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千歳の章6(1)

*** 「布団、一組で良かったんだ?」  部屋に案内され、女将が去っていくと、鈴懸がにやにやとしながら織に問う。  織はちらりと鈴懸を見上げると、つんと唇を尖らせた。ほんのりと顔を赤くして、ぷいっとそっぽを向く。黒髪の隙間から覗く耳は、真っ赤。 「……せっかく、霊障……とれたんだから……一組で、いいじゃん」 「……、……」  織の発した言葉。それに、鈴懸はぽかんと口を開けて固まった。  それはつまり……誘われてる、ということか。と。 「……」 「……な、なに。何か言えよ!」 「い、いや……」  鈴懸は参ってしまう。  恋人を閨事に誘う方法を、知らない。  ……今までは、儀式の中で体を交えてきたのだ。いやらしいこともいっぱいしてきたが、もはや必然的な流れで、言ってしまえば「やらざるを得ない状況」の中、やってきた。だから、こうして半能動的に閨事に誘うのは、実質初めてとなる。 「え、っと……」  しかし、この状況でどう誘えというのか。どんな言葉で切り出せというのか。単純な言葉であろうと、浪漫に溢れた言葉であろうと、どちらにせよ、発するのは容易ではない。  このまま、ただ抱きしめあって寝るだけではだめなのかーーこの状況があまりにも恥ずかしくて、そんな考えが浮かんだ鈴懸であったが……そんな考えはすぐに吹っ飛ぶ。  だって。ちらりと視界に映った織が。期待しているかのように、鈴懸の言葉を待っていたからだ。伏し目がちの瞳を震わせて、きゅっと唇を結んで……顔を、林檎のように赤くして。 「……、」  織は、鈴懸に抱かれたがっていた。玉桂のもとに攫われて、鈴懸のことを想い切なさに胸を裂かれる日々を過ごし。ようやくこちらに帰ってきたと思ったら霊障のせいで鈴懸とまともに触れ合うことができず。ようやく、そんな辛さから解放されて二人きりになったのだから……体の奥から、心の底から、鈴懸に抱かれたいと思っているのだ。  鈴懸もそんな織の想いに気付き、は、と息を呑む。恥じらいのあまり、織の想いを無碍にするところだった。そして、自分の気持ちすらも、蔑ろにするところだった。鈴懸だって、織を抱きたくてたまらないのだ。 「織……」 「……ッ、はい……」  鈴懸は織の前に立つと、そっと頬に手のひらを添えた。  瞬間、織の顔に火がついた。薄暗い部屋の中でもはっきりとわかるほどに、かあっと顔を真っ赤にして、瞳がうるうると潤む。それを見た鈴懸も釣られて赤面してしまって、二人で顔を赤くしながら見つめ合う。 「……口付けをしても、いいか」 「へっ……」  今更そんなこと聞かないでよ、とでも言いたげに織がひっくり返ったような声をあげる。それでも鈴懸が真剣に織を見つめるから……織は変なことを言うこともできず。「いいよ」の一言を言うにもなかなか心が落ち着かなくて、言葉が出てこない。  ばく、ばく、と二人の鼓動が激しく高鳴る。目眩がするほどのそれに、視界が揺れる。呼吸をするのも難しくて、息ができない。  こく、と織が唾を飲み込んだ。どきどきのあまり泣きそうになりながら、鈴懸をじっと見つめる。浅い呼吸の中で渇いた唇が、寂しい。はやく、この唇に、彼の熱を灯して欲しい―― 「……して、……鈴懸……」  誘惑のように、囁いた。脳みそを溶かすほどに熱い、声で。  ひゅ、と鈴懸の息が一瞬止まる。あまりにも蠱惑的な囁きに、心臓が止まりかけたのだった。ドッ、と激しく胸が高鳴り、煩いほどに鼓動が鳴り、顔が熱くなって、耐えきれなくなる。 「織……」  鈴懸は両手で織の頭を掴み、ゆっくり、顔を近付けた。はあ、はあ、とはやくなってゆく二人の呼吸の感覚が重なって、狂いそうになって、触れるその瞬間は意識が飛びそうになってしまう。 ――時が止まり、感覚は消え去り、頭の中は真っ白になった。  唇が触れたのだと実感する前に、二人は離れた。瞼を開ければばちりと視線が交わり、その瞬間にボッ、と全身から汗が吹き出るほどに体が熱くなる。 「織……」 「すず、かけ……」 「……ッ、織っ……!」  口付けをしたと。ようやく実感した瞬間に。鈴懸の胸の中で炎が息吹をあげた。織を蕩けさせるような甘い文句を言うこともできず、ただ、こみあげる織への想いのままに動く。  ぐ、と織の体を押し。部屋の壁まで追い詰めて。そして、ダン、と勢いよく壁に手を付き、織を閉じ込めて。織の全てが欲しいという想いのままに噛み付くように口付けをした。

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