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千歳の章30

「恋人が違う男に抱かれているところを静観できるおまえは、少し変わっている」 「好きで黙ってんじゃねえよ。儀式じゃなかったら、俺はおまえのことを殺しにかかっているかもしれない」 「物騒なことを言う竜神様だ」  布団を被ってすうすうと寝息をたてている織の横で、鈴懸と千歳は静かに語らっていた。千歳もすっかり落ち着いたようで、どこかすっきりとした顔をしている。   「……千歳。気分、どうだ」  鈴懸は気持ちよさそうに寝ている織の頭を撫で、静かに千歳に問うた。いつもとは少し違う、今回の儀式。半端な呪いがかかってしまっていたために、儀式の最中は千歳にも織にも、精神的な負荷がかかっただろう。あの儀式は、千歳にとって救いになったのか――それが、鈴懸は気になっていた。  千歳は、鈴懸の問に少しだけ微笑む。鈴懸に撫でられてむずむずとしている織を見て目を細めると、静かに言葉を紡いでいった。 「……前よりも、苦しいかもしれない」 「え、マジ」 「いや、違うんだ。誤解しないでくれ、竜神。おまえには感謝している」  千歳の声色は、優しかった。それでいて、どこか熱っぽかった。それまでのような、どこか一歩引いた印象を持つ声とは違う、自分の心を乗せたような、そんな声。 「……おまえが言っていた、「呪い」というものが、どういうものだったのか、俺にはよくわからない。が、今は……自分の中にある、織への恋心をちゃんと認められたような気がするんだ」 「……前は、認められていなかったのか?」 「いや。俺が織のことを好きだというのは、もちろん理解していた。ただ、その事実を受け入れたくなかった。言っただろう、俺は恋というものが醜いものだと思っていた。そんな考えのもとになっていたのは、自分の中にあった織への恋心だったのかもしれない……そう思う」 「……おまえの織への恋心は、おまえの思う醜いものに近かったのか?」 「――きっと。「欲しい」「触れたい」、そんなことをただ思っていたと思う。理由もわからず、美しい織に手を伸ばしたくなっていた。あんまりにもその想いが激しくて、……血が茹だるくらいに、炎みたいに、激しくて……こんな想いを抱えて織に触れたら、織を穢してしまうのではないかって、そんなことを思っていた」  ――千歳の言う「想い」は、典型的な、咲耶の呪いであった。咲耶に対して強烈な情念を抱き、そして情動を引き起こす。心よりも本能を引っ張って、狂おしいほどに咲耶を求めてしまう。  千歳は、呪いとは別に「恋心」を持っていたから、その呪いによって引き起こされた情動を恐れたのだ。自分の中に穏やかに生まれていた恋心よりも先立って、なぜか情動ばかりが滾ってゆく。育ちきっていない恋心はそんな欲求に恐怖を覚えて、そして――「恋とは恐ろしい」と錯覚してしまう。  しかし――…… 「……でも、今は……なんと言えばいいのか。触りたい、とかは思うんだが……その前に、「愛おしい」って思ってな。なんだろう……あの、怖いくらいに滾っていた想いとは違う、……胸がぎゅーってなるというかな、……「醜い」なんてとてもじゃないが言えない、……甘ったるい感情が、胸の中に溢れている」  呪いが解けた今、恋心と情動が繋がった。「欲しい」「触れたい」その想いの根源に、「愛おしい」――そんな想いがあるのだと、知った。  恋心は歯止めの聞かない情動を生み出すものだと感じていた千歳が、呪いが解けたことによって恋心の本質を知ったのだ。恋心はそのような悍ましいものではなく、相手を「愛おしい」を思う気持ちであると。 「……織のことを好きだという気持ちを、素直に認められる。俺はもう――恋を、恐れない」  織への恋心を受け止めた千歳の表情は、晴れやかであった。織を見つめる眼差しも、優しい。  鈴懸はそんな千歳の表情を確認すると、ふん、と満足したように微笑んだ。そして、挑戦的な眼差しを千歳に向けて。 「そうか。呪いはすっかり解けたようだな。それならもう俺は、おまえに情なんてかけねえよ」 「……?」 「――ここからは、俺とおまえは恋敵だ。安々と、俺の目の前で織への恋は語らせない」 「……ふ、そうか。わかったよ、竜神」  千歳は鈴懸に笑い返すと、す、とベッドから立ち上がった。よれた着物を直し、そのまま、窓に向かって歩いてゆく。 「それなら出直そう。堂々と、おまえに宣戦布告をしようじゃないか」 「……何?」 「まだきちんと織に想いを伝えていない。改めて織に想いを伝えて――そして俺は、おまえの敵になるよ」  千歳が、振り返る。外の光に照らされた髪の毛が、きらきらと輝いていた。白虎――格式高い獣の美しい毛並みの如く。   「……男をあげたんじゃねえの、千歳。まあ、俺に勝ちたいならまだまだだけどな」 「――挑発を返したいところだが。先に、言うべきことがあったな」  窓を開けると、風が吹き込んできた。千歳が白虎へ姿を変える瞬間、光の粒子が舞い上がる。 「……ありがとう、鈴懸」  白虎が、窓から空へ飛び立っていった。カーテンが、風に靡いている。  鈴懸はぼんやりと空を眺めながら、織の髪の毛を梳いていた。余韻のように漂う光を粒子に目を眇め、ぼそりとつぶやく。 「手強い敵に塩送っちまったかなあ……」

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