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白百合の章4

 咲耶の呪いが未だに解けない。その理由にどうしても心当たりがない織は、不安感を募らせるばかりであった。妖怪に襲われなくなり、以前よりは平穏な日々が取り戻せているが……まるで咲耶の怨念が降ってくるような、そんな不快感に見舞われるものだから、これからが恐ろしかったのである。このまま怨念に取り込まれたりしないだろうか、そして周囲の人を傷つけることになるのではないか、と。  浮かない表情を浮かべっぱなしの織に、白百合も困ってしまったようだ。「近くにかざぐるまを持っている者がいるのではないか」と言ったものの、それが誰なのかわからない。早く織の不安感を拭ってあげいのはやまやまなのだが、その方法がわからなかったのだ。 「おい、織」 「なに、白百合さま」 「あれ……」  少々落ち込んだ様子で歩いている織に、白百合が声をかける。織は白百合の声にハッとするように、白百合が指差した方へ視線をやった。  そこには、本屋があった。店頭に並ぶ本を、二人の男女が見つめている。一人は洋傘に華やかな和服の髪の長い女性、そしてもう一人は――色素の薄い髪、派手な着物。人間離れした風格の男。顔こそは見えなかったが、あまりにも特徴的な組み合わせの二人に、織はその正体に気付く。 「――暦さん、千歳さま」  そこにいたのは、暦と千歳だった。暦は織に名を呼ばれると、髪の毛を揺らしてふっと顔をあげる。髪に隠れて見えなかった可憐なその面貌が露わになれば、周囲にいた人々が皆、暦に目が釘付けになった。 「あら、織さま……それから、白百合さま。お久しぶりですわ」 「お久しぶりです」  暦は織を視界に認めると、周囲の人々の視線を無視してすたすたと織に近づいてくる。  暦との婚約が破棄されてから、しばらく経った。もともと碓井家と有栖川家の親交が深かったこともあり、その後も二人は顔を合わせていたのだが、あの時から特に二人の関係は変わっていない。一度本音をぶつけ合ったことがあるせいか友人よりは親しいが、決して男女の仲にはならない、そんな関係だった。  そして、千歳との関係も。千歳は相変わらず織に片思いをしているようで、会うたびに織に求愛をしてくる。毎回織はそれをあしらっているのだが、千歳はなかなかめげることがなかった。 「今日は鈴懸さまはいらっしゃらないの? 私、あの方にお会いしたいわ」 「……暦さん、鈴懸のこと気に入ってるんですか?」 「ふふ。だって、鈴懸さま……千歳に対して敵対心丸出しで面白いんですもの。かわいらしいじゃないですか」 「……暦さんは相変わらずですね」 「どういう意味かしら」  四人は本屋の前で立ち話をするのも悪いと、どこか休む場所はないかと歩き始めた。四人とも上等な着物を着ているせいか、大層目立つ。街中の視線を集めてしまい、そういったことに慣れていない織は参ってしまって下を向きながら歩いていた。  しばらく歩くと、今流行っているらしい喫茶店を発見した。洒落た風貌をしており、貴族や女性に人気があるらしい。暦と白百合はその店を見つけるなり「入りたい」と騒ぎ出し、織と千歳は引きずられるようにしてそこへ向かったのだが…… 「おい、なんだあれは」  店の前に人だかりがあって、店内に入れない。人だかりはどうやら女性ばかりのようである。  早く店の中に入りたかった暦と白百合は、人だかりを掻き分けるようにして店の入り口へ突入していった。自分たちよりもたくましい二人に苦笑いをしながら織と千歳も少し遅れて店へ向かっていったが…… 「――そこの君」  人だかりの中から、声がした。  しかし、自分にかけられているものだと感じなかった二人は、無視して店の扉を開ける。 「君だって、君。織!」 「えっ、俺?」  扉を開けたところで、今度は名前を呼ばれてようやく織は振り返った。あんまりにも人だかりがすごいもので名を呼んだ者の顔が見えなかったが……やがて、人だかりを割るようにして、中心から一人の男がでてくる。  顔を見て、織は「なるほど」と思った。男は――あまりにも美しかった。この世のものとは思えないくらいに美しい、美青年だったのだ。  しかし、なぜその美青年が自分に声をかけてきたのかがわからない。織はぽかんとして彼を見ていたが――その横で、千歳が目を見開いて固まっていた。 「こんにちは、織。僕は吾亦紅。君に、会いに来たよ」 「……吾亦紅、さん……? あの、……なんで俺に会いに来たんですか?」  すっと微笑んだその顔は妖艶で、周囲の女性たちがため息を吐くように惚けている。しかし織は、この得体の知れない青年に「会いに来た」などと言われても不審しか抱けない。それに――隣にいる千歳の様子がおかしい。  千歳はぐっと織の腕をつかみながら、青年――吾亦紅を睨み付けていた。息はあがり、手には汗をかき――まるで、吾亦紅に恐怖を覚えているような様子で。  吾亦紅は織の問には答えず、さらに織に近づいてくる。するりと滑るようにして優雅に歩き、息も飲む間に織との距離を詰め――そして、すうっと手を伸ばして、言った。 「――お命、頂戴」    ――その瞬間だ。弾かれたように千歳が駆け出した。織の腕を掴んだまま。 「なっ――な、なにが起こって……!?」  織はわけもわからず千歳と共に走る。必死に走る千歳の様子は、ただならないもの。  やがて二人は――人通りの少ない、路地までたどり着く。    

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