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千歳の章29(1)
父の源治郎と母の瞳子が揃うのは、夜。織はそれまで、鈴懸と二人で過ごすことにした。最近は色々と精神的に参っている。ゆっくりと、屋敷の中で身も心も休めようと考えていたのだ。
「伊知は、理解があるみたいだな。まあ、伊知は考えが先鋭的にみえるしな。財閥云々ていうのに縛られるような奴には見えない」
「……うん、兄さんは……そんな感じなんだけど」
「問題は親の方なんだろう? 源治郎も瞳子も堅そうだよなあ」
織は伊知が鈴懸との恋を理解してくれたせいで、少し安心してしまっていた。みんな、言ってみればわかってくれるという錯覚を覚えそうになったのだ。しかし、それは大きな間違い。伊知がたまたま理解してくれただけであって、源治郎と瞳子はそうではない。せっかくの有栖川との結婚の話を断るなど、許すような人間には思われないのである。
織は不安を抱えながら、鈴懸の胸元に頬をすり寄せた。ずっと、こうしていたい。碓氷の運命から逃げ出したい。そんな想いが、織を支配する。
「はあ。有栖川に勝てるところが一個もねえっていうのもまた傷つくなあ。せめてさあ、俺がすっげえ立派な神様だったらいいんだけどな。でかい神社の神様とか」
「……そんな、碓氷への利益で鈴懸のいいところを考えたくないよ」
「……まあ、そう言ってもらえるのはありがたいんだけどな。なにより……あの白虎に負けてるのが悔しいんだよなあ」
「千歳さま?」
「あの白虎は全ての人間から認識されるくらいに強い妖力を持っている。まあ、……性格は大人しいが、立派な神だ。俺とは格が違う」
「……鈴懸もそろそろ力が戻ってもいいのにね」
「うるせえな。人間から認識されなきゃ信仰を集めるのも苦労すんだよ。おまえがもっと俺を好きになれよ」
「……」
鈴懸としては、自分と織が結ばれることによって碓氷にとって不利益が生じるというのが、納得できないようだ。元々神様として崇められていた鈴懸だ、そういった扱いをされるのに慣れていないのだろう。
拗ねる鈴懸に、織は「うーん」と眉を顰める。本当に、そろそろ力が戻ってもいいころだとは思うのだが……。織はもう、これ以上はないというくらいに鈴懸のことが好きでたまらない。そうなれば、どうすれば鈴懸の力が戻るのかわからない。
もしも、鈴懸が竜神としての力を取り戻した場合。源治郎と瞳子は、多少は鈴懸のことを認めるかもしれない。織が二人に鈴懸への想いをうったえるのは、自分の想いを聞いて欲しいから……ということではあるが、どうせなら鈴懸との関係を認めて欲しい。だから、手段があるなら……と織は色々と考えを巡らせていたのだが。
「……」
「……どうした、織」
「えっ……いや、なんかいる」
織がベッドに寝転がりながらふっと窓に視線を移したときだ。ちらり、と何かが映ったのだ。ほんの、一瞬ではあるが。
「なんかって……おまえ、ここどこだと思ってるんだよ。二階だぞ。無駄にでかい屋敷の二階。窓になんかいるわけねえだろ」
「いや、だって、……毛が」
「は? 毛?」
「白い毛」
あんまりにも織が気になっている様子であったため、鈴懸も窓を見上げる。そうすればそこには――織の言ったとおり、ちらりちらりと白い毛が少しだけ映っている。じっと観察していれば、にゅっと何かが下から出てきて、また引っ込む。ちらっと見たところだと……獣、のようだが。
「……猫?」
「猫にしてはでかくねえか」
「……犬?」
「どっちかっていうとネコ科の耳に見えたけど」
「ええ? でも……」
「もう直接見てみようぜ」
「あっ、鈴懸!」
正体が気になった鈴懸は、体を起こして立ち上がる。織と体をくっつけあっていたため乱れに乱れた着物から肌が大きく露出しており、織は顔を赤らめながら鈴懸を制止した。もし、窓の下に鈴懸が見える人がいたら……この部屋で、触れ合っていたことがバレバレになってしまう。それは少し恥ずかしい……そう織は思ったのだが、鈴懸は思いっきり窓から身を乗り出した。
「す、鈴懸……着物、整えて……」
「……」
「鈴懸?」
織がうっすらとため息をつきながら声をかけたが、鈴懸が固まって動かない。どうしたのだろうと織も一緒に窓を覗いてみると。
「――うわっ!?」
そこには――なんと、虎がいたのである。白い毛並みを持った、なんとも美しい虎が。
「……白虎か」
「えっ、ち、千歳様なの!?」
窓から部屋を覗き込んでいたのは、千歳だった。太陽の光を浴びてきらきらと輝く白銀の毛並みと、透き通るような紅い瞳が非常に美しい虎。千歳の人間の姿とは似ても似つかないその虎に、織はその正体に気付くことができなかったが、鈴懸は気付いたようだ。
鈴懸は千歳にぐっと顔を近づけると、じっとその目を覗き込む。
「……何してんだおまえ」
「……そ、その。織と、話がしたい、のだが、……は、恥ずかしくて」
「そんな見た目しといておまえ、すげえ臆病なんだな?」
千歳は耳をぺこんと垂れながら、落ち着きがなく目をきょろきょろとさせている。神々しい姿になっても、中身は全然変わっていないようだ。
「なんで、その姿で来た」
「……この姿なら、勇気、でるかと思って」
「……で、勇気は特にでなかったと」
「……」
鈴懸は意気地なしな千歳に拍子抜けしたようで、頬杖をつきながらため息をついた。一応恋敵であるはずなのに敵意を向けることができず、わしわしと千歳の頭を撫でてみる。
「……で、話って?」
「……いや、……えっと、……特に話したいことがあるわけじゃなくて、……」
「……会いたかった?」
「!?」
「……」
ヒゲをヒクッとさせ、千歳は鈴懸の言葉に動揺する。人間のように表情があるわけではないのに、虎の姿の千歳はやたらと感情がわかりやすい。
あんまりにもいじらしい千歳に、流石の鈴懸ももどかしさを覚えた。窓を全開にすると、「はいれ」と声をかけてやる。千歳は言われるがままにするりと窓から部屋の中に入り……そして、遠慮がちに部屋の隅っこにおすわりをした。
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