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覚の章34(3)
「せめて愛する人の目の前で、美しく散るがよい、竜神」
すう、とのびた玉桂の手。そこからあふれ出るようにして、桜の花びらが出現する。すさまじい量の花びらはやがて形を成していき……細く、しなやかな刀へと変貌してゆく。
桜のように淡く儚く、乙女のように可憐な刀。艶やかな長髪と華美な着物を身にまとう玉桂がそれを持てば、まるで一枚の絵のように美しかった。それほどに、その桜の花びらによって編まれた刀は美しかった。
しかし――その美しさとともに。おぞましいほどの妖気を、刀は携えていた。
「斬れば桜の花びら一枚いちまいが、おまえの血を啜るだろう。花と共に死んでゆけ、鈴懸」
「……、」
防ぐことができるのだろうか、あれを。
鈴懸はゆっくりと近づいてくる玉桂を見定めながら、鼓動が高鳴ってゆくのを感じた。
本能で感じる、玉桂と自分の力の格差。絶対にかなわないという確信。玉桂と距離がせばまるたびに近づいてくる、死の足音。情けなくとも恐怖を感じてしまうのは当然であった。自分の予想よりも遙かに上回っていた玉桂の力に、鈴懸の魂はひれ伏してしまったのだ。
縮まる距離。逃げることすらもかなわない。鈴懸にできるのは、ただ、死への覚悟を決めることのみ。どくんどくんと逸る鼓動、間隔の短くなってゆく呼吸。振り上げられる刀の軌跡が、金に光る。
「――おまちください、玉桂さま……!」
あと一寸で、鈴懸の命が途絶える――というときだ。玉桂を刺したのは、織の声だった。
織は着せられた鈴懸の羽織を翻しながら、鈴懸の前に躍り出る。そして、力つきたようにかくんと座り込み、く、と玉桂を見上げた。
「……鈴懸を殺すというのなら、私を殺してください」
「……なにを言っている、織。竜神を庇うつもりか?」
「違います……!」
玉桂の刃を止め、そして玉桂を諭すように言葉を紡ぐ織。これには、玉桂も鈴懸も驚いてしまう。
鈴懸に抱かれ、絶頂を繰り返した、その淫らな体。立つことすらもままならないほどに腰が砕けてしまっている、「抱かれた後」の体。そんな体の織が、強い意志をもって玉桂の前に立ちふさがった。
「鈴懸のいない世界で、私は生きられません。ですから、鈴懸を殺すというのなら私も殺してくださいと申しているのです」
「……そんな幻想、すぐに私が消してやろう。おまえがそうして竜神を慕っているのも、一時的な恋心によるものだろう」
「そうじゃない……! 鈴懸が、……俺の世界を変えた。周りの人から逃げていた俺の、心を変えてくれた……だから、俺は鈴懸のことが好きです。鈴懸の居る世界で、鈴懸と共に生きていたいんです」
放たれた、織の言葉。あまりにもまっすぐで強い想いのこもったそれに、鈴懸は心臓を掴まれたかのように息を詰まらせた。情熱的な告白といっても過ぎないくらいの言葉を、織は照れることもなく凛と言い放ったのである。
しかし、衝撃を受けたのは鈴懸だけではなかった。玉桂もだ。玉桂は織の言葉にーーある女の言葉を頭に浮かべる。
『この世界のすべてが憎い。私はもう、この世界で生きていたくない』
――咲耶。織と同じ魂を持つ、咲耶の言葉だ。
織は咲耶の生まれ変わりであるというのに、咲耶とは全く逆の言葉を言った。「この世界で生きていきたい」と、そう言った。あの、ずっと哀しそうに笑っていた咲耶とは違う、光を宿した瞳で玉桂を見つめながら。
「――……咲耶、おまえは……」
「……玉桂さま……?」
からん、と。音をたてて、刀が落ちる。その瞬間に刀は、再び桜の花びらへと姿を変えて舞い上がった。
玉桂の手が、織の頬に。呆然とする織の顔をのぞき込みながら、玉桂がもう一度、呼ぶ。
「咲耶――……」
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