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白百合の章41

*  僕の体が全快になったのは、櫨と別れてから半年後くらいだった。鬼の体は凄まじい回復力をもつが、内臓をほとんど喰われてしまったとなると、さすがにそれくらいかかってしまうようだった。ただ、傷自体が治るのにはそう時間がかからなかったので、僕は早くから閻魔大王の使いになるために勉学に励んでいた。櫨と別れた今、閻魔大王の使いになる必要は特になかったのだが、玉桂が強く勧めてきたのでそのままその道を行くことにした。曰く、「今のキミには何か打ち込むものがあったほうがいいと思う」だそうで。 「明日が、試験か。無事に合格するといいな」 「うん。旦那、今までありがとう」  僕は、玉桂の屋敷を出ることにした。いつまでも、彼に世話になっているわけにもいかない。僕は試験へ向かうと同時に、この屋敷をたつことを決めていた。 「あのさ、旦那。今晩、暇?」 「なんだ。晩酌でも付き合ってくれるのか?」 「……いや。抱いて欲しいなあ~って」  「……。……はあ!?」  今宵が、玉桂と過ごす最後の夜になる。僕は、最後の夜に、彼を誘った。  玉桂は、驚きを通り越して疑うような顔をしていた。気が狂ったのかと思っているのだろう。けれど僕は、別に自暴自棄になっているわけでも、手ごろな男で欲を満たそうとしているわけでもない。 「……僕は今、自分が何者であるのかがわからない。どう生きていけばいいのかも、わからない。あのとき、腹の子と一緒に死んでしまえばよかったとも思っている。なんだか、魂がふわふわしているみたいで、すごく気持ち悪いんだ。このまま、櫨と同じ閻魔大王の使いとなって、僕は何を思って生きていくんだろう……そう思うと、なんとなく、怖い。だから……ちゃんと、僕は此処に在るって。実感したい。旦那、抱いてよ。とびっきり激しく、とびっきり熱く、僕を抱いて欲しい」 「……キミの、言いたいことは、わかった。しかし、だからといってすぐにうなずけるかと言えばそうではない。悪いが、私はキミを抱く気にはなれない。私はキミのことを家族のように思っていた。それに、……傷ついたキミを、穢せない」 「……こんなに情熱的に誘っているのに。旦那、お堅いねえ。でも……おねがい、旦那。旦那しか、頼めないよ」  浮世から消えてしまおうとしている魂を、熱で繋ぎ留めたかった。僕には生きる理由などないのだが、生きるしかないから、生きるために玉桂にその手段を頼み込んだ。  玉桂は、僕の腹の中を探るような目で僕を見てくる。当然だろう。今まで、そんなことを頼んだことなど当然なかったし、そもそも僕がこうして性行為を自らねだるような為人ではなかったのだ。 「……そんな顔をしないでくれないか。私は別に、キミに魅力を感じないと言っているわけではない。ただ、キミのことを大切に思っているんだ」 「……大切に思っているのなら、なおさら……。ねえ、お願い……」 「吾亦紅、」  僕自身、こんな風に玉桂を誘ってしまう自分自身に驚いていた。それほどに、僕は自分というものを見失っていたのだろう。玉桂に縋り付こうとしているのは、僕のなかにあった、心という残骸だった。ひとらしさ、ひとの熱、それを忘れまいともがく、死んだはずの、心というモノ。ひとの肌の暖かさなど、ひとの奥底に眠る炎など、そんなものを知ろうともしない、吾亦紅という鬼を否定する、心だった。 「何も見えなくて、怖いんだ……櫨も、旦那も、……それから、僕自身も。何もわからない、わからないよ……生きるってなに、どうして僕は生まれてきたの、……生きる意味を教えてよ、……旦那……」  ひとか、鬼か。心か、本能か。僕のなかで対立しあう、生と死。震えて、ただ彼の背中に抱き着くことしかできない僕の手に、玉桂はそっと触れる。 「生きる意味は己で探せ。吾亦紅。一度だけだぞ。一度だけ、おまえの空の燭台に、火をくべてやろう。炎を育てるも枯らすも、そこからはおまえが決めるんだ」 「……。旦那」  玉桂が振り向き、僕を抱きかかえた。彼に体を持ち上げられる瞬間、僕の視界は歪む。  何故、僕はこんなことをしているのだろう。何故、僕はひとであることに未練を持っているのだろう。彼に、熱を求めたのか。  ――櫨と共に生きた、ほんの少しの短い時間は。僕の心を狂わせた。鬼であれたのなら、こんな風に涙など流さずに済んだのに。  

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