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白百合の章34

「吾亦紅さん、大丈夫? とても辛そうよ」 「……大丈夫。ありがとう」  玉桂はなかなか屋敷に帰ってこない、櫨も僕に顔を見せることもない。日々落ちてゆく体の状態に、心は疲れてしまっているのに、僕には心の拠り所がなかった。すっかり布団から動けなくなってしまった僕の世話をしてくれるのは、相変わらず狐たちだった。 「やっぱり……男の人が子供を産むのは、大変なのね。まあ、……櫨さんが吾亦紅さんの側にいてくれないというのもあるだろうけれど」 「……?」 「吾亦紅さんは、櫨さんの神性のおかげで子供が産める体になったでしょう? だから、その櫨さんが側にずっといれば、吾亦紅さんの体は子供を産むためのものにより近づくのよ。知ってる? うちの狐にも、何人か雄がいるの。玉桂さまがずっとこの屋敷にいてくださったから、子供を産むのにもそう苦しむことはなかった」 「……そっか、……櫨が側にいれば、ちょっとは楽だったのか。でも……櫨も、忙しいから。櫨も頑張っているんだから、僕も頑張って子供を産まないと。櫨との子なんだから」 「……」  ユヅハは冷やした手ぬぐいを僕の額に乗せて、なんともいえないような顔をしていた。夫である櫨に放っておかれている僕を哀れんでいるのだろう。正直、僕もここまで櫨と会えない日が続くと、辛い。しかし、僕は櫨に対して怒りとか、そういった感情を覚えてはいなかった。 「吾亦紅さん、無理してない? 妻がこんなに辛いときに顔も見せない夫には、怒ってもいいと思うの」 「……うん。まあ……そうなんだけど。でも、僕は……櫨のおかげでこうして生きているようなものだから、これ以上櫨に何かを求めることはできない。たしかに会えないのは辛いけど、櫨にはもう十分すぎるくらいの幸せをもらっているし。彼が忙しいときに、何かを強要することはできない」 「どうして? 吾亦紅さんと櫨さんは、夫婦なんでしょう? もっと吾亦紅さんは櫨さんにわがままを言ってもいいと思うの。いくらなんでも、吾亦紅さんが辛すぎるわ」 「……ありがとう、ユヅハ。でも、僕は、大丈夫だから。ね?」  無理をしているのか、と尋ねられて、僕は否定することはできなかった。本当は側にいて欲しかったし、話したりもしたかった。でも、僕は甘え方がわからない。櫨が最初で最後の恋をした人だから、こういうときにどうすればいいのかわからないのだ。どうすればいいかわからないから、僕は僕が我慢をするという選択肢をとることしかできなかった。 「……櫨さんのお仕事がもっと楽になったら、また、いっぱいおしゃべりできるといいね」 「うん。だから早く僕も元気な子供を産んで、櫨の手伝いができるようにならないと」  櫨は、いつ帰ってくるのだろう。早く、櫨に会いたい――日に日に、その想いは強くなっていった。

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