃げ切ることができるかはわからないが、この状況をくぐり抜けねばと、鈴懸は構える。なぜか自分から離れていった織をもう一度抱き寄せようとしたとき。
「鈴懸さま……近づかないで」
「……は?」
「……これは、私の鬼です。私の心を喰って肥えた……覚です」
「な、……」
ばき、ばき、と壁を破壊して、鬼――覚が部屋の中に侵入してくる。覚――その存在を、鈴懸も知っていた。人の心に寄生し、闇を喰らって成長する鬼。詠の側にも仕えていたが……この鬼が、覚であるとは。ここまで巨大に成長した覚を見たことのなかった鈴懸は、織の言葉が信じられなくて……ぽかんと立ち尽くすしかない。
この覚が、織の闇を喰らって肥えたというのなら。……織の闇は、どれほど大きなものだというのか。
動けないでいる鈴懸の目前、ふらりと座り込んだ織に、覚がゆらゆらと近づいてくる。そして、後ろから、そっと織の着物をはぎ取った。するりと着物も下着もほどけていって、織はあっさりと裸にされてしまう。織は鈴懸の前で覚に服を脱がされて……顔を真っ赤にしながら、涙目で黙り込んでいた。
「……鈴懸さま。鈴懸さまは、一緒にいようって言ってくださいましたね。でも……だめなんです。見ての通り、私は……きたない」
「し、織……」
覚が、織の両手をつまみ上げ……ぐいっと織を無理矢理立たせる。ぐっとのけぞった織の体は……艶めかしい細腰が際だつ、白く美しく甘美な、淫らな体だった。つんと上向きに勃った乳首が目に毒だ。
いやらしい体つきに、思わず鈴懸は目を逸らしそうになる。織が玉桂に様々なことをされていたのはわかっていたが……こうして実際に目にすると、なかなかにきつい。
黙り込んだ鈴懸を見て、織はふっと諦めたように目を閉じる。そして、同時に安堵したように、まるで聖母のようなほほえみを浮かべた。
「鈴懸さま……私はもう、貴方の知っている碓氷 織ではないのです。お願いします……私のことは、忘れてください……鈴懸さま……」
「し――」
あまりに美しくあまりに哀しいその笑顔を見て、心臓を握りつぶされたような苦しさを覚えた鈴懸。瞠目したその瞳に――見るにもおぞましく淫らな光景が映る。
「あ……」
織の足下から、蛇のような黒い妖怪が何匹も出現する。頭が男性器の先端のようになっていて、気味の悪い生き物だった。それが織の体をずりずりと這いずり回り……織の肌を愛撫してゆく。
(あれも……覚か……)
その妖怪から感じる気配は、覚と同じもの。鬼と一概には言っても、形は様々。あの妖怪も織の心から生まれた覚の一部のようだ。
ソレは、どんどん生まれてきて、そして頭上にまとめ上げられた織の腕まで上ってくる。その形のせいで、まるで何人もの男が織の体に男根をこすりつけているかのような光景となっていた。織はそんな妖怪に体をまさぐられて……頬を染めて、体をくねらせている。
「あぁんっ……!」
「織、……」
「すずかけさまっ……あぁっ……ぁんっ……みないでぇ……あぁー……っ……」
鈴懸に痴態を見られながらも、織はたしかに感じていた。はぁはぁと熱っぽい吐息を吐き、目を蕩けさせ、甲高い声をあげている。
鈴懸に見られながら感じてしまうのは、すごく、いやなのに。いやなのに、感じてしまう。いやなのに、いやなのに。鈴懸の視線が怖くて、でも気持ちよくて……織はぼろぼろと泣きながら、悶えていた。
「あぁあ……いっちゃう、……いっちゃう……すずかけさま、いや、……みないで、……いくところ、……みないでぇ……」
「み、見るな、って……」
織を、あの責め苦から救いたい……が。巨大な覚が後ろに構えている手前、下手にああして捕らえられている織に手をだせば、織がどうなるかわからない。織を奪い返す隙をつくためにも鈴懸はその淫らな光景を見続けるしかなくて……織は、ひたすらに、一番好きな人に自分の淫らな姿を見せつけることとなってしまった。
「はぁっ……あ、……んんっ……」
蛇のような覚は、織の全身に頭をこすりつけてくる。亀頭のようなそれが肌を撫ぜれば、白い……まさしく精液のような液体が織の体にこびりつく。さらに――何匹かが織の股間に群がってきた。それは、争うようにして織の孔にぐりぐりと頭を突っ込み……びちびちと暴れ回る。
「ぁひっ……あっ……あぁっ、んっ……だめっ……なかっ、いやっ……」
後ろで見ていた覚が、織の中に入り込んだ蛇の体をがしりと握る。そして、ソレを上下に揺らした。そうすれば、その何匹もの蛇がじゅぶっ、じゅぶっ、と織の孔をでたり、はいったり。男性器の雁首のようなソレが、織の前立腺をゴリゴリと擦りあげ……織はびんびんに勃起してしまった自身から、ぴゅるるっと精液を吹き出させた。
「すずかけさま……あっ……あ……」
達したあとも尚、織の体はまさぐられ続けている。織はとろとろに蕩けた絶望顔で、切ない声をあげ続ける。
びくんっ、びくんっ、と体を震わせ、鈴懸にイキ姿を見せつけた。
「織、……まってろ、……助ける、から……」
覚に心を喰われてしまった織。これが、織が頑なに鈴懸のことを拒んでいた理由。
鈴懸はその姿に強烈な敗北感を覚えた。しかし――ただ嘆いてばかりもいられない。
織がここまで変わってしまったのは、ただ体を調教されていたからではない。心までもを、犯されていたからだ。「醜いおまえが、愛されることなど赦されない」と刷り込まれていたから。
救わなければ。その、地獄から、織を……何が何でも。
「織……! 泣くな、大丈夫だから……! 俺はおまえを――」
救えるか、救えないか。そんなことは問題ではない。救うんだ。
鈴懸が一歩、踏み出した――そのとき。
「――どうした竜神。私の織を、奪い返すことはできたか?」
壊れた壁から――玉桂が、顔を出した。
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