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覚の章35
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「織さま……鈴懸さま……!」
織と鈴懸が黄金の部屋を出て、詠と白百合を探そうとしたとき。丁度、詠と白百合の二人がぱたぱたと走ってくるのが見えた。二人を縛っていた妖術も解かれたようだ。鈴懸は二人が無事なのを見てほっとすると共に、これで本当に下界に帰れるのだとちょっとした郷愁感にさいなまれる。非現実的かつ美しい、月の世界ともこれでお別れだ。
「ご無事でなによりです。いきましょう、織さま。また、碓氷の屋敷へ」
「うん」
織は鈴懸に抱き抱えられながら、嬉しそうに笑う詠に応えた。
まだ、体の調子が戻っていない織。体力を取り戻すのにしばらくはかかりそうだが、少し休めば今までの生活に戻れるだろう。これで本当に、この世界とはお別れだ。
織はちらりと荘厳なる屋敷を見つめる。色んな事はあったが、一ヶ月は過ごした屋敷だ。全く情がないというわけではない。
「おやぁ。織」
そんな織とたまたま目があった白百合は、にや~っと瞳を細める。それはまさしく狐のような目で……織は思わずきょとんと目を瞬かせた。
「ずいぶんと鈴懸と仲睦まじいではないか。ふふ、とうとう鈴懸の嫁になることを決めたのか?」
「はっ……!?」
「想いの繋がった婚約は妾も祝福するぞ? ふふ、織のややこを見るのが楽しみだのう」
「ちょっ……白百合さま!」
からかわれた織は顔を真っ赤にして、ぎゅっと体を丸めて顔を隠してしまう。「あらあら」なんて詠も交えてこちらを見てくる白百合の視線から、必死に逃げた。
恥ずかしくて、でも否定もできなくて。前までならば「そんなのありえない」と一蹴したものの、今となっては……それができない。鈴懸のことが、好きだから。好きで好きでたまらなくて、照れ隠しに否定もできないくらいだから。
織はどうしたらいいのかわからなくて、ちらりと鈴懸の顔を見上げた。そうすれば、自分を見下ろしてくる鈴懸とぱちりと目が合う。
「あ……」
天上にまばゆく輝く、満月。その月光に照らされて、鈴懸の銀髪がさらりと光を帯びている。影のかかった鈴懸の顔、輪郭だけが月光に縁取られて。
「ん? 俺と結婚する?」
「……っ」
織はかっと顔を沸騰させて、目をぐるぐると回しながら顔を手で隠してしまった。あまりの彼のかっこよさに、心臓が止まりそうだった。
面映ゆい、二人のやりとり。そんな二人を見つめる詠と白百合は、恋愛沙汰を好む乙女そのもの。二人でにやにやとしては、こそこそと話している。
そうしていれば、いつのまにか屋敷の門までたどり着いていた。この門を出れば、下界まではあと少し。きっともう二度と、月の世界へくることはないだろう。
鈴懸が、一歩、歩み出す。この世界の神様へ、心の中で誓いながら。
『織のことを、誰よりも幸せにしてみせる』
――ひらり、鈴懸の頬を何かが掠めた。それはひらひらと落ちていって、織の手のひらのなかに。見てみればそれは、桜の花びらであった。
「……玉桂」
振り向けば――そこに、見渡す限りの満開の桜。一瞬前まではただ静かにたっていただけの桜の木々が、歌うように花吹雪を舞い散らせている。「きれい」と言って頬を染める詠と白百合、それから呆然とそれを見つめる織。鈴懸はそんな桜を見て、ふっと笑うと再び門に向き直る。
「……いけすかねえ神様」
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