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白百合の章28

 夜が明けて、櫨が家を出ていき、僕も外に出ることにした。  櫨に抱かれた翌日は、どうしても体が重い。僕の治癒力をもってしても、内臓に蓄積された倦怠感はなかなか治らない。それが櫨に抱かれた証なのだから、別にいいのだが。体が重いと、どうしても動く気力がうせてしまう。  怠い体を引きずって僕が向かった先は、昨日、咲耶という人間に出会った村のはずれだ。一応もう一度会おうと約束していたので、そこへ行ってみることにした。 「--……」  僕は昨日と同じように、木の上から彼女を待っていた。しかし、現れた彼女を見て――僕は律儀にここへ来たことを後悔した。  彼女はもう――手遅れだった。僕は咲耶が本物の鬼になってしまわないようにと思っていたが、彼女は、少なくとももう人間ではなかったのだ。肉体は人間だが……あの魂は、僕たちならば「鬼」と判断する。 「わあ、今日も素敵な子を連れてきたのね!」 「ああ、可愛らしいだろう」  咲耶は一人ではなかった。隣に、大きな獣人と、一人の少女を連れていた。 「今日はね、吾亦紅と会うのよ。とびっきり可愛くならないと」 「そうか。この娘を喰らえば、さらに美しくなるだろう」  昨日会った時も気付いたが、咲耶は人を喰らっていた。それについては、いい。鬼として生きる僕は、人を喰らう生き物など見慣れている。しかし、僕は彼女が人を喰らう目的がわからず、不気味に思っていた。 ――今日、僕は、彼女と獣人の会話から、その目的を知る。  咲耶は、美しくなるために美しい少女を喰っていた。無残に喰われた美しい少女の怨念を身にまとい、そしてその怨念を仮面として被り――美しい、女となる。咲耶自身が妖術を使えるというわけではなさそうだが、彼女は無自覚に、怨念を妖術として扱ってしまうようだ。彼女自身が、怨念の塊であるから。  実際に、隣にいる獣人には、咲耶はひどくべっぴんに見えているようだった。麗しく、妖艶で、神々しい美女に見えているようだ。その幻術は、淫術の類にはいるだろう。強烈な怨念が妖を惑わす淫術へ変貌する――考えただけでも悍ましい。  ただ……僕は、淫術が効かない体質だ。彼女の真実の姿が、見えていた。  僕から見た彼女は……どこまでも、普通の少女だった。 「咲耶……さあ、食べるといい」  普通の少女。なぜ、こうなってしまったのか。  泣き叫ぶ娘を生きたまま喰らう咲耶。肉を喰いちぎり、骨をしゃぶり、血まみれになって娘を喰らってゆく。なぜ……そこまでして美しさを求めるのか。なぜ……そんなにも、魂が歪んでしまったのか。それを――僕は、すぐに知ることになる。 「……、」  娘を喰い終わった咲耶の着物を、獣人が剥ぎ始めた。そして……その体を、むさぼり始めたのである。  人間と、妖怪のまぐわい。それに見慣れていなかった……そもそも他人の性行為を見ること自体慣れているわけがなかったのだが、僕はそれを見てひどく驚いてしまった。こんなところで、ためらいもなく、彼らは体を交わらせた。どう考えても、異常だ。 「ああ、劔、もっと……愛して」  咲耶は、しきりに「愛して」と獣人に向かって懇願していた。それを見て、なんとなく……僕は悟ったのだ。  こんなところで一人で居て、人を喰らってまで美しくなろうとして……。彼女は、人間たちから疎まれているのだろう。そして、そうして人から愛されない寂しさを、妖怪に抱かれることで紛らわせている。妖怪を誘惑するために、美しくなろうとしている。そのあまりに惨い愛情への上が、無意識に淫術を使い妖怪を惑わせている原因なのだ。  彼女は、もう……鬼だ。憐れな、鬼だ。僕がどうこうできる人ではない。  ひとたび囚われれば、逃げることができない咲耶の淫術。怨念をもとに作られた淫術は、相当強力だ。絶対に捕らえた相手を逃さないとでも言わんばかりに、誘惑して突き堕として、破滅まで引きずり込む。  咲耶の真実の姿が見える僕は、やるせない気持ちになった。彼女が違う環境に生まれたなら、こんな悲劇は生まれなかったのに、と。ただの普通の少女でいられたのに、と。 「あれ……今日、吾亦紅がくるはずなのに……なかなか、来ないわ」 「いいじゃないか。今日は、俺と遊ぼうぜ」  一度鬼になってしまえば、人間には戻れない。僕が人間になれないのと一緒だ。彼女は、もう僕には救えない。  彼女を救う方法が一つだけあるとすれば……地獄で、その罪を償うという方法くらいだろう。地獄の服役期間を終えれば、あの鬼に近い魂も新しい人生をもって生まれ変わることができる。  そうなれば、もう彼女を救うのは僕の仕事ではなくなった。これは、櫨の仕事である。櫨が彼女の罪を正しく見定め、しかるべき罰を与えれば、彼女は救われる。  だから、僕は彼女に会うことはやめて、この場を立ち去った。何も知らず、獣人と交わり、さらに魂を穢してゆく彼女に背を向けて。

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