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白百合の章27

 妙な人間と会ってしまった僕は、家に帰るなり疲れて眠ってしまった。あの強烈な負の感情を浴びては、さすがの僕も疲弊してしまう。  人間界に対しては、そこまで悪い印象を抱いてはいなかった。思念が渦巻いている面倒な世界だと、それくらいにしか思っていなかった。しかし、あの咲耶という鬼になりかけている人間を生み出した世界となると、見え方も変わってくる。  ……人間界とは、僕が思っているよりも穢い世界なのかもしれない。 「――吾亦紅」 「……え?」  ぐったりと布団に横になっていた僕だったが、玄関から声が聞こえて、跳ね起きた。  ――櫨だ。今日は帰ってくると聞いていなかったが、櫨が、帰ってきたらしい。 「……櫨!」 「おお、吾亦紅」 「おかえりなさい」  僕は玄関まで駆けてゆくと、そこに立っていた櫨に抱き着いた。そして、ぐっと背伸びをしてなんとか口づけをしようとすれば、櫨が僕を抱え上げてくれて、そしてちゅっと僕の唇を吸い上げてくる。 「んっ……」 「ただいま、吾亦紅……ごめんな、しばらく帰ってこれなくて」 「ううん……お疲れ様。疲れているでしょ? ゆっくり休んで」  久々の、櫨。嬉しくて、疲れも一気に吹っ飛んだ。  すっかりお疲れの櫨に美味しいものを食べさせてあげようと、僕はさっそく台所へ向かう。櫨の好きなものを作って、たくさん食べてもらって、せめて元気だけでもつけてもらわなければ。今の僕が彼にできることなどそれくらいしかなかったので、たかが料理ではあったが気合をいれていた。 「吾亦紅」 「え? あっ……な、なに?」  食材を切ろうとまな板に並べていたところで、櫨が後ろから僕を抱きしめてくる。こうされていては料理ができないが、その優しい抱擁に赤い実がはじけるような感覚を覚えた僕は、おとなしく包丁を置いた。 「……もう少ししたら、おちつくと思うんだ」 「じゃあ、櫨もゆっくりできるね」 「ああ。……吾亦紅」  ずっと働き詰めで、僕なんかよりもずっと疲れている櫨。彼が、ゆっくりできる時間ができるというのは、喜ばしい。櫨が家でゆっくりできるようになったら何をしてあげよう……そう考えていると、櫨が僕の頭に口づけを落としてきて、僕を抱きしめる腕に力を籠める。 「……婚儀を、しよう。正式に夫婦になろう、吾亦紅。そして……子作り、しないか」 「……櫨」 「長いこと待たせてしまってすまない。ようやく……家族になれそうだ」  まだ婚儀を行っていない僕たちは、子を成すことができない。儀式を行い、そうすることでようやく妻は神の子をその体に宿すことができるようになる。忙しくてなかなかそれもできていなかったが、ようやく、それができるようになるらしい。  僕は嬉しさのあまり、振り返ってぎゅっと櫨に抱き着いた。ようやく彼と夫婦になることができる。彼の子を産むことができるようになる。  櫨と出逢う以前の、血なまぐさい生き方を思い出すと、今の幸せがとても眩いものに思える。 「……うん。僕も、はやく櫨との子どもが欲しい。櫨と家族になりたい」 「……、なあ、吾亦紅。 今夜……」 「ちょっ、櫨! 今の流れでどうして……あ、当たってるんだけど!」 「す、すまない、疲れているせいで俺の魔羅が言うことをきかない。それにおまえのことを愛おしいと思ったらたまらなくおまえを抱きたくなってしまって」 「もう……」  櫨と結婚をして、子どもを産んで……そうしたら、どんな人生になるのだろう。今までの僕がきっと驚くような人生に変わるだろうか。 「まずは、ご飯を食べて。そのあとで……僕を抱いて」  ぐっと背を伸ばして櫨の唇に自分のものを押し付けると、櫨がきょとんと目を見開いた。そしてふにゃ、とだらしなく笑い出した彼を、僕もまた愛おしいと思っていた。  

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